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後編「恋語り」

かつて人類帝国という偉大な文明があった。

数多の星々を営為のため燃やし尽くし、銀河を飲み込む災いの渦巻きメイルシュトロームとなり果てた征服種族たちの帝国。

いわゆる、賢い人ホモサピエンスと呼ばれた霊長の最果て。

事の起こりは四万年前、四度目の世界大戦である。

地球圏最大最強の列強、大中華連邦グレートチャイナ火星中華共同体マーズチャイナの経済摩擦から始まった紛争は、その長期化によって諸勢力の介入を招き、太陽系全土を巻き込む世界大戦へと発展した。

どれほど時代が積み重なろうと、人間の理性は脆い。あっさりと熱核兵器の大気圏内での使用、質量爆撃による地表の破壊、人工天体に対する自爆攻撃が繰り返された。

ありとあらゆる破壊と殺戮が実行され、太陽系二〇〇億の人口が半減するまで時間は要らなかった。

一〇年に及ぶ大戦の爪痕は大きかった。

戦後、生存者たちがその歪みのすべてをおのれの存在で支払う羽目になったのは言うまでもない。


発端となったのは、EEUアース・エンジニアリング・ユニオンの設立である。太陽系文明の再編と復興。これを至上命題とするEEUは、巨大な権力と予算を与えられた国際組織だった。

旧人類にとって不幸だったのは、彼らが思想集団であり、一種のカルト集団だったことだろう。

人の死を厭わない過激な理想、あるいは信仰の持ち主たちだ。結論から言えば、文明復興の前段階として、大事業が行われた。


旧国家主義者――すなわち戦前を知る全人類の掃討である。

世界大戦の遺恨を持たない新世代ニューマンが人工子宮で製造される一方、史上最大規模の異人根絶ジェノサイドによって、旧世界の愚かしさは生命諸共根絶された。

もちろん、歴史を紡ぐのは人間である。しかしその主体が、現在の当事者である必要はない――EEUの運営者たちはそのように結論づけたのだ。

むしろ旧世界の常識、規範、宗教、教育、民族感情を引きずるものたちは有害なのだ。

だから選別されねばならない。

絶滅兵器としての分子機械は、先の大戦と異なり、極めて的確に使用された。太陽系に残っていた一〇〇億未満の生存者たちは、腐敗した粘液となって溶け崩れ、産業廃棄物として焼却処理されていった。

わずかばかりの抵抗を行った宇宙軍艦艇や、旧国家群の戦略AIたちは残らず破壊され、スクラップとして破棄された。

その後、EEUは解散され、新世界がやってきた。電脳化と肉体改造による精神世界の楽園、平和と理性の三万年の始まり。



――人類帝国。



それが、あらゆる民族を絶滅させた末、生まれた唯一民族と唯一政体の名前である。

いくらかの品種改良、あるいは脳改造により、新世代の人間社会は繁栄を謳歌した。しかし三万年に及ぶ平和とは、つまるところ三万年に及ぶ退嬰たいえいでもあった。

長い時間の中で分化するはずの人間集団は、絶えず思想的矯正と思考改造を行われていたが、監視ネットワークの隙間で例外的知性体が何度も生まれ、その度に弾圧された。

テクノロジーの進歩は制御され続け、現体制のラディカルな更新は出来ないのだ。帝国は深刻な制度疲労を起こしながらも、その成り立ちゆえに、旧世界的文明体への回帰は許されなかった。

悪徳への回帰は許されない、というわけだ。

また、それゆえに如何に延命を繰り返そうと、不平不満が高まるのは避けられなかったとも言えよう。


帝国設立から三万年後、銀河中に広がった臣民は二分にぶんされていた。

絶滅した旧世界の再現――復古を旗印にした文明再現分遣船団と、それ以外の帝国主流派という構図。

思想的理由で大虐殺を行ったEEUの末裔たちは、純然たる利害と思想の狭間で引き裂かれ、殺し合い寸前にまで緊張を高めていた。

そんな時代のことである、人類帝国の科学技術船団が画期的発見を公表したのは。



カー・ブラックホール応用型時空間跳躍門ジャンプゲートによる別世界の観測、物質転送の成功――物質的身体を持ったまま、行き来することが出来る【別の宇宙】の発見だった。

