上.退魔の銀矢
人狼ゲームがモチーフの童話風小説です。
丸く満ちたお月様が空の天辺にまで昇った、明るい夜のことでした。
「おや、八卦見さん。こんな夜の深い時分に、一人ですかい?」
声を掛けられた面紗の少年は露骨にしまった、というような顔をしました。
しかし、それが自らのよく知った青年から発せられたものだと分かると、緊張を解いて大きなため息を吐きました。
「ええ、少し夜風に当たりに。どうかこのことは村長さん達にはご内密に」
「勿論。そうでないと俺が出歩いたのも知れちまいますから」
そう言って青年が笑います。
実は、彼らが住んでいる山間の小さな村には現在、夜間外出禁止令が敷かれているのです。
“人狼”と呼ばれる、昼間は人間、夜は狼の姿をとる化け物のせいです。
四、五日前からこの村に出回るようになった彼らは、自らの腹を満たすために夜な夜な村人達を襲いました。
最初は粉引き屋の女主人。次の日は教会の神父、その次の日は村長の孫娘。
そして昨朝、とうとう青年の家の隣に住む彼の叔母までもが犠牲になりました。
「明日の分の“占い”はもうお済みで?」
青年の問い掛けに、少年はお手上げだと言わんばかりに肩を竦めます。
「いえ。それが、ずっと誰を占おうかを考えていたのですが、行き詰まってしまいまして」
襲撃に困り果てた村人達は、ご先祖様がかつてそうしたように村に伝わる秘術――一昼夜に一度だけ、ある人が人狼か否かを判別できるという卜占の一種――を使って人狼を炙り出すことにしました。
しかし、村民会議の場で二人の人間が「自分こそが秘術を継いだ占い師である」と名乗りを上げました。
一人は花屋の看板娘。そしてもう一人が八卦見を生業とする、この面紗の少年という訳です。
それを聞いて村民会議は大いに荒れました。
人狼かどうかを見極める秘術は一子相伝です。
つまり、一人のお師匠様がその生涯で術を教えることができるのはたった一人のお弟子さんだけということです。
それにも関わらず先代の弟子を名乗る人間が二人もいるということは、どちらか一方、下手をすれば両方が人狼による成り済ましであることを示していました。
「何の根拠も無しにただ闇雲に占っては、僕自身が場を撹乱する人狼だと看做されかねませんからね。誰を視るのかは慎重に決めていかないと」
二人とも始末してしまえば少なくとも一匹は人狼を退治できると主張する者もありましたが、結局、二人の自称占い師は泳がせておいて毎日の占いの結果と、村に伝わるもう一つの秘術――前日の死者が人狼であったか否かを夢に見る霊能力――との整合性を見ることで、偽者がボロを出すのを待つことになりました。
「俺はあんたのこと、信じてますよ。俺のことを白って言ってくれたし」
「村人が皆、アナタみたいだったらいいんですがねえ。四六時中、互いに疑り合う生活にはもううんざりです」
少年は、先程とは違った感情を込めたため息を吐いて目を伏せます。
彼の表情を曇らせている原因は、最初の犠牲者が出た直後の話し合いでなされたもう一つの決め事にありました。
それは、村民協議による人狼容疑者の処刑です。
なんと人狼の被害が止むまで、一日に一人ずつ吊るしていくというのです。
占い師と霊能力者が一日に一人ずつ白か黒かを判定している間にも、人狼は村人を襲い続けます。
悠長に全ての結果が出揃うのを待っていては村人達は皆、人狼のお腹の中に入ってしまうでしょう。
それを防ぐためには、どうしてもこちら側から仕掛けなければなりません。
――人狼の成り済ましでない、正常な村人が多数派であろう今のうちから手を打っておかないと本当に手遅れになってしまう。
最初の襲撃で婚約者を亡くした若い村人は涙ながらにそう訴えました。
当然のように他の村人達からは反対意見が噴出しましたが、それを封殺したのは村長でした。
――異を唱えているのは村人に扮した人狼、そういう風に考えることもできるな。
その一声に場は静まり返りました。
――何十年も生活を共にしてきた村民同士で腹を探り合い、“人狼と思しき”という曖昧な理由だけで処刑してしまうなんて、ばかげている。
――でも、反対に強く出れば村長が言ったように自分が人狼だと思われてしまうかもしれない。
村人達は疑われることを恐れました。
その結果、賛成者多数で処刑協議の提案は受け入れられることになったのです。
「……あの、俺でよかったら散歩、付き合いましょうか」
青年は議論の場での不用意な発言から人狼容疑を掛けられ、吊るされかけていたところを面紗の少年が出した白判定によって救われていました。
つまり彼にとって、少年は命の恩人です。
命の恩人の役に立ちたいという、損得勘定抜きの率直な申し出でした。
「いいんですか? 考え事をしながらですので、長引くと思いますよ」
少年は驚いたように青年を見上げます。
それに対して青年は頷き、少し照れくさそうにして言葉を付け足しました。
「俺も寝付けずに出てきたクチなので、ご迷惑でなければ」
「では、お言葉に甘えて。もし人狼に出くわしても恨みっこナシですからね」
まだあどけなさの残る笑みに釣られて、青年も思わず口許を緩めました。
――化け物にこんな表情ができるものか。本物の彼になら、話してもいいだろう。
そう考えた青年は、後ろ手に隠し持っていたとっておきを少年の前に差し出しました。
「そうしたら、人狼のヤツにこいつを見舞ってやりますよ」
「それは」
青年の手中にある銀色の矢はお月様の光を浴びて、冷たい光を放っていました。
薄絹越しでも分かるその眩しさに、少年は思わず目を細めます。
「驚きました。アナタが持ち主だったとは」
これは青年の家に代々伝わる“退魔の銀矢”と呼ばれる弓矢で、矢尻に刻まれた呪文のおかげで人狼を退けることができる特別な代物なのです。
ただし、その呪文はお月様が出ているところでしか使えないという弱点がありました。
ですから、青年の一族はそれを人狼に悟られぬよう、銀矢の存在を誰にも言わずに暮らしてきました。
そのせいで村人達も人狼達も銀矢のことをすっかり忘れてしまい、今では“大昔にそのような物があったらしい”ということが僅かに伝わるのみになっていたのです。
「まあね。でも、村の皆には内緒ですよ。白だと信じてるあんたにだけ特別だ」
半ば伝説と化していた銀矢の実物を目の当たりにして、少年は何とも言えない高揚感を覚えました。
そして青年さえ自分に付いて来てくれれば、怖いものなんて何もないように思えたのです。
「それでは、丘の上の教会までご一緒していただけますか?」
「ええ、喜んで」
遠慮がちに歩き出した小柄な少年の影を、青年の大きな影が追いはじめました。
後半へ続きます。




