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とある生徒会長の本音は日誌だけが知っている  作者: 『黒狗』の優樹
生徒会への入会
12/437

第十一話 大鰐(crocodile) 辰姫紅壱、獅子ヶ谷瑛の逆鱗に触れ、追いかけられる

思いがけない展開に到ってしまった召喚と契約の儀式

反省を後回しとし、瑛は即座にチームを分け、飛び散ったエネルギー体の捜索に向かった・・・・のだが、彼女と紅壱の組んだペアの前に出現したのは、巨大な蜘蛛であった

獅子ヶ谷瑛の弱点、それは蜘蛛だったのだ

意識を取り戻した彼女は、自分の素を見せられる紅壱に、ある少女が主役の話を語り始める

 「霊属を見つけたよ」と恵夢から連絡を受けた二人は、彼女が向かい、待機している池を目指して小走りで木々の間を駆けていた。

 ふと、紅壱は疑問を抱いた。


 (この森、こんな広かったか?)


 マンモス学園と言われるだけあって、この天戯堂学園の敷地は広い。だが、校舎から見下ろした際の印象と、実際に入った事で感じる広さに差がありすぎる。


 (外からだと、あまり広く見えない、幻術の類でもかけてあるのか?

 それとも、俺の距離感が狂わされているのか・・・それだと、戦闘になった時、マズいな)


 事実を尋ねようとし矢先に、瑛が苦笑わらっているのに気付いた紅壱は、彼女を衝突してしまわないように気を付けながら近づくと、「どうかしたんすか?」と尋ねてみる。


 「いや、何・・・ここ最近、私は君にばかり醜態を晒してしまっている、そこに改めて気付いたら、『悔しい』を通り越して、逆に、いっそ開き直りたくなった。

 豹堂のように、私のファンだ、と言ってくれている女生徒の前では見せた事などない、みっともない一面を君にばかり見せてしまって、申し訳ないとは思っているんだ。

 幻滅したろう、こんなポンコツ会長では」


 苦味が滲む響きに反して、晴れやかさすら感じさせる彼女の横顔をしばらく見つめていた紅壱だったが、不意に足を止めた。瑛もそれに倣う。

 しばらく、悩んでいた紅壱が自分との距離を少し開けてから、首を左右に小さく振る。そんな彼の鷹揚な動作に、瑛は眉を寄せる。


 「ホッとしました」


 「ホッとした?」


 「えぇ。何でも軽々とこなせる完璧超人みたいな会長が、実際は蜘蛛を怖がるような普通の『可愛い女の子』だって判って。

 しかも、自分しかそんな情けないトコを見てないし、自分だけが知っているんだ、となれば、憧れてる男としては嬉しい限りですよ」


 後輩に思いがけない懐の深さを見せ付けられ、瑛は「恥ずかしい」と思ってしまう一方で、自分ではどうしようもなかった心の中の凝りが、少しだけ解れるのを感じた。


 「ただ、会長が蜘蛛を苦手としてるってのは、意外・・・あ、すいません」


 「いや、気にしないでいい。

 君の優越感を損なってしまうようで心苦しいが、私の蜘蛛嫌いは恵夢先輩と、愛梨、あと、まだ紹介できていない役員も知っているからな」


 「あ、そうなんですね」


 紅壱は特に落胆したわけでもなかった。だが、瑛は彼を特別視しているからだろう、その穏やかな声を裏読みしてしまったようだ。

 数秒間か、瑛が唇を真一文字に引き結んでいたのは。唐突に、何やら決意したようで、彼女は力強く頷くなり、紅壱を振り返ってくる。

 あまりに目力で圧してくるものだから、紅壱は飛びずさりそうになる。彼が、どうにか堪えたとは気付かぬ瑛は更に距離を詰めてくるではないか。


 「これは、そこまで大きな秘密では無いから、そう身構える必要はない」


 こう言われて、首を竦めない男がいるだろうか。紅壱ですら、「うっす」と、声を絞り出すのが精一杯だった。

 紅壱の了解を得て、前に踏み出す決意も強まったのだろう、瑛はゆっくりと口を開く。


 「実は、蜘蛛に限らず、私は虫全般がダメなのだ。正確に言うとだな、地面を歩く、足が四本以上ある生物が怖いのだ」


 「蝶や蜂は大丈夫なんですか、それなら」


 「辛うじて、と言える程度だ。

 それに、実際、意識を保っていられないほど恐ろしいのが、蜘蛛だけ、と言うのも間違いじゃない。

 芋虫や百足などは、まだ堪えられるからな、舌を噛み切って」


 (それはアウトなんじゃ)