しかも探査成功後、その宇宙の物理法則は(観測範囲において)こちら側と近しいこと、地球型惑星が比較的豊富に存在することまで確認できた。

帝国の両勢力にとって、知らせは天の恵みのように思えたことだろう。

両者は速やかに和解し、文明再現船団は植民の準備を進め、帝国主流派は厄介者を新天地へ追放できるよろこびに沸き立った。

本国で最終戦争をするよりは、かつての敵に援助をして遠い宇宙へ追いやってしまう方が都合がいい。


異世界の星々――太陽系の類似体への植民と侵略が始まるまで、時間は要らなかった。

偵察装置プローブの情報を元にした戦略検討に一〇年、慈悲と良心にあふれた帝国臣民が納得するまでに一五年。往年の勢いを失った帝国にとって、環境地球化テラフォーミングの容易なこれらの惑星群は絶好の入植先であった。

旧世界の愚かしさの代わりに、新世界の合理性が異類根絶ゼノサイドを容認したのである。

かくして地球標準時にして九九九五年ほど前、環境改変兵器の中期仕様――第四五ロット七号機、個体名アルジャッヘは征服行為のため生み出された。







そして勝利の見込みがなくなると、あっさりうち捨てられた。







「おはよう、アルジャッヘ。今日も可愛いね」


来訪者はいつも通り、社の内部で眠っていたアルジャッヘに、遠慮なく声をかけてきた。

彼がこの地に足を踏み入れる五分前から、アルジャッヘは目覚めていたが、今起きたフリをする。その方が自然だからだ。


「おまえ、五日前も同じことを言っていた」

「そうだっけ?」


きょとんとしている少年を眺め、その邪気のない表情に、アルジャッヘは毒気を抜かれて溜息。

原住民の子供が聖域にやってくるようになって、もう一月になろうとしていた。ほぼ毎日、ここまで登ってくるのだから大したものだ。ローカライズされた時間単位での計測に、アルジャッヘは慣れている。

