第百十七話 泣崩(break down crying) 夏煌、グリフォンの死に泣き崩れる
暴走したグリフォンが、街に出れば、大混乱は免れない
グリフォンが民間人を傷付けたら、その責任は、会長である瑛が負う事となり、グリフォンを育てていた夏煌も罪に問われかねない
苦渋の決断を下し、紅壱はグリフォンを高エネルギー弾で攻撃する
グリフォンは紅壱の攻撃に抗うも、圧倒的な実力差は覆す事は叶わず、その体は閃光に飲み込まれた
紅壱の放った魔閃光が発生した、とてつもない爆風が止まるのに、30秒はかかっただろうか。
「くっ」
魔力不足が原因で、常時よりも薄かった防御膜が消える前に、爆発が鎮まってくれたので、何とか起き上がる事が出来た瑛らは擦り傷こそ負っていたが、幸い、飛んできた破片などは体に突き刺さってはいなかった。
「お、大神!!」
夏煌は自分に覆い被さっていた瑛を半ば突き飛ばすと、一直線に走りだす、グリフォンの元へ。
横を通り過ぎる際に、夏煌は紅壱の乱れた呼吸音を聞いたが、俯いた顔までは見る事が出来なかった。
「・・・・・・・・・・・・」
まだ、爆心地から立ち昇っていた煙を手で払いながら、夏煌は中心へ進んでいく。
先の戦いで魔力をほとんど使ってしまい、魔術で煙を飛ばせるだけの風を起こせない事にもどかしさを覚えながらも、夏煌は微かに感じるグリフォンの体臭を頼りに、無事を祈るように、密かにグリフォンに与えようとしていた名をしきりに呟きつつ、必死に足を動かす。
ちょうど吹いた風で、やっと、煙が晴れたが、その刹那に、夏煌の、瞼が広がり過ぎて、今にも転げ落ちてしまいそうな目に映ったのは、巨大なクレーターと、周辺に待っている黒白の羽だった。
だが、グリフォンの姿は、陥没の中心はおろか、どこにもなかった。
頭の片隅に追いやっていた、夏煌は、その考えを。あの紅壱が全力で放った魔閃光だ、グリフォンは絶命してしまっているだろうし、肉片も消し炭になってしまったんじゃないか、と。
紅壱なら、グリフォンを可愛がっていた自分の気持ちを慮って、殺していない、消し飛ばしていない、と信じていた、いや、信じたかった夏煌。
その場で呆けた表情のまま、立ち尽くしているしかなかった彼女は、眼前にヒラヒラと羽が一枚、落ちてくると、自然に広げた掌でそれを受け止めていた。
その羽には、グリフォンの体温が、まだ残っているようだった。
「!!」
夏煌の小さな体は、怒気ではち切れんばかりに満たされる。
怒りの塊となった夏煌は身を翻した、と思ったら、紅壱の眼前まで迫っていた。
夏煌が、あまりにも高速で動いたために、皆の脳は処理が出来ず、フリーズしてしまう。脳のフリーズは肉体も硬直させる。
動けなくなっている事を皆が自覚できなくなった間に、夏煌は紅壱の右頬を全力で殴り飛ばした。
いくら、夏煌が小柄で、体重が軽くても、目に映らぬほどの速度で迫り、その勢いのままに、拳を全力で振り抜いたのだ、自分の手の骨が砕けるのも構わずに。
鞭で空気を売ったような破裂音が轟き、紅壱の頬は歪み、顔は背けられ、首も捻じれた。
紅壱ならば回避られたんじゃね、そう思う者もいるだろう。
当然だ、修一の防御力が、あらゆる攻撃に耐え切る頑健さにポイントを全て振り込んでいるタイプならば、紅壱は攻撃を先読みして動く俊敏性と喰らってもダメージを減らす技術力へ均等にポイントを割り振るタイプだ。
今の一瞬こそ、桁違いのスピードで動けた夏煌だが、彼女は疲弊しきっている。夏煌が本調子であっても、紅壱であれば、自身も疲れていたって、あの程度の一撃は余裕を持って避けられていた。
それでも、紅壱が夏煌の小さな拳に籠った怒りを甘んじて、頬に受けたのは、彼の勝手な謝罪の形である。
この程度で夏煌に許されようとも思っていないし、許されるなんて甘い考えでもない。ただ、友人を泣かせたケジメを、この形で付けなければ、彼はスッキリできなかった。
その代わり、紅壱は自分を涙が溢れかけている瞳で睨んでくる夏煌へ、その頭を安易に下げなかった。
グリフォンに対し、あの行動を取った事に関し、紅壱は自分の判断を後悔せず、間違っていた、とも思っていなかった。