 どうして、蜘蛛がそこまで怖いのか、気にならない訳でもなかったが、自分も瑛に秘密を明かせない立場である以上、詮索は無礼だな、と己の好奇心の手綱を強く引き、諫める。

 けれど、瑛の方は、紅壱に自分の事を知ってもらいたい、その欲求を止めきれないらしい。


 「蜘蛛が怖くなり、前にすると何も出来なくなってしまったのは、私が四、五つの頃だ」


 瑛は、紅壱の目をジッと見つめたままで話す。紅壱には分かった、彼女が見ているのは自分じゃない、自分の瞳に映っている、恐ろしい過去を思い出して、今にも泣き出しそうな自分の崩壊寸前の表情だ、と。

 自身のトラウマと向き合う事が、どれほど辛いのか、それを知らない紅壱ではない。

 かと言って、無理に話さなくてもいい、なんて安っぽい優しさを籠めた言葉なんか履ける訳がない。だから、紅壱は瑛の自分語りに、しっかり耳を傾けよう、と唇を真一文字に引き結ぶ。


 「私はその頃、攻撃魔術を一つばかり覚えた。

 それは、攻撃と言っても、大した威力ではなく、ゴブリンにすら手傷を負わせる事も出来ないものだった」


 ゴブリンと言えば、RPGではスライムよりは強い雑魚扱いだ。さすがに、子供に倒せるほど弱くないにしろ、今現在は天才と評される瑛に、そのゴブリンすら倒せない時期があった、そう聞くと、少しばかり驚きが心を波立たせる。

 あからさまに、その感情を紅壱は顔に出していなかった。だが、彼の前で周りの憧れに合わせた獅子ヶ谷瑛として振る舞うのは止めようと振り切ったからだろう、彼女は紅壱の感情の機微がいくらか分かるようになったようで、「私にも、天才ではない頃があったのだぞ」とおどける。


 「しかし、私は自分が強くなった、と勘違いしてしまった。

 どんな化け物でもかかってこい、と私は度胸と腕試しで、一人で入ってはならない、そう、厳しく言い聞かされていた自邸の裏庭に足を踏み入れてしまった」


 獅子ヶ谷の一族が持つ森は、門弟が力を付けるために、術で境界線に穴が開きやすいようにされており、下級の魔属が跋扈していた、と瑛は説明する。彼女の実家のスケールに舌を巻きつつ、紅壱は頷き返し、彼女が話を続ける気力を振り絞るのを待つ。


 「こちらで実体化したはいいものの、強力な結界で、森から出られない分、その魔属はストレスが溜まっていた。

 そんなタイミングで、戦う力を備えていない私が、そこらに仕掛けておいた罠に引っ掛かった。その魔属にとって、私は敵ではなく、小腹を満たせる程度の餌にしか映っていなかっただろうな、今、思い返せば」


 一旦、瑛が言葉を切る。その魔属の姿を思い出し、トラウマが心を蝕んでいるのだろう、彼女の顔には汗が滲み始めていた。紅壱は大粒の汗をワイシャツの袖口で拭って、恐怖と向き合う勇気を持っている瑛を讃えるように、項垂れている頭に手を乗せた。

 その刹那、ハッとして瑛は顔を上げ、紅壱を見つめる。彼女の瞳に宿っている感情の種類が判断できず、紅壱は戸惑う。瑛自身も、何に対して驚き、紅壱に何を感じたのか、把握できていないのだろう、戸惑いが瞳に浮かんでいた色を塗り潰していく。

