第百二話 返答(answer) 紅壱、愛梨からの問い掛けに答えを返す
ボクシング部から生徒会室に戻る最中で、愛梨は紅壱と会い、雑談に興じる
彼にお菓子作りを教えて貰う約束を取り付けた愛梨は、唐突に、紅壱へ質問をぶつけた
彼女から、いきなり、自分にとっての強さは何か、と聞かれ、戸惑う紅壱
だが、愛梨は真面目に知りたがっていると感じた彼は、おふざけなしで、自身の考えを語り出す
「・・・・・・随分と、哲学的な質問ですね」
質問のタイミングは唐突で、内容も想定外だったので、面食らいこそした。だが、愛梨が口には笑みを浮かべながらも、ふざけて聞いたわけでなさそうなのは感じ取れたので、紅壱も真剣に返答る事にした。
「そうっすね、俺にとって、『強さ』は必要な物です」
「必要な物?
目的や目標じゃないのか?」
「目的と言えば目的ですし、目標にもしてますけど、どちらかと言えば、手段に入りますね」
今イチ、愛梨に自分が言いたい事が伝わっていないな、と感じた紅壱は、説明を重ねた。
傍からすると青臭い語りではあるが、語る方も、聞く方も、恥ずかしい、とは微塵も思っていなかった。
「俺は、自分の野望を叶える為に、強くならなきゃいけないんです。
だから、一つ強くなったら、そこで満足しないで、俺は、次の強さを手に入れるための努力をしたいんですよ」
「最強を目指しているのか?」
「俺にとっちゃ、最強なんてのは、ただの言葉と踏むべき過程でしかないんですよ。
俺の野望は、最強になったくらいじゃ、叶えられないんで」
これまた、厨二病じみた発言をする紅壱だが、彼の笑顔は底抜けに明るく、なおかつ、純粋だった。なので、愛梨は「そうか」と、紅壱の発言を素直に受け入れられた。
不良のテッペンを獲る、その辺の不良が口にしていたなら、鼻で笑い飛ばすか、侮蔑の視線を向けるべき発言。なのに、紅壱ほど、現時点で、桁違いの戦闘力を有する男子高校生が口にすると、尋常ではない真実味を帯びていた。
ここで、会話は止めるべきか、と愛梨の野生の勘は、警鐘を鳴らすべきか、迷いあぐねていたが、愛梨は好奇心にブレーキをかけられなかった。
「そんで、お前の夢ってのは、何なんだ? 教えてくれよ」
話の流れとしては、当然の質問だ。何ら、不自然ではない。
愛梨でなく、瑛であっても、自身の興味に「待て」をかけられなかったに違いない。瑛は、紅壱に純粋な恋愛感情があるから、尚更だ。
紅壱もまた、瑛に本気の恋愛感情を抱いている。けれど、瑛が質問者であったとしても、彼は愛梨にしたのと同じ返しをしていただろう。
「秘密です」と、悪戯っぽく、紅壱は口角を吊り上げ、唇の前に人差し指を立てた。
愛梨だからこそ、そのリアクションで、紅壱は、絶対に喋らない、と判断を下せた。ここで、追及を諦めた、それは「英断」と表すべきだろう。
彼女の勘は、かつて、オーガと対峙した時に等しい大音量で、警告音を発していた。
もしも、ここで、おふざけ半分で、先輩風を吹かせて、紅壱に話させようとしていたら、どうなっていたか、愛梨は想像するだけで、寒気を覚えてしまう。
大胆不敵、その四字熟語が女子高校生の制服を着ているようだ、と言われる愛梨が、だ。
(もし、コイツの夢ってやつを聞いてしまったら、アタシは・・・後悔すら出来なくなる)
「そっか、秘密か。じゃ、しょうがないな」
動揺を決して、表情に出してしまわないよう、必死に努め、愛梨は残念そうに頭を掻く。
「すいません」
「いや、気にするな。誰にだってあるよな、秘密にしておきたい事くらい。
けど、頑張れよ、その夢が叶えられるように」
その言葉で、紅壱が首を縦に振りつつも、苦笑を隠せていなかったので、愛梨は踏み込まなくて正解だった、と自身を褒める。もちろん、その安堵も、表情に出さない。
「そろそろ、生徒会室に戻らないとマズいか。
じゃ、お前もバイト、今日も頑張れよ」
「あざっす。
じゃあ、エリ先輩、買い物、お願いしますね」
「おうっ」と拳を上げた愛梨へ頭を下げて、紅壱は改め、彼女を見送る。その心中で、彼は愛梨が材料の量が3倍になっている事に気付かなくて良かった、と安堵する。
教える以上は、成功させる、美味しい、と言える物を作らせるつもりだ、紅壱は。
だが、トラブルはいつだって、予想していない方向からやってくる。備えておくに越したことはないだろう。
用意しておいた言い訳を使わずにホッとしつつ、紅壱も自転車置き場へ向かっていく。
「たっだいまー」
瑛は、戻ってきた愛梨に、何も言わなかった。
親友の表情を視れば、得る物が充分にあった、と分かったのだから、言うべきことはない。
もっとも、ボクシング部からの帰りに、紅壱と歓談した、と知ったら、好きな相手が帰ってしまい、寂しいな、と分かりやすく落ち込んでいた瑛は激怒しただろうが。
生徒会の業務がつつがなく片付き、瑛らと校門前で別れると、バスは使わず、走って駅へ向かう愛梨。
バスを使わなかったのは、自身の脚力を強化する事も目的だったが、それ以上に、バスの中で、目的地へ到着するまでの間、大人しく座っていたら、自分は、きっと、恐怖の念に屈して、叫んでしまう、と予想していたからだ。
怖い、と思ったからこそ、愛梨は質問を重ねなかった。しかし、興味が完全に消えうせた訳ではない。
本気で(道を壊さない程度に)走りながら、愛梨は考えに耽っていた。
(一体、アイツの夢って何なんだろうなぁ)
誰もがなりたい、憧れの「最強」が、成就させるために必要な最低限の要素だ、と紅壱ほどの猛者が言うのだから、並大抵の努力で成就できないものであるのは、瑛に劣らぬほど、純粋な強さに焦がれる愛梨だからこそ察せる。
故に、知るのが恐ろしい、と思ってしまったが、気にはなる。
今の強さでも、紅壱なら、大半の望みは叶えられるはずだ。にも関わらず、彼の目は語っていた、まだまだ遠い、と。
そんな男の目を間近で見たのだから、気にならないと言ったら嘘になる。
駅への近道に入るべく、角を曲がった愛梨の脳裏に、ある推測が浮かんだ。
「いや、ないない」
その手のライトノベルの読み過ぎだろ、アタシ、と愛梨は突飛な想像をしてしまった自分に苦笑いし、首と手を横に振り、その考えを振り払う。
(アイツが、魔王の生まれ変わりで、その力を取り戻そうとしてるなんて、ありえねぇって)
よもや、自分の予想がニアピンだとは露知らず、愛梨は邪念を頭から追い出したついでに、これからする買い物に集中力を傾ける事にした。
「よしっ、絶対、アイツに美味いシュークリーム作るぞ!!
