第13話
「で、さあ」
そんなことはどうでも良いのだと、向井。相変わらず部屋に閉じ込められている状態に苛立ちと焦りも感じつつ、
「そろそろ、部屋出たいんだけど?」
と、恐らく今もそこにいると思われる扉の向こうの者たちに向かって、大声で呼びかけた。
『・・・・・・出られると、思ってるんだ?』
友人の理穂から、ふととんでもない返事が返ってくる。「いや、いや、いや、いや!?」と、部屋をほとんど駆け寄るくらいの大股に歩いていき、
「だからもう開けろっつってんの!!!!」
と、玄関に向かって再び怒鳴り散らした。
「おい、理穂っ!?」
ドンドンと玄関扉を叩き、友人の名を呼ぶ。しかし、返事はない。
「ってか誰か大家さん呼んでこいよ!こんなん普通に犯罪だろ、全員訴えんぞ。おい!?」
それまでの自身の『過去』などどこへやら、いかにも被害者然な言いぐさをする向井。
もう、分かったから早くしろって・・・・・・。
『はい~?向井さん~っ』
と、声。『大家は、ここにいます~』と、大家の小松川。その、のんびりした声音にやはり先ほどから拭いきれない違和感を感じつつも、向井は「大家さんっ!!」と、扉の向こうに向かって声を上げた。
「開けて下さい!お願いします!!」
扉のノブをがちゃつかせ、何度か扉を叩く。「開か、っないん・・・・・・ですっ!お願い、っします・・・・・・よっ!!」
『あら、あら、あら』
大家の、やはりのんびりした言いぐさに焦燥を感じ、「どいつもこいつも・・・・・・っ!!!」と、怒り任せに扉を蹴飛ばす。
「アンタも、俺に何かいちゃもんある口かよ!?」
心当たりこそないものの、しかしもしやと思いそう尋ねる向井。高校・大学時代と、自分の『過去』にまつわるアレやコレやを糾弾され、もう言いたいことがあるなら早く言え、仕返ししたいんなら早く済ませてくれ、という気分だった。
『ん~んっ。私は~、アナタには特に何か~ということは~・・・・・・ん。ないんだけど、ねえ~』
「じゃあさっさと開けろよ仕事しろや訴えんぞ。オイっ!?」
扉を叩き、「早くしろ、早くしろ!」と早口に繰り返す。明日だって・・・・・・そうだ、明日は小柴先輩との『約束』が――
「ホント、お願いですから・・・・・・」
『でも、″アナタみたいな″人間がこの部屋に閉じ込められているのは、やっぱり″いつ見ても″良いものねえ~』
明日の予定を思い出しほとんど懇願しかける向井に、大家が返したのは非情なひと言だった。
『ねえ、三ツ木さん?』
と、次には二〇一号室に住む住人の名前を口にする。
『そうねえ~』
これまた、のんびりした口調の、向井と同じ階に住む三ツ木の声。老齢者らしい、力みのない間延びした話し方だが、これがまた更に向井を苛立たせるのだ。
『″いつものこと″ですからねえ~』
と、やはり向井にとって不利なひと言を。
「アンタら・・・・・・」
怒りと、得体の知れなさに恐怖し呟く向井。彼女らにとって、どうやら今の状況は予定調和らしい。向井がこんな状態に陥っているのも、まさに『ざまあみろ』というわけだ。
『そんなことは』
と、声。友人の理穂が、唐突に向井の呟きを遮る。
『そんなことは、どうでも良いのよ。向井君』
「んぁ?」
向井は苛立ちも恐怖も抑えつつ、努めて抑揚的に返事をする。これまでの話の流れからして、理穂にもやはり何か言われるのだろうという予感があった。『あらあら』やら『まあまあ』だの、老婆二人の声は聞き流しつつ、
「何か・・・・・・やったんだっけ。お前に」
と尋ねた。
『・・・・・・分から、ないかな?』
理穂の声。ポツリと、向井の冷たい物言いに、寂しげなひと言を呟き。しかし今の向井はそれどころではないため、「そりゃ、言ってくれなきゃなあ」と、やはり冷たく聞き返した。