 深呼吸をした事で心が落ち着いたらしい、瑛は紅壱に背を向けると、話を再開する。


 「その魔属は、蟲型・アラクネだった」


 (アラクネ、確か、デカい蜘蛛に女の腰から上がくっついてるモンスターだった。

 虫の割合の方が大きく、なおかつ、知性に欠け、食欲だけで行動するから、亜人型じゃなくて蟲型に分類される、ってメグ副会長が教えてくれたっけ)


 今、思い返すと、瑛が作成してくれた冊子には、蟲型の魔属・霊属が掲載されていなかった。それは、恐らく、自身の古傷のカサブタを剥がしてしまう事が怖かったからだろう。恵夢も、瑛が蜘蛛恐怖症である事を知っているから、彼女がいないタイミングを見計らって、アラクネについて教えてくれたんだろう。


 「・・・・・・辰姫、鼻の下が伸びてるぞ?」


 瑛の焼き鏝を押しつけてくるような声に、ハッとし、紅壱は口元を隠す。つい、恵夢が腕にわざとらしく押しつけてきた胸の柔らかさを思い出してしまっていたようだ。

 疑いの視線を、瑛は紅壱に向けていたものの、むやみやたらに詮索すると、彼に独占欲が強い女、と嫌われるかもしれない、そんな恐れが芽生えたのか、悔しそうに唇を噛んだ後に、回想を再開する。


 「アラクネには、私が泣きながら、全力で放つ攻撃魔術など通用しなかった。

 配分、その当たり前の事すら知らなかった私は、あっと言う間に、魔力が枯渇し、その場に倒れてしまった。

 土気色となり、動けなくなった私をアラクネは糸でグルグル巻きにした。

 夢に見て、飛び起きてしまう事があるんだ、今でも、人の形をしている疑似餌が縦に割れ、巨大な口が開かれる様に・・・・・・」


 どうやら、本体は下半身を占める蜘蛛の方で、胴にくっついている人間の女性に見える突起、それはお人好し、スケベな人間、女性を性的じゃ無い意味で餌にする他の魔属を引き寄せるダミーとしての役割を果たすのだろう。そして、同時に、口でもあったようだ。

 実体を知らないから、想像するしかないが、つい、見惚れてしまうほどの美人がバックリと真っ二つに割れ、内面が鋭い突起だらけとなれば、子供にとって、トラウマとならない方がおかしい。いくら、子供だって、その中に放り込まれ、閉じられてしまったら、どうなるのか、想像できてしまっただろう。

 だが、獅子ヶ谷瑛は幼女時代に、その命を奪われず、健やかに成長した。つまり、アラクネに食べられずに済んだ、その事実がある、と言う事だ。彼女の場合、命の危機に瀕し、強烈なストレスを受けた事で潜在能力が覚醒した可能性もあるが、口ぶりからして、その展開はなさそうだな、と紅壱は予想した。どうやら、それは当たっていたらしい。


 「時代劇を見ていたからか、万事休す、子供ながらに、そんな言葉が頭に浮かんだよ。

 今なら、そんな状況になれば、口に放り込まれた瞬間に、せめて一矢報いてやろう、と覚悟も決まるだろうが、当時の私は必死に泣き叫んで、命乞いするしかなかった。

 まぁ、人間の言葉は理解できない、通常種のアラクネには、てんで通じなかった。女王種は片言ながら、会話が出来る、と聞くが、命乞いはするだけ無駄だったろうな。

 もうダメだ、と意識が遠のきかけた時だったと思う、私を引きずっていた糸が切られたのは」


 やはり、誰かが瑛を助けたのか、と紅壱はそいつに感謝する。


 「恐らくは、20代の男性だったと思う、私をアラクネから救い出してくれたのは。もしかすると、もっと若かったかも知れないが、女性ではなかったろうな。

 餌を横取りされた、アラクネはそう感じたんだろうか、開いた口からとんでもなく不気味な音を発してきた。それは強烈でな、私の意識はより遠のいた。

 そんな私が気絶する間際に見たモノ、それが桁違いの炎により、火達磨どころか、一瞬とかからずに消し炭となったアラクネの死に際だったんだ。アラクネは、あの八本の足だから、前に飛び出す速度は人間の目で追えるレベルを越えているんだが、彼が火を吐くのはアラクネが地面を蹴るより速かった。

