第5話
週明けに一度、朝から雨模様だった日がある。蒸し暑さの続く八月の時季だったが、その日に限っては割りと涼やかに過ごせた。まあ、雨が降ると移動が面倒になるので、良いこと悪いことが半々に、といった感じだったが。
向井の私生活もそんな感じで、その日は良いことと悪いことが半々に起きる。
「うわ雨かよ・・・・・・」
起床して真っ先に、外の様子に気づく向井。
とつ、とつと聞こえてくる規則正しい雨音は、朝から向井のやる気を削いでくる。
「これ、いつもより早く行った方が良いかな・・・・・・?」
ベランダの窓とスマホの時計とを見比べつつ、そう思案する向井。雨の日のデパートは、いつもより準備にかける作業が多い。その分早めに出勤することを奨励されてはいるものの、義務ではないし給料も発生しないとのことで(この辺は、デパートや百貨店ごとに違うらしいが)、あまり積極的にやりたがる従業員はいない。向井も、本音ではいつもの時間帯で良いと思うものの。
「んまあ、行くか・・・・・・」
しばし迷い、そう決める。トーストやスクランブルエッグなど、朝食の支度をさっさと始めた。
午前九時の前には、職場のデパートに出勤。やはり正社員の方々はすでに開店準備に取り掛かっている。フロア責任者の横手からは、「この時間帯に来てくれると助かるよ!」と歓待され、向井もまた開店準備に加わる。やはり、今日は早めに出勤して正解だったようだ。
○○○○○○○○○○
雨天とはいえ、フロアの客入りは普段とそんなに変わらない。むしろ雨宿りに利用する客も多いのだろう、絶え間なく何かしら応対が続くという感じである。時おり息切れしそうになりつつも、いつものように役目をこなしていく向井。昼の十三時に差し掛かる辺りで、ようやく自分の昼休憩に入れた。
「すいません、お昼お先にー」
すれ違う従業員にそう声をかけつつ、バックヤードまで向かう。今日は雨なので、あらかじめコンビニで買っておいたおにぎりなどを休憩室で食べることに。本当は、少し並んででも牛丼屋の出来たてのテイクアウトなどが良かったが・・・・・・。
狭い通路、そこら辺の物など蹴飛ばさないよう気遣いつつ休憩室まで向かう。更衣室と兼用なので、男女で二つに分けられている感じ。パーテーションで区切られている、と言うのだったか。
向井がそちらの男子更衣室に入ろうとしたとき、ちょうどあちらの女子更衣室から誰かが出てくるところだった。
「あ」
と向井の姿に気づき、
「お疲れさまです」
と声をかけてくる女性従業員。向井も、
「お疲れさまです。小柴さん」
と挨拶を返した。
「今からお昼ですか?」
「ええ。まあ」
すれ違いさまに、そう声をかけ合う。そのま通路を行こうとする小柴に、向井はふと言葉を続けてしまう。
「今日、雨ヒドイですね」
「ん。あ、そうですよね~」
少々面食らったように、しかし愛想良く答えてくる小柴。そして、いきなり話題を振ったものの向井は自分が先ほどまで何を言いたかったのかも分からず、二の句に詰まってしまった。
おいおい、俺は一体何を言おうと・・・・・・。
「雨だと、あんまり寄り道も出来ませんよね~」
向井が一人、うだうだしていると、小柴の方が二の句を継ぐ。向井はそれにホッとして、「あ、そうですよね。家帰るしかない感じで~?」と、慌てて相づちを打った。
「小柴さんは、普段どの辺りに寄る感じなんです?」
と落ち着きを取り戻し、さりげなく問いかけを挟むことも出来た。
そうそう、こういうことが聞きたかったんだよ・・・・・・。
「ん。まあ、私はいつも・・・・・・」
思案しつつ、向井の問いに答えてくる小柴。銀座日本橋など、主に地下鉄で行けるところに足を向けるらしい。確かに、この地域からだと、そういう乗り換えなどスムーズに出来るだろう。
「自分もまあ、休みとかたまに行く感じですね~」
本当はそうでもないが、とりあえず調子を合わせる向井。「あ、そうなんですか~?」と、小柴。「休みの日とか、もしかしたらばったり会うかもですね~」と向井が言うと、小柴は「そうかもですね~」と無難に答えた。
うーん、今日はこれ以上は難しい・・・・・・かな。
「あっ、と。そろそろ行かないと!」
はっとしたように、小柴は踵を返してフロアの方に戻っていく。「すんません、お疲れさまです~」と言うと、「お昼ごゆっくり~」とやんわり返事が返ってくる。
小柴。肩下あたりまでの黒髪を後ろで一つに結っているので、彼女が一歩、二歩と行くごとにそのひとつ結いの房が小振りに揺れる。ここで働き始めてから、向井は気がつくとその後ろ姿ばかりを目で追ってる気がした。
やれやれと、我ながら単純な片思いに呆れている今日この頃。正直、いわゆる『脈あり』な雰囲気だとは思えないものの、まあ出来る範囲で頑張るしかないわけで。
「さて、メシ食わんと」
手早く昼休憩を済ませねばと思い出し、気を取り直し向井は男子更衣室の扉に手をかけた。
○○○○○○○○○○
夕方。いつもの時間帯に仕事を上がって、デパートから外に出る。
とっ 、とっ。
いつしか雨も止んでいた。あちこち、路面に水滴の跳ねる音がしている。
デパートの通用口、その軒下でしばしぼんやりする。耳を澄ますと、何となく仕事の疲れが和らぐような気がした。
「んっ?」
ふとスマホの着信音がして、向井はカバンからそれを取り出す。メール。その画面を開いて、しばし見入る。
「・・・・・・ん~っ、面倒だなぁ」
無意識に頭を掻きつつ、呟く。この間から連絡のやり取りをしている人物からで、近いうちに会う約束が出来ないかという内容だった。
「・・・・・・ん~っ」
どう返信すべきか悩みつつ、無意識に駅まで歩き始めていく。明後日が、バイトのシフトの空いてる日だが・・・・・・。
とりあえずその日の空きを伝えると、すぐに了解の返信が返ってくる。一分くらいか、いやまだスマホの時計の分数も変わらないうちに。まるで、メールを受信するや即座に返信と送信ボタンを押したような、そんなタイミング。
は、早ぇーな、おい・・・・・・恐ぇーよ。
そのメールを、若干褪めた目つきで眺めつつ、向井は深くため息をつく。
メールの主は、自分が東京に住んでた頃からの知り合いだが、東京で付き合った知り合いには、正直あまり会いたくない気分なのである。特に、このメールの主には。
あー、明後日イヤだな~・・・・・・。