『・・・・・・たの』
「え?」
扉の向こうから、薄っすら微かに聞こえる友人のかほそい声。「何が?」と、向井は聞き返し、
『だから・・・・・・だから、子供・・・・・・妊娠、っ妊娠したのよっ!!!』
と、衝撃的な事実を知らされた。
「・・・・・・は、っ?」
自分の口から漏れてくる、間の抜けた声。急なことに、理解も納得も追いつかない。一拍、二拍と、言われた言葉の意味を反芻し、やがて理解のみが追いついた。
「は、子供・・・・・・って、は、はあ!?はああああああぁっっ!?」
あまりのことに、素っ頓狂な声を上げるしか出来ない。こども、子供・・・・・・そ、それって、つまり・・・・・・いや、まさか・・・・・・。
「そりゃ。そ、っそれは、″アキラ″・・・・・・との・・・・・・?」
『アナタの子供よ』
恐る恐る尋ねかけた向井に、理穂の容赦ないひと言が返される。『間違いなく』と、あらためてだめ押しされた。
「そんな、の・・・・・・」
分かるのか、と聞きかけて、しかし途中で口をつぐむ。本当に違っていたら、理穂はわざわざ自分に会いに来はしない。″そういう″人間ではないこと、″友人″として、それだけは向井も分かっているつもりだった。
ただ依然、納得の方は追いついてこなかったが。
「俺、は・・・・・・」
ショックを受け、呆然とする向井。彼女に、言うべき言葉の一つも思いつかない。いや、「身体は大丈夫なのか?」とか、「ごめん」とか、いくつか定型文のような言葉は頭の中をよぎるものの、我ながら白々しいとしか思えないセリフだ。
「何で。今さら・・・・・・っ」
結局出てきたのは、また新たなイラ立ち。「何でもっと早く言わねえんだよ!この間会った日とか、何で--!?」と、またもや声を荒げた。
『認めてくれたの?』
と、理穂。
『言ったら、アナタは、お腹の子を、自分の子供だって・・・・・・認めて・・・・・・くれたの?』
その、ひと言、ひと言を、まるで向井の身体を杭で打ち抜くかのような容赦のなさで繰り出す。言われて、向井は文字どおり″ぐうの音″も出ないなと思った。
自分の性格じゃあ、否定して怒鳴り散らすだけだっただろう。
しかし。しかし、である。
「んで・・・・・・今さらなんだ・・・・・・よ」
何で今さらなんだと、その場にがっくり膝をつく。
明日、じゃないか・・・・・・せっかく小柴先輩と、あれだけ打ち解けてきたのに・・・・・・。
『会いたく、なかったわよ・・・・・・。私だって』
ポツリと、理穂が呟く。『でも、仕方ないじゃない』と、言葉を続けた。
『日に日に、お腹は膨らみ始めているし、身体の状態も変わってくるし・・・・・・。″アキラ″君は、まだ結婚の話は早いよね・・・・・・って感じの付き合い方だし、相談なんか・・・・・・そんなの、出来るわけないし。当の″アナタ″は、相変わらず″お遊び″の恋愛に夢中みたいだし・・・・・・』
やはり杭を打ち込むかのごとく、ひと言ひと言を口にする理穂。さすがの向井も、心こそ痛まないわけではなかったが、
「″遊び″じゃねーよ。″アレ″は」
と、言葉の一部分を否定する。自分も、確かに理穂のことを分かっていないのかもしれないが、しかし、分かっていないのはお互い様じゃないかとも思った。
『どうしたら良いのか、もう・・・・・・分からなく、なっちゃった』
向井の言ったことを聞いてか聞かずか、理穂が言葉を締めくくる。
自分の言いたいことは寸分取りこぼさずに聞いて欲しいくせに、相手が言ったことはいつも聞き流して、ろくすっぽ聞いちゃくれない。
これだから・・・・・・″女″は。
「は・・・・・・あっ」
依然、部屋から出られない状態だったが、向井の口からは何とも気の抜けたため息が漏れた。