 彼は私を両腕で抱きかかえていたから、多分、口から炎を吐いたんだろう。私が角度的に見えなかっただけで、空中に魔術陣が描かれていたかも知れないな。

 だが、いくら、火に強くないとは言え、あのサイズのアラクネが身を守れぬほど、一瞬で火達磨になる火勢を無詠唱で生んだのだ、相当な実力者だったはずだ」


 傍目から見たら、むしろ、その男の方が怪物に見えただろうな、と想像した紅壱は苦笑する。

とどのつまり、瑛が火炎系の魔術を積極的に会得したのは、恩人の影響なのだろう。


 「私は礼を言いたかったが、アラクネの死に際がショックだったからか、彼の腕の中で失神したようだった」


 (それで、よく、火の方もトラウマにならなかったのか・・・いや、なったけど、そっちは憧憬で乗り越えたのか?)


 紅壱が自分を尊敬し直しているとは気付かず、瑛は淡々と話し続けている。


 「気が付いた時、私は糸の束縛から解放され、森の外に寝転んでいたのを、異変に気付いて森に入ろうとしていた門弟に発見された。

 私から話を聞いた父は、私が無事だった事を喜び、私を助けたのは門弟の誰かだろう、と考え、礼をしたいから名乗り出るよう命じた。

 けれど、誰も手を挙げなかった。獅子ヶ谷の跡取り娘を魔属から間一髪で救い出した、となれば、将来の安泰が約束されたと言っても過言じゃない。しかし、嘘を吐いた者に、どんな罰が下されるか、皆が知っている事もあってか、誰も名乗り出なかった。

 糸玉のようになっていて、泣き叫び過ぎて、意識が混濁していた私は彼の顔すら、ロクに見る事が出来なかったから、術で記憶を覗いても、有効な情報は得られなかった」


 ふと、遠くを見た瑛は、紅壱ですら聞こえぬほど、ささやかな声でこう呟いた、「覚えているのは、私の頭を撫でてくれた、あの大きな手の感触だけだ」と。


 「以来、私は蜘蛛がダメになってしまった。

 サイズ云々ではなく、普通の蜘蛛ですら見てしまうと、気を失ってしまう。

 まぁ、蛾を見た途端、電撃を手当たり次第に放ってしまう知り合いと比べたら、私はマシな方だろう」


 「・・・・・・すんません、何か、辛い事を思い出させてしまって。

 あの蜘蛛も、なるべく、会長の前で出さないようにしますんで」


 殊勝な態度で頭を下げる紅壱に、瑛は「気にするな」と返す。


 「こう言ってしまうと、重い女と思われてしまいそうだが、どうも、君の近くだと肩からイイ具合に抜けるらしい。

 これを喋ったのは、君が初めてなんだが・・・不思議と辛くない」


 明るい笑顔で、瑛は右肩を回す。その動作は大袈裟だったが、芝居がかった風ではなく、瑛が本心を言っているのだ、と分かる。


 「どうぞ、どうぞ、存分に脱力して下さい、会長。

 お姫様抱っこでも、おんぶでも、何でもしますよ」


 「いや、お姫様抱っこはもう勘弁してくれ」


 肌が切られそうな鋭く尖った深緑の葉を避けた瑛は、くすぐったそうな面持ちになる。


 「あれ、お気に召しませんでしたか?」


 「私だって未だ、お姫様抱っこに夢を持つ年頃だ。しかし、少なくとも、今は駄目だ」


 一瞬、瑛が伏せた視線の先に何があるかに気付いた紅壱。彼自身、悪気があった訳でもなく、あえて空気を読まなかった訳でもない。ただ、リスが目の前の枝から枝へ飛び移ったのに気を取られ、口が滑ってしまっただけだった。


 「女子の平均体重より、10kgくれぇ重い程度なら問題ないっすよ。

 毎日、化け物らと戦ってるんですから、重くなっちゃうのは不可抗力っっ」


 空間を削り取るような音を放って繰り出された瑛の容赦ない裏拳バックハンドを、間一髪で避けられたのは百戦錬磨の紅壱だからだ。

 瑛は仲間想いだから、何らかの方法で心身の支配権を奪われない限りはありえないだろうが、もし、今、彼女の隣にいたのが恵夢たちだったら、間違いなく殴り飛ばされていただろう。

