第4話
平日は過ぎていき、週末に入った。日曜日。今日はバイトもないので、起床から少し遅めの始まりだった。
ミンミンと、セミの声。白い雲間から射し込む日差しの強さに「うへぇ・・・・・・」とヘバりつつも、ベランダで洗濯物を干していく向井。洗濯機は置けない所なので、洗濯には近くのコインランドリーを利用していた。
「暑っつ・・・・・・」
額の辺りにかいた汗を拭いつつ、愚痴るように呟く。クーラーは点けたいものの、しかし日中は多少の我慢も必要だろう。一人暮らしの電気代も、意外とバカにならないのだ。
「今日来んのか~」
ふと今日の予定のことを思い、面倒くさそうにため息をつく向井。午後から来訪の予定があるのだが、正直今日は誰にも会いたくない気分だった。
まあ、もうすぐその午後になるのだが。
洗濯物を干し終える頃にスマホの着信音が鳴り、メール画面を開く向井。案の定、来訪予定の人物からで、そろそろこちらに着くらしい。「ふうっ・・・・・・」とため息をつきつつ、向井はその人物の迎えに家を出た。
○○○○○○○○○○
最寄りの鉄道駅、東武○△線、△□駅まで徒歩で向かう。鉄道の沿線沿い、熱射の照りつけるアスファルトの道は、一歩行くだけでもうシンドいのだが、それが一周回って暑さに慣れた今日この頃。しかし暑いものは暑い・・・・・・。
駅前の広場、街路樹の木陰辺りで待つことに。
上りと下りの電車がいくつか通過すると、向井の見知った待ち人が駅舎の階段を下りてくるのが見えた。
「慎ちゃん」
向井の母親。片方の手に白基調のハンドバッグを、もう片方の手には物の入った紙袋なんかを持っていた。その紙袋の方を受け取りつつ、向井は「お疲れ」と、少しぶっきらぼうな調子で頷く。
その母と一緒に駅前近くのスーパーに寄ったりしながら、二人で並んでハイツまで歩いていく。「バイトは休み?」とか「大丈夫だよ」とか、会話などしつつ。
ハイツの側まで行き着いたとき、ちょうど打ち水などしている大家の小松川さんと出くわした。
「あら、向井さん!」
柄杓を振るう手を止め、こちらに向き直ってくる大家さん。すると向井の母が進み出て、大家さんに一礼した。
「いつも息子がお世話に・・・・・・」
と、挨拶のテンプレートが始まる。さすがに「やめてくれ」とか子供じみたことは言わないものの、やはりこういうことは気恥ずかしいという思いがあった。
「いえいえ、こちらこそ・・・・・・」
と大家さんがテンプレートの受け答えをしたところで、向井の母が向井に、先ほど手渡した紙袋を寄越すように目配せしてきた。
「つまらないものですが・・・・・・」
そう言って、紙袋から丁寧に包装された贈答品の箱を取って手渡す。「まあまあ、お気を遣わせてしまって・・・・・・」と、大家さんは恭しくそれを受け取った。
「後で、またあらためてお礼に伺いますので・・・・・・」
そんなふうに、大家さんとの挨拶は済んだ感じだ。大家さんの側を通って、向井は母を伴いハイツの自室まで引き揚げていった。
「暑いよね?」
玄関から居間に入りつつ、向井はクーラーのスイッチを入れる。母親はキッチンの辺りでスーパーの買い物を広げながら、
「お昼は、食べたの?」
と聞いてきた。「まだだよ」と答える向井。本当は朝食が少し遅かったのでそんなに空腹でもないが、まあここで「いらない」と言うほど、もう子供でもなかった。
○○○○○○○○○○
久々に、母親の手料理を食べた。ざる蕎麦に豚肉の冷やしゃぶ、とろろ芋ののったサラダなど、まあ夏なので冷製のメニューを軽い感じに。いつもはほとんど出来合いのものばかりで済ませてしまうので、美味い食事は素直に嬉しかった。
食事を終えた向井がダイニングの席でぼんやりしていると、母は食器を片したりダイニングテーブルを拭いたりと、忙しく家事などやり始める。まあここに来た日はいつものことなので、向井はありがたく一切を任せていた。
食器洗いから部屋に掃除機をかけるところまでひとしきり終わった頃、母は「ふうっ・・・・・・」とひと息つきつつ、向井の向かい側のダイニング席に腰を下ろした。
「あー、ありがと」
やはり気恥ずかしい気分になりつつ、向井は礼の言葉を口にする。「お茶、淹れようか?」と言って、急須とカップを用意した。
「ありがとう」
ティーバックの緑茶に電気ポットからお湯を注ぎ、淹れた緑茶を机上の母の手元に差し出す。母は礼を述べつつ、冷まし湯しつつ茶をひと口飲んだ。
