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第12話

神奈川県の○△。向井が、高校生時代まで住んでいた、彼の故郷(ふるさと)。そこで『世話になった』山川と言えば・・・・・・。


「今っ、さら・・・・・・っ!」


今さら何だと、ギリッと唇を噛みしめる向井。山川の声を発するその黒い影に向かって、恐れと怒りの入り交じった目を向ける。


--高校二年生の頃・・・・・・もう、八年も前の話になるのか--


「あんなの、よくあることじゃねーか。俺らが楽しくやってたときに、空気読まねーで邪魔してきたんはお宅のガキだろうが!あげく、公園で花火はダメだとか口うるさくギャーギャーと・・・・・・」


『・・・・・・それで、花火を持ってケンタのことを追い回したと?』


「チッ・・・・・・別に、本気で追い回したわけじゃねーし。ちょっとからかっただけだろが。あれくらいで大事(おおごと)にしやがって、マジめんどくさいヤツだったよ!!」


舌打ちし、山川の声がする″黒い影″に向かって舌鋒(ぜっぽう)を振るう向井。言われて、当時のゴタゴタしたあの日々がまざまざ思い起こされる。学校の呼び出し、親の叱責(しっせき)、被害者の子供が軽度とはいえ火傷を負ったとか、もう少し間違えれば取り返しのつかない怪我(けが)になっていたとか、実に煩雑(はんざつ)だった。


「もう少しで、大学の推薦(すいせん)もらえなくなるトコだったんだぞ!?ったく、本当に・・・・・・っ」


イライラと一緒に、そう()き捨てる。


そもそも(から)んできたのは向こうだし、子供はあっちへ行けと何度も言った。聞き分けが悪かったから、追い払った。今思えば確かに悪ふざけが過ぎた行為だったかもしれないが、あのときの件はすでに話がついている。大体、やったのは俺だけじゃない。一緒につるんでた″アイツら″も同罪じゃねーか。何で、俺だけ・・・・・・本当に、今さら・・・・・・しかしどうして、今の今まで山川の顔も声も、覚えているはずのものを忘れていたのだろうか・・・・・・。


『あなたは、ずっとソッポを向いていましたからね』


と、まるで向井の心情を読み取ったようなことを山川が言う。言われてみれば、そうだったかもしれない。自分に都合が悪いことなど黙ってやり過ごすものだし、いつまでも覚えていることもない。


誰だって、そうじゃないのか。


「で?」


と、つい先ほどまでの恐怖などすっかり吹き飛ばし、啖呵まで切る向井。 今さら何なんだと、問いつめるように正面の″黒い影″を(にら)んだ。


『飛び降りました』


と、山川の声。今まで冷静に話していたはずの、その声が、そこでかすかに震え始めた。


『自宅の、マンションの・・・・・・屋上から。全治三ヶ月です。今、ケンタは病院に入院しています。あなたの″あの件″以来、私たち家族は他所(よそ)に引っ越しましたが・・・・・・しかしケンタは″あの件″を忘れられず、今もずっと苦しんでいます。当然、転校した学校でもあまり上手くいかず、友人関係でも苦労を・・・・・・』


「それ、俺に関係ある?」


冷たく、()めた口調で言い捨てる向井。まあ、そう言いつつ関係ある部分も多いのだろうと頭では理解してはいたものの、しかし今さらそこまで責任を取れと言うのも、いくら被害者側とはいえ彼らの身勝手ではないのか。


『子供かよ、お前・・・・・・』


と、不意に山川の横から口を挟むように、濁りのない甲高い声がした。 山川の息子の・・・・・・タカシ。向井が高校生の頃は・・・・・・彼は生まれていないはずだが。


そうか。ケンタの弟にあたる、のか・・・・・・。


「あ?」


そんなことを考えつつも、しかし向井はそのタカシの言いぐさにカチンと来るものがあって、つい喧嘩腰(けんかごし)にうなってしまう。


『タカシ』


と、 山川が制するように()って入ってくる。『すみません、取り乱しました・・・・・・』と口にし、


『″ケンタの件″は、″コレ″を最後にしたいと思っています』


と言葉を()めた。


「だから、どういうつもりて・・・・・・」


言いかけた向井に、不意にまた目の前の″黒い影″が近づいてきて、ほとんどこちらを押し倒しにかかってくる。そのほっそりした″黒い腕″で胸ぐらを(つか)まれ(にら)まれる格好で、向井はまたもや呆気(あっけ)に取られるしかなかった。


『お前のぉ~っ!!』


今度はまた、山川やタカシとも違う誰かの声。『お前のぉ、っお前の・・・・・・お前の、っせいでぇ~っ!!!!』という言葉に、また面倒な話が始まるのかと、向井はため息混じりに悪態を()く。「何だよ!?」と、もはや恐怖を一周回ったような面持(おもも)ちで言い返すほどだった。


『書類がないからぁ俺は、っ俺はっ!!アンタが、アレ返さないから、っ俺は俺は・・・・・・っ!』


「っ、だからマジで何だっつーの!!!」


いきなり始まったこのうっとおしさに、向井もたまらず癇癪(かんしゃく)を起こす。自分の胸元を()め上げようとしてくる″黒い影″の″黒い腕″を、力任せに振り払おうとした。