 生徒会のメンバーは、不意打ちに備え、常に防御力を術やアイテムで強化しているので、多少の衝撃ではびくともしないだろう。だが、瑛の裏拳の破壊力は「多少」に収まらない。最低でも歯が折れ、良くて頬骨が砕けただろう、そして、運が悪ければ・・・

 「避けるなっ」と理不尽に叫ぶ瑛へ、紅壱は「避けますよ、普通っ」と怒鳴り返す。


 「本気で鼻、狙ったでしょ?!」


 「年頃の少女に『重い』など、そんなデリカシーのない発言をする男の鼻など潰してくれる」


 ヤバい、本気だ、と彼女の変わりきった目の色で『理解』した紅壱。

 肉体強化、もしくは、性質変換の魔術で石に近い強度まで上げられているのが丸判りの色をした拳で殴られてたまるか、と彼は自分の頭以上まで土埃が舞い上がるほどに地面を強く蹴って、瑛を一気に引き離した。

 「辰姫、待て」と瑛も木々を蹴りつけながら勢いを重ねていき、彼との距離を詰めていき、ついに襟首に指が届く距離まで迫る。



 「ちょ、二人とも、そんな息が切れるくらい、全力疾走してこなくてもよかったのに」


 無事、瑛の豪拳から逃げおおせられた紅壱は苦笑い、瑛は「かと言って、のんびり歩いてくる訳にもいきません」と悔しさを押し殺しながら、額から頬を伝っていった汗を乱暴に拭う。


 「それで、鯱淵先輩、ここですか?」


 わずか十数秒で呼吸を整えなおした瑛は、恵夢が施したらしい結界に囲われている池に鋭い視線を向けた。何かがいるな、と肌で感じた紅壱も肩の揺れる幅を小さくしながら、少し濁った水に目を凝らす。


 「光球は、この池の中に落ちたんですか、鯱淵先輩?」


 「私がここに辿り着く少し前に、水柱が上がったから、多分、間違いないよ」


 バッシャーン、と両腕を大きく広げる恵夢。オーバーなアクションにより、彼女の白毬は激しく上下し、つい、瑛は目を釘付けにしてしまう。


 「そ、その霊属は一体、どんな姿をしているのですか?」


 すると、彼女は不安そうな色が浮かんだ表情で首を左右に振る。頭部の動きに合わせて、小さく揺れた大玉メロンを思わず嫉妬混じりに見てしまった瑛は、その感情を恥じるように頭を振り乱す。


 「ど、どうしたんすか、会長」


 水の中に目を凝らすのに集中していたのか、恵夢の胸が魅せるダンスに気付いていなかった紅壱は瑛がいきなり奇妙な動きを見せたので、戸惑いを隠せない。


 「な、何でもないぞ、辰姫・・・何でもないんだ。

 それで、鯱淵先輩、どんな姿をしているか判らないのですか?」


 「うん、一度も出てこないんだよね。念の為に池の周りに結界は張っておいたけど。

 どうする? コラルは召喚する訳にはいかないから、私が水を抜いちゃおうか?」


 瑛が「そうですね、緊急時ですから、魔術の行使くらいは事後でも許可は下りると思いますが」と思案に暮れかけた時、しゃがんでいた紅壱が手を上げた。


 「メグ副会長、ちょっといいっすか?」


 「なあに? ヒメくん」


 「これ、ちっと邪魔なんで外してもらえるとありがたいんですけど」


 紅壱は池をドーム状に囲っている、半透明色の結界の表面をノックでもするかのように軽く打つ。その衝撃は術者である恵夢にも響いたのだろうか、「んっ」と色っぽい声を上げて胸を押さえる。