そんで、絶対、アタシに惚れてもらうッッ」
恋する乙女の雄叫びは、どこまでも響き渡った。
あまりの大音量に、周囲を、それぞれの目的地に向かって歩いていた人々は、仰天してしまう。
けれど、愛梨の顔が恋の色に染まり、雰囲気も甘酸っぱかったので、皆、微笑ましい気分で、彼女を見送るに留めたのだった。
ディナーの混雑も落ち着き出した頃。
ミディアムレアに焼いたビーフステーキと、溶かしたチーズをかけたフライドポテトを客に出し、調理場に戻る短い間に紅壱は、ふと、思い出す、食々菜らとの会話を。
(森の東側は、妖怪の支配領。
ってことは、多部店長も、そこの出身か)
実力不足である、と判断されて追い出され、人間界に来たのか、もしくは、並みの妖怪では行動を制限できないほど強いゆえに、人間界で好きな事をして暮らせているのか。
「まぁ、後者だろうな」
多部の正体は、一度見ただけだが、二口女だろう、と察しがついていた紅壱。
二口女が妖怪として、『組織』の中で、どれほど、危険な存在として認知されているのか、その点は判らないが、少なくとも、あの男爵が低姿勢なのだから、相当だろう。もしくは、多部が、個として強いのかもしれない、相当に。
妖気とでも言えばいいのか、強さを測る指針の一つとなるオーラが、ほぼ感じられない点からも、紅壱は彼女の実力が、文字通り、バケモノ級である、と理解できた。
強い者ほど、己の力の底は、簡単に気取らせないものだ。
見かけと雰囲気で弱い、と測り誤った雑魚は簡単に返り討ちにされるだろうし、強さが正確に計れないからこそ、力の差を痛感できる、ある程度の実力者は手が出せなくなるに違いない。
そもそも、多部に対し、敵意を抱く理由が紅壱にはないのだが、それでも、彼女の強さが視えない事には、少なからず、ショックはあった。
それを打ち払ったのは、扉のベルの音だった。
「いらっしゃいませ」
ほぼ脊髄反射で、来店を歓迎する挨拶を快活な声で発する紅壱。
その客―女性だった―は、しばらく、店内をキョロキョロと見回した後、案内に向かったウェイトレスと二言三言ほど交わしてから、躊躇いがちにカウンター席へ腰かけた。
一人でも、今の時間ならテーブル席に案内しても構わないのだが、どうやら、彼女は店に気を使う性質らしい。
紅壱は、客へ水とおしぼりを出す。その際、客が知った顔だったので、彼は少し驚きそうになる。
その女性客の印象を、一言で表現するのであれば、野暮ったい、であった。
赤茶けた、背の半ばまである髪は日頃の手入れが十分でないのか、艶が少ない。また、ボリュームがあると言えば、聞こえはいいのだろうが、実際はもっさりと膨らんでおり、あちらこちらへと跳ねまくっていた。化粧もしておらず、そばかすが目立つ。
かけている眼鏡も理智的なイメージを抱かせたりはせず、むしろ、がり勉委員長だな、と思わせる、レンズが分厚いタイプのものだった。しかし、安物でないのはフレームの色味を見れば、察しが付く。解る者であれば、彼女の金の使い方が正しい、とセンスを褒めるかもしれない。
衣服にも頓着が無いのだろう、その女性が袖を通しているセーターはだぼっとしており、至るところが伸びきってしまっている。さすがに、下半身の方までは見えないし、見る気もないのだが、恐らく、値段的には上と大差はないだろう、と紅壱は考える。
ただ、女性として出るべき部位は、しっかりと自己主張しており、髪型、化粧、衣服をしっかりチョイスして、大きい町を歩けば、これまでとは違った意味合いで、男性らの視線を注がれるだろう。その視線は、些か下劣なものになる可能性は高そうだったが。
己の中で回復に努めているアバドンを復活させる、それが紅壱の野望
その野望を達成させるには、何が何でも強くならねばならない
最強ですら、まだ足りぬ、と強欲さを剥き出しにする後輩に、愛梨は一抹の畏怖すら感じてしまうのだった
これ以上は聞かない、英断を下せた愛梨と分かれた紅壱はバイト先の「うみねこ」に向かう
忙しさも一段落した時分に、来店した客は彼が知っている人物であった
果たして、誰が来店したのだろうか