「っ、はあっ、はあ・・・・・・!」


胸元を押さえ、浅く息を()く。″黒い影″を振り払えたものの、その″黒い腕″に触れた瞬間、自分の手にビリッとしたものを感じてショックを受ける。暗くてよく分からないが、手のひらの辺りにまるで火傷(やけど)でも負ったような傷みがーー。


「本当、マジ何なん・・・・・・?意味分かんね」


自分に理解出来ない種類の、目の前の現象に恐怖しつつ、しかし何度もお前のせいと言われ、また困惑もする。


何だ・・・・・・?コイツらは何で俺を・・・・・・。


『田野さんはね、向井さん』


と、横から口を挟むように、またもや山川の声がした。


『仕事で使う、大事な書類を無くしてしまったんですよ。そのせいで、職場での信頼を失ってしまいました。今も辛うじてその職場に在籍こそしていますが・・・・・・まあ、そういう状況だともちろん周りの風当たりは良くないですよね。いつ、人員整理でクビを切られるか・・・・・・ずっと、その恐怖と戦ってるんです』


山川が語り、時おり田野の鼻をすするような音も聞こえてくる。それに合わせて、向井が振り払った″黒い影″、それが地に突っ()して身を(ふる)わせるのも()っすら見えた。


「それも、俺のせい・・・・・・だって?」


『・・・・・・やはり、覚えていませんか』


すげなく言い捨てる向井に、再びため息混じりな言葉を返す山川。


『三年、ですか?田野さん・・・・・・?ん。そろそろ、四年近くになる?ええ・・・・・・新宿駅に向かう途中、向井さんに?』


「ち・・・・・・っ!」


一体、何が言いたいのか。自分の高校生時代の話をしたかと思えば、今度は三年前の話だ。大学生時代のこと。別にその頃、誰かに迷惑なんかかけて・・・・・・。


『ちょうど、サッカーの試合観戦で混み合っていた時間帯だったそうです』


「新宿・・・・・・三、四年前・・・・・・サッカー?」


そのキーワードに、ふと考え込む向井。言われてみれば、確かその頃は--


「ん・・・・・・あ。ああ・・・・・・あ!?」


やおら、思い当たる(ふし)の記憶に行き着き、思わず(こぶし)で手のひらを(たた)く。


そう言えばその頃、新宿くんだりで飲み歩いた記憶が・・・・・・。


「ああ、ああ・・・・・・。はい、はいはいはい・・・・・・」


どこかの飲み屋で、サッカーの試合か何か観て、飲み屋で初対面の連中と知り合って、二次会やら行ったり・・・・・・まあ、そういう休日もあったっけな。


『お前のせいだあぁぁ~っ!!!!』


と、田野の叫ぶ声。大学時代、特に二十歳過ぎた頃は、確かにしょっちゅう飲み歩いていた。


『カツアゲ、というよりほとんど強盗に()った・・・・・・そうですが?』


「ああ・・・・・・」


飲み過ぎた日、″もしかしたら″『そういうこと』も、した記憶があるかもしれない。飲み屋で意気投合(いきとうごう)した連中と、その場のノリで、あれこれはしゃぎ回ったりもした。行きずりの誰かに因縁(いんねん)をつけたり、それがケンカに発展したり、まあ、何だ・・・・・・ちょっと法律を破るような『やんちゃ』してみたり。


しかしその相手の一人に田野がいたのかどうか、しばし考え込んでみるが・・・・・・どうしても、思い出せなかった。


「まあ、悪かったな」


それについては確かに向井に非があるので、素直に()びの言葉を口にする。しかし--


奇声。


恐らく『ふざけるな!』という意味合いの言葉を叫び、目の前の″黒い影″がまたもや向井に(つか)みかかってくる。


『お前が勝手にそんなこと言うのかよっ!!!!』


恐らくそういう意味合いだったと思うが、胸ぐらを掴む田野が至近(しきん)から、支離滅裂(しりめつれつ)気味(ぎみ)に怒鳴り散らしてくる。


『んあっ!!!』


ガツンと、一発。″黒い影″に(ほほ)を殴られる。畳の床。ドスンと、一発。今度は横っ(ぱら)に蹴りを入れられる。二回、三回・・・・・・そっか。酔っていたのもあって本当に覚えていないのだが、多分こんなふうに殴ったり蹴ったりしたんだっけな。


「ち・・・・・・っ」


しかしまあ、やっぱり殴ったり蹴られたりするのは痛いしムカつく。しばらくは″黒い影″の好きなようにさせて、それが少し収まった頃合いに「・・・・・・満足か?」と、あえて挑発的な言葉を吐き捨てた。


『ふぅ、ぐう・・・・・・ぅっ!』


(のど)を詰まらせたように、ほとんど嗚咽(おえつ)を漏らしている田野。


そもそも、書類の入った田野のカバンをぶん取ったのは″俺″じゃないんだけどな。まあ殴ったり蹴ったりしたのは事実だし、″それ″は大した問題じゃないのだろう。


『ホント、最低・・・・・・』


ふと部屋を反響するように聞こえてくる、その女声。軽蔑(けいべつ)と失望の入り混じった向井の友人、理穂の声。それに対して向井は、


「みんなやるだろ、それくらい」


と、何でもないことのように言葉を返した。



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