 「・・・どうする気だ?」


 「とりま、手を突っ込んで呼びかけてみます。

 曲がりなりにも、俺に『召喚よばれた』訳ですし」


 依然として痺れている胸を軽く擦りながら、恵夢は「いいの?」と不安げな色が広がる瞳を向ける。唇を真一文字に引き結んで、自分たちから池の方へ顔を戻してしまった紅壱の背中へ視線を注ぐ瑛はしばらく無言の姿勢を貫いていたが、不意に首を縦に振った。


 「やらせてみましょう。万が一の時は、私が彼の盾になります」


 (・・・「もしも」の時は俺が体を張るつもりなんだがな)


 そう思いつつも、紅壱は瑛が言う『万が一の時』など起こらない、と不思議な確信を覚えていた。根拠は無い。ただ、この状況を材料として、彼の勘が告げていた、池の中から出てこない『何か』は自分の敵となる存在ではない、と。

 年下かつ下級生でも、役職が上である瑛がGOサインを出した以上、恵夢にそれを拒む理由はない。

 恵夢は見ている側が指が攣ってしまいそうなほど複雑に指を絡め、自身の張った結界を解除する。「解」と彼女が細めの鞭で獲物を打つように叫んだ刹那、池の縁に突き立てられていた短刀の澄んだ刀身が音も立てずに、十本全てが一気に砕け散る。

 池を覆っていた不透明感が消え失せたのを確認し、紅壱は手刀で右掌を切る。彼が痛みに眉を顰めた数瞬後、パックリと開いた傷口から赤い血が滲み出てきた。

 彼は血を掌全体にベッタリと広げ、手首まで水に沈める。そうして、「来い」と水中に潜んでいるであろう『何か』に呼びかけながら反応を待つ。

 数十秒間、じっと動かずにいた紅壱は剋目と同時に、水飛沫を一滴たりとも飛ばさずに腕を素早く引き抜くと、後ろにいた二人に「下がれ!」と叫びながら、自身も後ろへ溜め無しで一気に跳んだ。瑛、恵夢ともに、有事の際はすぐに動けるよう、下半身を強化していたので、彼の指示に遅れず、動く事が出来た。

 三人が着地したのと同時に、5m近い水柱が天を衝く。彼の一喝で制服を濡らさずに済んだ瑛と恵夢は安堵に、それぞれ大きさが異なる胸を撫で下ろす。

 濁った池の中に広がった紅壱の血の臭いに誘われたソレは、「のっそりのっそり」、そんなオノマトベを書き加えたくなるような緩慢な動作で岸に上陸した。


 「今度は・・・鰐かよ」


 恐怖を通り越した呆れを声に混じらせ、十数秒かけて全容を露わにした霊属を見る。

 紅壱は目の前に現れた霊属を鰐だと思いたかったが、明らかに並の鰐よりデカい。小型の恐竜と言えるレベルの大きさとフォルムだ。アマゾン川を悠然と泳いでいる鰐が餌です、と説明されても鵜呑みに出来る。それほどに大きな口と、それに見合った牙を持っていた、このバケモノ鰐は。


 (一体、俺のイメージが、どう捻じ曲がれば、蜘蛛やら鰐になっちまうんだろうか?)


 ペンよりもナイフが似合う無骨な手、密林をどんな獣よりも軽やかに駆け抜けられる脚、戦闘で重しにならない程度に豊かな乳房、生唾を飲みたくなるほど引き締まった臀部、あらゆるパーツまで綿密な想像をした上で、儀式に臨んでいたが、どうやら、『つもり』だっただけのようだ。

 だが、やはり、この巨大すぎる鰐からも、自分に対する敵意の類は感じない。

 池の中を泳いでいた錦鯉でも食って、今はたまたま空腹ではないからか、とも思ったが、肌を粟立たせる気配から察するに満腹感にはまだ達していないようである。

 チラリと背後を盗み見れば、瑛も恵夢も完全に臨戦態勢で、どこに隠し持っていたのか、もしくは、いつの間に造ったのか、日本刀と錘を構えているではないか。


 (コイツが少しでも襲い掛かりそうな気配を見せでもしたら、先手必勝とばかりに攻撃を仕掛けそうだな、二人とも)