心の痛みだけでなく、体の痛みも強く、ついに、夏煌はその場に崩れ落ちると、思わず、鳴が両耳を掌で塞いでしまうほどに、大きな声で泣き始めた。
初めて、自分らの前で哀しみの感情を大爆発させた夏煌を、ぎこちなく、だが、懸命に黙って慰め始めたのは、彼女と紅壱の恋人の座を真剣に争っているライバルの瑛だった。
彼女に夏煌の事を任せれば大丈夫、任せるしかない、と恵夢と愛梨は目配せし合うと、瑛に背中を撫でられている夏煌を恨めしそうに見ている鳴を引きずって、この一件の処理を開始した。
紅壱も手伝うべく、その場から足を浮かせた。だが、「お前はイイ」と愛梨にハンドサインで言われてしまう。恵夢の方を見れば、彼女も優しい表情でウィンクをしてきた。
先輩命令であらば、逆らう訳にもいかないので、紅壱は言葉に甘え、体を休める事にした。
それでも、気分は簡単に浮上せず、つい、紅壱は溜息を漏らしたくなる。
(どうして、こうなっちまったかねぇ)
夏煌を、より傷つける訳にはいかないので、溜息を噛み砕いた紅壱は地面へ背中から倒れ込み、空を見上げて思い出す、夏煌がグリフォンの卵を拾う事になった日の一日前から。
「まったく、タイミングが悪ぃな」
苛立ちも隠さずにボヤく愛梨を、恵夢は柔和な笑顔で宥めた。
「しょうがないわねぇ、怪異はコッチの都合なんて知った事じゃないんだし」
「アタシらは、まだ良いけど、お前ら一年は災難だよな。
明日は、校外学習って建前のゴミ拾いに行かされるんだから」
そう、愛梨の言う通り、明日、紅壱たち一年生は学園からバスで2時間ほどの所にある標高1369mほどの山を登り、その道中でゴミ拾いをする事となっていた。
できれば、今夜は、体をゆっくりと休めておきたかった。明日の校外学習で体力を使うからではあるが、ゴールデンウィークの半ばには例の『組織』による新人の検査がある。
けれども、そんな一年生もパトロールに加え、町の巡回を行わねばならない事態が起きてしまっていた、よりにもよって、瑛の管轄地である、このエリアで。
「もう少し、あっちなら、他校の管轄だってのに」
「そういう事を言うもんじゃないぞ、エリ」
鋭い目つきで親友を窘めながらも、瑛は似たような事を想っていたのだろうか、言葉に力は乏しい。
後輩らが、明日、自分らも苦行に感じた校外学習に出向かねばならないのは、今回の企画を生徒会長として認可した己が、よく理解している。
出現したと思われる怪異が、ゴブリン程度であるなら、今日の見回りの番である愛梨と恵夢に任せるのだが、そうはいかない事態になっていた。
数日前に、鳴が掴んで来た噂話を精査したところ、どうにも、厄介な魔属が偶喚された可能性が出てきたのだ。
もしも、瑛の予想が正しければ、さすがに、その個体は、いくら、場数を踏んでいると言っても、愛梨と恵夢だけに押しつけるのは憚られた。
その為、瑛は、一年生らも夜間巡回に同行させる、そんな苦渋の決断を下したのだ。
当然、嫌だ、と言う者はいなかった。明日の校外学習のキツさを知らないから、それもあるだろうが、ひとえに瑛のカリスマ性が高い証拠だろう。
罪悪感を振り払うと、瑛は一帯の地図を見つめる。
「一年の内藤が怪物を見たらしいのは、この辺りか」
「この辺りは空き家も多いですから、日中はそこに隠れてるのかも」
鳴の読みに、瑛は小さく肯いた。
「ありえるな」と彼女に認めてもらい、鳴の表情は緩んでしまう。
そんな後輩の後頭部をコツッと叩いて、油断すんな、と諫めたのは愛梨だ。
「アキに褒められたくらいで、気ぃ抜いてんな、ナル」
「すいません」
愛梨は手加減したつもりだろうが、「コツッ」でも、並みの人間からすれば、脳震盪を起こすほどの威力がある。有事に備えて、防御力を呪文で先に高めている鳴だからこそ、涙ぐむだけで済んでいるのだ。
夏煌は、立ち昇る爆風の中で、グリフォンの姿を探す
しかし、グリフォンはどこにもなく、夏煌の心に絶望が過り、それを消し去る程の怒りが爆ぜる
夏煌の怒りが籠った一撃を、紅壱はあえて、頬で受けた
夏煌に殴られるのを覚悟した上で、紅壱はグリフォンを攻撃したのだから
それでも、彼は考えてしまう、どうして、こんな事になってしまったのか、を