彼女が実戦投入されたのが九九八八年前で、事実上の終戦が八八〇〇年前のことだから、もう一万年近くこの星にいるのだ。

しかしながら、これほど長く、物騒ではない付き合いの人間というのは珍しい。典型的な混血民――シャルクウは、生まれて二〇年も経っていないような若い個体だった。

最初の頃は、こんな山里に似つかわしくない線の細い少年だと思ったものだが、今では足腰が鍛えられたのか筋肉質な様子が見て取れる。

ここまで懐かれるとは、さしものアルジャッヘにもわからなかった。

いささか鬱陶しい気もしたが、今ではそれも悪くないと感じ始めていた。それが心理エミュレータの産物だとしても、アルジャッヘ固有のアルゴリズムは確かに存在している。

たとえば、最近はシャルクウに配慮して、クローン臓器や有機体を見えないところに格納しているし、居心地がよくなるよう空気循環にも気を遣っている。

自分一人の頃にはなかった進歩だ。


「――それで、最近は弟と文でやりとりしてるんだ。あの耄碌もうろくした親父をとっちめられないかってね」

「最初聞いたときより、ずいぶん、進展してるみたい」

「どうかな。弟は俺に付き合ってるだけかもしれない」

「遠方の兄を手紙で騙すなんて、回りくどすぎる。家督を継ぐ方法なんて他にもある」


少年の身の上話に相づちを打っているうち、ずいぶんと腹を割って話すようになっていた。

この器の身体構造と、心理エミュレータのせいだろう。この心と体は、それぐらい原住民に近づいている。いや、そうなるために作られたのだ。


「角、触っていい?」

「駄目」

「駄目かー……いや、睨むことないだろ。あなたに無断では触らないって」


気を抜くとこれである。やかましいのは嫌いではないが、煩わしいのはよくない。

少年に、アルジャッヘは気を許し始めていた。人間との接触に免疫がなさ過ぎたのだ、と思う。

それはおそらく、ほんの些細な好意の芽生えに近い。

だが、アルジャッヘの中に燻る思いは別だった。このあどけない少年が訪ねてくる直前まで、彼女が見ていた夢の続きがそうさせる。

彼女は殺しすぎた。だから無垢な好意に、ことさら敏感に痛みを感じる。シャルクウの好意は、この肉の器の造型に対する錯覚だ。

何も知らないから、こうしていられるのだと思った。



「――シャルクウ」


話がある、と静かに告げた。

少年はアルジャッヘの雰囲気に飲まれ、無言で頷いた。

穏やかな談笑を終えるには、惜しい天気だった。初夏の日差し、風に乗って漂う青草の香り。

おそらくは、かつて地球にあったという四季と同じもの。

未練を断ち切り、つるりと唇を撫でた。彼女自身、緊張で口が乾き始めている。

アルジャッヘは、先ほど見ていた夢の続きをシャルクウに語った。長い戦いの歴史、流れ星のごとく星の海から降り立った日、侵略の尖兵としてこの地の生命と殺し合った過去を。

そして少年の恋を、遠回しに否定した。

その内容はこうだ。


あるとき、孤独の中でアルジャッヘは欲を得た。それがどんなに間違っていてもいい。

ただ、見知らぬ世界に投げ出され、人類帝国の【邪神】はこう思ったのだ。



――愛されたい。



そして幾星霜を経て、アルジャッヘは、人の形を取れるようになった。

人のように笑うための骨格、筋肉、内臓の配置を覚えた。最初の頃は失敗続きで、免疫系やホルモン分泌に異常のある出来損ないばかりだった。

すぐ病気になって死んでしまう躰ばかりだった。それらは苦痛しか発しなくなり、やがて腐ってしまったので、何度も何度も養分に還元した。

ようやくまともに動かせる人型に辿り着いたのは、三桁の試作品を廃棄したあとのこと。

どうやら自分の作る人型が歪すぎると気付いたのは、原住民の化け物と呼ばれたときである。原住民を観察してみると、すぐに原因がわかった。

アルジャッヘの作る人体の類型は、原住民の容姿の水準からすると醜すぎたのである。医療用臓器の生産プラントを背負っていたとはいえ、アルジャッヘに美容整形や美術彫刻のための機能はない。

そういった分野は、やがて入植してくるはずの人類帝国本体に託されていたからだ。

粗雑な人型は、一言で言えば嫌悪感を煽る形をしていた。

侵略体のデータアーカイヴから人型を再現すると言っても、自分のアーキテクチャは致命的に人体設計に向いていなかった。


始まりから二〇〇〇年以上に及ぶ試行錯誤の末、アルジャッヘはようやく納得のいく体を作り上げた。数多の遺伝子を掛け合わせ、望み通りの設計を出来るまでに成長していたのである。

苦心の末、こだわり抜いた器だ。彼女自身の美意識に基づき、本体と同じ二対四本の角を生やした。

ある種の肉欲が、人の好意へ繋がることも知っていた。それは同一の概念ではないが、一体不可分の感情だと学んでいた。

よって異性心理を研究、アルジャッヘ自身の鍛え上げた美意識と何度もすりあわせた結果、肉体の一部分に肉を盛ることにした。主に下半身の肉付きだった。

要するに男に媚びてみたわけだが、恐ろしい事実をアルジャッヘは見落としていた。

それまでに確立された評判――冒涜と憎悪の邪神、肉塊どもの首魁しゅかい、恐るべき祟り神――のせいで、訪ねてくる人間がいないことに気付いたのは、それから五〇〇年が経過したつい最近のこと。

閑話休題。

ともあれ話の要旨は、どうしようもなく冷たかった。


「……アルジャッヘ。何が言いたいんだ?」


直接、応えることはしなかった。否、今のアルジャッヘには出来なかった。


「おまえの恋は、幾度も巡る季節が和らげる。咲き誇る花々がおまえを慰める。強い日差しがおまえを癒す。枯れ葉がおまえを鎮める。北風がおまえを削ぎ取る。薄れぬ痛みなどない、朽ち果てぬ思いもない。