 日本刀も錘も普段から使い慣れているのだろう、構えに無駄がない。

 「手、出さないで下さい」と二人に向かって手を突き出した紅壱。何か、彼なりに考えがあるのだろう、と年長者らしい察し方をしてくれた恵夢は数秒こそ躊躇ったが、素直に錘を下ろしてくれた。だが、瑛はジリジリと摺り足で距離を測り、紅壱から目を、巨大鰐からは意識を逸らそうとはしない。

 助け船を求めるように、紅壱は苦笑わらう恵夢を見るが、「ホラ、アキちゃん、責任感が強いタイプだから」と言わんばかりの穏やかな目で見つめ返され、無言で諭されてしまう。

 いざとなったら、背中に恥を負ってでもコイツを庇わねば、と腹を括った紅壱は巨大鰐に歩み寄る。瑛も彼をすぐに守れるよう、歩幅を大きくして間隔を崩そうとしなかった。

 この世界に住まう存在ではないからか、漂ってくる臭いは、その巨体を沈めていた池のものだけで、紅壱の鋭敏な嗅覚はそれ以外の臭いを感知できない。

 あと一歩半、近づけば手を噛まれそうだ、と言うところで足を止めた紅壱は、気だるそうに自分を見上げる巨大鰐の濁った金色の瞳を真直ぐに見つめ、そこに意識を集中させる。

 すると、先程の蜘蛛同様に、明瞭な人語としては伝わってはこなかったものの、自分や後ろの二人に対しても危害を加えるつもりが一切ないのが、簡略なイメージとしてしっかりと伝わってきた。

 ここで一つ、胸のモヤモヤが消えた紅壱は更に一歩、巨大鰐に歩み寄る。瑛は焦りを顔全体に浮かべるが、これ以上、近づいてしまうと自分の得意技の威力を十分に乗せられなくなってしまうからか、グッと堪えたようだ。


 「用件は判ってくれてるんだよな?」


 巨大鰐が金属バットすらもヘシ折れそうな勢いで尾を振った動作を、「是」と受け取った紅壱は一つ大きく頷くと、今一度、袖を肘まで捲り上げた。

 そして、彼が自分の腕を、水牛ですら一噛みで二つに出来そうな大顎の中に躊躇わずに突っ込んだものだから、瑛も恵夢ですら絶句し、馬鹿げた自傷行為に走ろうとしている後輩を止めようと飛びかかろうとした。

 だが、巨大鰐が勢い良く口を閉じ、紅壱の腕の肘から先が食われた、と二人とも思い込み、激昂しかけた瞬間、三人の目前から、あれだけ大きかった鰐が影も形も残さずに消え失せてしまった。

 また、光球の状態となり、池に潜ってしまったのか、と恵夢は池の中を魔力で探ってみるものの、泳いでいるのはいたって普通の鯉だけ。魔力の揺れは一切、感じない。


 「・・・契約完了ってか?」


 腕を見てみれば、蜘蛛形の痣の真下に鰐を連想させるモスグリーンの痣が浮かび上がり出した。

 「だ、大丈夫なのか?」と詰め寄ってきた瑛に「えぇ」と口の端を高く吊り上げながら、彼は二人へ、グッと力を入れて硬くした腕を見せる。隆起した紅壱の腕に生唾を飲み込み、手だけでなく頬でも触感を堪能したくなる瑛だが、恵夢の前なのだから、と自制心に火を入れて強めた。


 「今の鰐さんで二体目なんだ・・・これ・・・蜘蛛? アキちゃん、大丈夫だったの?」


 途端、瑛の両肩が「ギクリ」と飛び出しそうなほど大きく跳ね上がったからだろう、恵夢は何があったのか、を何となくだが察したらしい。

 彼女はそれをからかったりせず、あの瞬間の恐怖がフラッシュバックしかけて青ざめ出している後輩を豊かな胸の中へと抱き寄せると、無言で優しく撫でてやる。一瞬、いや、三瞬、「羨ましい」と思いかけた紅壱。