「それで、だけど・・・・・・?」
ふと母がこちらに問いかけるように切り出したので、はたりと姿勢を正しつつ身構える向井。まあ、実家・・・・・・神奈川県の○△からわざわざ訪れてくるくらいなのだから、親として言いたいことや言うべきことはあるのだろうと、ある程度予想はしていたものの。
「ん。だから分かってるって」
努めて冷静な口調で、そう頷く向井。もう子供ではないので、親に口酸っぱく言われたくらいで「うるせえ!」と議論を投げる真似などは、さすがにしなかった。
「九月までは、一人でやる。そしたらちゃんと帰るから」
と、母の言わんとする要件を口にする。この一人暮らしも、実は今年の九月の終わりまでが期限だと決められている。実家は神奈川県の○△でそこそこの旅館業を経営していて、九月が終わったら正式に旅館の仕事に従事して家業を継ぐ修行をすると、両親と約束したのだ。
「そう・・・・・・」
向井の返事に、母はホッとしたような、不安を一抹抱いてるような、そんなため息を漏らす。まあ、そういう反応は致し方ない、と向井は思っている。
『昔』は、そう思われても仕方のない自分だったのだから。
「バイトの方は、しっかりやってるの?」
と、母が続けて聞いてくる。「やってるよ」と頷きながら、
「朝の開店準備とかさ」
と、事実を告げる。
「そう・・・・・・」
やはり不安そうにしながらも頷く母。「まあ、様子見に来たきゃ来ても良いけど。いつでも」と少しぶっきらぼうに呟くと、母は「それなら良いの」と、静かに取り繕った。
まあ、そんなこんなで近況やら、家族で交わすとりとめのない会話をして過ごす午後の時間だった。
○○○○○○○○○○
夕方頃には、母は帰る運びになった。行きはロマンスカー、帰りは、父が車で迎えに来ることになっているらしい。休日で、旅館の方は多分盛況のはずだが、母を気遣ってわざわざ来るのだろう。そう、決して息子の自分のためではない。
「これ、持っていっちゃって良いの?」
と母。先ほど大家さんからお返しに頂いた漬け物の小瓶を抱えつつ、そう尋ねてくる。「一人じゃ食べきれないから」と向井。
小瓶を持ちやすいように、その辺から手提げのビニール袋を二、三枚重ねて渡す。行きと同じように、駅前まで母を送る。
「お父さんも、心配してるのよ?」
やはり茹だるような暑さの中を行きつつ、母が言う。向井は、一瞬だけ「トラブル起こすかどうか?」と言いそうになったが、しかし口をつぐみ、「ふーん」とだけ返した。 そんな皮肉を思ったように言っても母を傷つけるだけで無意味だと、さすがに学習している。
「まあ、秋には帰るから」
と、適当な言葉を続けた。ミンミンと、セミの声。まだまだ、夏も半ばな時季。
「あ」
鉄道駅が見えてきたところで、母が広場の辺りに目をやる。向井も、広場の辺りに実家の自家用車が停まっているのを、何となく見てとった。
「じゃあ、気をつけて」
その場で、母に別れを告げる向井。正直、父に会おうとは思えなかった。これは、母親に対する反抗期の感情とは若干違っているかもしれない。
とにかく、嫌だった。
何が嫌なのかは、まあ自分でも思いがまとまらないものの。
そう、とにかく。
「せっかくだから・・・・・・」
と母は言いかけたものの、しかし向井の頑なな態度を悟って「じゃあね」と、違う言葉で結んだ。
「身体だけは気をつけてね」
そう言って、駅前の広場に歩いていく母。「ん、ありがと・・・・・・」と、向井は言えたんだか言えなかったんだかよく分からない返事を返す。それでも母には通じたようで、軽くこちらに手を振ってくる。その姿を見送ってから、向井は来た道をゆっくり引き返していく。
「はあっ・・・・・・」
独りでに出てくるため息。父の運転する自家用車など見て、少し気落ちしている。
どうせ俺のことなんか、迷惑にならない限りはどうでも良いでしょ、あの人は・・・・・・。
帰宅前にコンビニでも寄るかなと、そちらの方向に足を向ける向井。その道すがら、ふとスマホの着信音がした。
「ん」
ジーンズのポケットから、スマホを取り出す。メールが一通。それの差出人を見て、向井は再び「はあっ・・・・・・」とため息をついた。
「今度はこっちかぁ~・・・・・・」
メールの内容に、やはり気落ちする。週明けもまた面倒なことになりそうだ。
ミンミンと、セミの声。
まだまだ暑い日は続く。