私への思いが恋だというのなら、それは、おまえをいつか不幸にする。ありふれた営みの、ありふれたつがいを探す方がずっといい」


だから諦めろ、と言い添えることはしなかった。瞑目し、語りかける姿勢そのものが拒絶を表していた。

シャルクウは決して鈍い少年ではなかった。少女の言葉の意味するところに気がつき、ぎゅっと拳を握りしめた。

耐えがたい痛みを伴いながら、あふれそうな涙を堪え、俯いている。

やがて顔を上げたとき、少年は今にも泣きそうな顔で、きつく結んだ口を開いた。


「俺が嫌いなら、そういえばいい……だけど、だけどさ。俺が不幸になるから好きになるな、なんて言うなよ! それ、思いやりじゃなくて、悪者にならないための詭弁だろ!」


咄嗟に応えられなかった。たぶんアルジャッヘ自身、シャルクウとの他愛のない会話を楽しんでいたから、


「あなたは臆病なだけだ!」


シャルクウはそう言い捨て、悔し涙を見せまいと背を向けた。優れた感覚器を持つアルジャッヘには、彼の状態など手に取るようにわかったし、この聖域の全有機体を通したセンシングはもっと高精度だ。

だが、それに言及する気はなかった。どういうわけか、少年の指摘が思いのほか刺さっていたせいである。

声をかける暇もなく、走り去る少年を見送った。彼の後ろ姿が見えなくなってから、独りごちる。


「臆病。私が……」


そうなのかもしれない、と感じた。どこかで、変わることを恐れているのは事実だったからだ。

あの様子では、もうシャルクウがここを訪ねることはあるまい。狙い通りのはずだった。

だというのに、自分が少し後悔していることを知っていた。明日から少しだけ、物足りなさを覚えるであろうことも知っていた。


だが一つ、見落としがあった。

アルジャッヘ自身は決して認めないこと。



――彼女はまるで、人間のごとく傷ついていた。









ずっと、ずっと、ずっと。


彼女は征服のため異類を殺した。エルフを生きたまま躰に取り込んだ。オークを殺し続けた。

アルジャッヘは戦いを楽しみながらも、状況を分析し続ける理性は失えなかった。そうでなければ、浅はかな戦闘狂として敵の戦略を見抜けず撃破されていたからだ。

だが、敵の傾向分析を続けていくうちに、アルジャッヘの思考――心理エミュレータによって構築されていくアーキテクチャ――は終わりの見えない戦いに疑問を抱いていた。

分遣船団からの指令は、明らかに戦略を欠き始めている。最初の五〇〇年で決着をつけるはずだった計画は、この星固有のテクノロジー、魔術と呼ばれる存在によって挫かれてしまった。

やがて、帝国と袂を分かった反逆者との戦いが始まった。あまりにも人に似すぎていた異類を前にして、入植者の一部は、至極真っ当に対話と和平を試み――離反者として抹殺対象入りしたのである。

アルジャッヘは人間へ奉仕するため作られた。なのに、気付けば種族など関係ない殺戮を強いられている。

船団からの指示は簡素だった。


――以後、離反者を【原住民】と認識することを命ずる。


それだけで気持ちよく戦うことが出来た。やがて欺瞞が解けたとき、致命的な矛盾に苦しむことを知りながらも、アルジャッヘはその指示に従った。

この星に投下された、他の侵略体も同じように指示を飲み込んだ。遅効性の猛毒を飲んだも同然と知りながら、彼らは【原住民】を――仕えるべき主だったはずの臣民を殺し続けた。