 「も、もう大丈夫です」


 瑛は少し頬を赤らめ、掌に押し返される感触を覚えつつ、恵夢から体を離した。


 「辰姫、体に異変は出ていないか?」


 少し考える素振りを見せてから、彼は「今の所は」と首を横に振る。

 体が妙に重くなったり、喉の奥がザラついたり、闘争心が異常に昂ぶってもいない。むしろ、「何かが欠けてしまった」と言う、儀式の直後からわずかにだが、確かに意識していた感覚が薄まっている。蜘蛛と契約した時はさほど感じなかったのだが、今、鰐と契約を果たせてからは、それがハッキリしていた。


 「でも、思ったより、スムーズだねぇ」


 「出された条件、素直に呑んでますから」


 揃って、ギョッと表情を歪める瑛と恵夢。


 「交渉もせずに、言われるままに首を縦に振っていたのか、君は?!」


 「そんな難しい報酬でもなかったんで。それに、あのサイズと戦うのは、ちょっと・・・」


 瑛に詰め寄られ、逆に驚かされた紅壱は困ったように笑う。


 「確かに、不必要な戦闘は避けるべきだし、君の行動も一概には大間違いだ、と私には否定できないが・・・・・・一体、どんな報酬を要求されているんだ?」


 妙に自分の事を心配してくれる瑛に疑問を感じつつ、紅壱はひた隠すような事でもないか、と巨大蜘蛛と巨大鰐に提示された召喚条件を口にした。


 「今の鰐は月一で鶏肉1kgを食わせる事、そんで、蜘蛛の方は召喚一度につき、絹製品を献上する事、これさえ守れば俺に危害を加えないみたいです」


 「と、鶏肉1kgって、ヒメくん、用意できるの?」


 「バイトしている店に肉を卸してくれてる精肉店に、別口で頼めば」


 事実、暮らしているアパートで出す料理に使う肉も、雇い主の口利きで安くしてもらっていたから鰐の方はまず、問題なかった。


 (蜘蛛の方は・・・・・・まぁ、絶対に無理ってわけじゃないから、どうにかなるな)


 絹糸を用いている衣服など、彼は持ち合わせていなかった。自分が欲しい、と言えば理由すら聞かずに輝愛子は用意してくれるだろう。しかし、彼女には決して頼りたくなかったので、自腹を切って買うつもりでいたのだが。

 「そうか・・・」と安堵の息を、胸を撫で下ろしながら吐ききる瑛。


 「どうして、会長がホッとしてるんすか?」


 「召喚された魔属・霊属の中には、体の一部や五感を要求する子もいるから」


 「良かったね」と何故か、恵夢は紅壱ではなく瑛の頭を撫でる。自分が霊属に命に関わる条件を出されたのではないと知って、ほぼ他人である瑛が安堵する理由は今いち想像できなかった紅壱だが、やはり、悪い気分ではなかったので、後頭部を所在無さ気に掻きつつ、「ご心配おかけしまして」と詫びる。


 「い、いや、心配などしてはいなかったぞ! 聡明な君が自分の命を易々と差し出すような愚行を犯すなど、微塵も思っていなかったからな」


 必死すぎる弁解に、恵夢が「あらあら」と呆れ気味の微苦笑、紅壱の唖然とした表情を見た瑛の桃色の唇がパクパクと開閉を繰り返した時、三人の鼓膜を悲鳴が打った。


 「エリ!?」


 今までの慌てぶりが嘘だったかのように、瑛が最初に声が聞こえてきた方角に向かって駆け出していた。 彼女の地面を強く蹴りつけた足音により俊敏はやく続いたのは、付き合いの長い恵夢ではなく、一ヶ月にも満たない紅壱だった。彼の反応の速さに驚きつつも、恵夢はそれを柔和な造りの顔には少しも出さずに、少し前を行く二人との間隔をすぐに埋めた。

瑛の怒りを爆発させてしまい、危うく、酷い目に遭わされるところであった紅壱

命からがら逃走に成功した紅壱は、恵夢が待っていた池に到着する

その池の中に落ちたエネルギー体は、巨大な鰐の姿を実体として得ていた

この大鰐との契約も無事に結び、安心したのも束の間、一同の耳を劈いたのは仲間の悲鳴

一体、太猿愛梨の身に何が!?急げ、辰姫紅壱!!

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