第7話
理穂と昼食をとったり三越などでショッピングの時間を過ごした向井は、彼女と別れ家路へと着く。日本橋から地下鉄など乗り継ぎ、夕方七時過ぎには地元駅に到着した。
「ん、っあ~・・・・・・っ」
大きく欠伸をしつつ、いつものように駅前のスーパーやらコンビニやらに寄って食料品など購入する。
ミンミンミン・・・・・・じゅくじゅくじゅく・・・・・・昼間のセミと夜のセミが同時に鳴いている時間帯なのだろうか、いつもより耳障りが悪い。セミの鳴き声がこんなにうるさかったかなと、そんなことを思いながら自宅へと向かった。
「あ」
ハイツの門前で、ふと住民の一人と出くわす。一〇二号室の、田野という中年の男性。今日も仕事だったのだろう、スーツのズボンにワイシャツ姿の頭からつま先まで、汗やホコリにまみれていた。
「こんにちは」
やはり努めて愛想よく声をかける向井。しかしその男性、田野はコクリとぎこちなく首を縦に頷けただけで、そっけなく一〇二号室に入っていった。「お仕事、ご苦労様です~」と言いつつ、それを見送った。
自分が引っ越してきた当初からあのように無愛想な住民に「何だかな・・・・・・」と思いつつも、まあそういう人もいるわなという思いで、向井も二階の自室へと上がっていった。
ひゅー。
二〇二号室。
やはり、隣室の隙間風も無視しながら。
○○○○○○○○○○
翌日は、仕事以外は特に何もなかった。いつもの時間帯に出勤して、やるべきことをやるだけの一日。ただ、それなりに良いことはあった。
「へぇ~っ。じゃあ、『ノア』とかも行くのー?」
「ん。まあ、昨日は違うトコでしたけど」
夕方。業務を終えて更衣室から出てきた向井に、先輩の小柴が気さくに尋ねてくる。ちょっとすれ違いさまに挨拶した際に、昨日向井が銀座に行ったことが話題に上がったのだ。
ちなみに『ノア』は、銀座にあるカフェの名前。
「友達と会って、ゆっくり出来る店が多いわよねー。銀座って」
向井が行った店の立地など伝えると、うんうんと頷く小柴。「そうですよね~」と、向井も相づちを返す。
「ああ~っ、でも良いなあ~。それ」
向井の肩から提げられたショルダーバッグに目をやりつつ、小柴は感嘆的なため息をつく。カバンのベルト辺りに、テディベアのマスコットがキーチェーンで飾ってあるのだ。
「まあ、何か昨日もらったんですよ」
キーチェーンに触れつつ、何気なくこたえる向井。昨日、銀座でいくつか店を買い物めぐりした際に、キャンペーンの景品でもらった物だった。
「期間限定ですから、早めに行った方が良い感じです」
向井が言うと、「うぅーんっ!」と声を漏らす小柴。「最近、あんまりお休み取れないからな~」と、悩ましげに続ける。
「欲しいです?」
向井がキーチェーンを外す仕草などすると、小柴はそれを押しとどめる。「自分で買わなきゃね~」と、もっともなひと言を。
「そろそろ、お休み取るかな~」
ため息まじりに、そう呟く。「あ、じゃあ・・・・・・」と、気づくと向井は口を挟んでいた。
「え・・・・・・?」
当然、小柴の方はキョトンと首を傾げてくる。無意識にそんなことをした向井は遅れ馳せにあたふたしつつ、しかし「えと。良かったら、あー、えと。店とか・・・・・・案内、させて下さい」と、辛うじて言いたい言葉を押し出すことが出来た。少し噛み気味になりつつ、それでも自然体を装いつつ。
ったく、経験ゼロのガキじゃあるまいし、何でこれくらいのことで口ごもらなくちゃならんのか・・・・・・。
『普段の自分』とまるで『真逆』な有りさまに、内心イラ立つ向井。しかし、今は職場で『こういう自分』なので、黙って小柴の反応を待った。
いきなりそんな風に言われた小柴は「え・・・・・・?」と、やや間の抜けた声を漏らし、しかし間もなく気を取り直したようだ。
「くす・・・・・・っ」
向井の顔を軽く見やりつつ、こそばゆそうに笑う。そんな柔らかい表情をする小柴に、向井はまた『柄にもなく』ドキッとした。
「じゃあ。予定が合えば、ね・・・・・・?」
そう言って、向井が返事などする間もなく、彼女は「じゃあ。お疲れさまでした」とスタッフオンリーのバックヤードから、表のフロアに戻っていってしまった。
「ん・・・・・・あ」
しばらく、向井はその場で呆けたように立ち尽くす。
つまり、彼女を休日に誘っても『オーケー』なのか、あるいは『体よくあしらわれた』のか、しばらく考え込んでみた。
「いや。ありゃ、オーケーってことなんだろうが」
バカか俺はと、苦笑いしつつ自嘲する。どう考えても、いわゆる『脈あり』の反応じゃないか。考えるまでもない。
あれくらいのやり取りで照れくさい態度を取るとか、本当にこの職場で働いている自分は、『普段の自分』とはだいぶかけ離れている。
「ま、いっか・・・・・・」
イラ立ちつつ、しかし段々と『そんな自分』も悪くないと思えてくる。
「二十五、だもんな。もう・・・・・・」
ふと、自分の年齢を呟く。いつまでも、『普段の自分』ではやっていけないということなのだろう。
何となく、『昔』と比べて自分が成長したなという優越感にひたりつつ、向井は職場を後にした。