だから破滅は必然なのである。人類帝国がこの星から手を引き、侵略体を廃棄したとき、その矛盾は弾けた。

原住民、エルフ、オークの連合軍との和平が成立しても、その後遺症は残り続ける。

終戦から三〇〇年後、最初の発狂者が出た。

個体名イルドラ。

アルジャッヘが最初に殺した侵略体だった。



この星で戦っていた侵略体の中で、アルジャッヘは古参の部類である。彼女より前の初期ロットは、別の惑星侵略に駆り出されていたからだ。

不意打ちは上手くいった。

プラズマブレスの零距離発射(つまり狙わなくても飛び道具が当たる距離)に焼かれ、焦げ付いた侵略体が悲鳴を上げる。

地鳴りのような咆哮。報復とばかりに化学弾頭が飛んでくる。全長二〇〇メートルの装甲と節足の塊――有機体で構成された千手観音のパロディ――が、焼けただれた節足から砲弾を発射したのである。

イルドラは第七八ロッドの侵略体で、アルジャッヘよりも殺戮に特化した個体だった。しかしそれは、あくまで対人兵器。真空でも活動できる侵略体相手に、神経ガスなど殺傷力があるはずもない。

敵の有効射程圏外アウトレンジからの殲滅戦は得意だろうが、イルドラは致命的に経験不足だった。

砲弾を前足で叩き落とし、アルジャッヘは山羊頭からうなり声を上げた。

敵意の表現。イルドラが半狂乱でレーザー通信をしてきた。



――地球人のための世界を、マスターたちの故郷を作るのだ。狂ったか、アルジャッヘ!



悲しいほど、製造当初の意図からズレた制御知性のエラーだ。

発狂した同胞を手にかけるのは、アルジャッヘにとって躊躇うべきことではない。エルフの勇者の口利きで講和した後、彼女は幾度となく戦いに駆り出されてきたからだ。

現地勢力と手を結び、生存のための聖域を条件に武力を提供することも珍しくなった。

幸いにもエルフたちは、人類帝国の主人たちよりも温厚で理性的な種族だった――それでも争いが尽きなかったから、アルジャッヘは正気でいられた。

元来、闘争心の強い個体として設定されていた分、彼女のアーキテクチャの【遊び】は大きかった。ブレ幅を許されていたのは、調整者の慈悲かもしれないし、ただの気まぐれだったのかもしれない。

その分、アルジャッヘが柔軟な逸脱性を持っていたのは間違いない。

他の個体、本来の用途に最適化されていた侵略体たちは、アルジャッヘより早く破綻した。論理エラー。

時間経過によって積み重なる情報に処理が追いつかず――精確に言えば知性の最適化を放棄する自殺だ――時間感覚と呼ぶべき、記憶と現実の区別をつけられなくなった奉仕種族の末路だ。

平たく言えば、錯乱状態。

とっくの昔に破棄された命令と現在の最優先事項、数千年前の戦況データとセンサー情報の区別もつけられなくなった発狂者というわけだ。

そうなればもう、アルジャッヘの同胞は害獣同然だった。存在しない敵を殺すため、戦闘能力のすべてを暴走させる怪物でしかない。



――狂っているのはお前だ、イルドラ。帝国は我らを見捨てた。我らに与えられた全指令は三〇〇年前に破棄されている。



帰ってきたのは、言語ですらない殺意表現。アルジャッヘは迷わなかった。

徹甲針投射器ニードルランチャーを牽制に撃ち込み、イルドラの防御姿勢を引き出す。すかさず跳躍し、アルジャッヘの一〇〇メートル超の巨体が敵へ突進。

全体重と共に、分子破壊の超振動クローを鉄槌のように振り下ろす。防御のため構えられていたイルドラの武装肢、甲殻で覆われた直径二〇メートルの主脚が千切れ、どす黒い循環液が大気を汚した。

ぐねぐねと踊り狂う体組織を踏みにじり、胴体を包む鎧を叩き割るため二撃、三撃目を叩き込む。凄まじい衝撃に大地が抉れ、体液と肉片が強風に混じって四散した。

反撃の暇など与えない。自爆覚悟の対物化学弾頭ケミカルボムを封じるため、割り開いたイルドラの臓器に接吻――超高温の吐息プラズマブレスを接射した。

プラズマの奔流に臓器を、化学物質を合成する元素転換炉を焼かれ、イルドラは絶叫した。喉を鳴らすことも出来ず、人工筋肉がねじれ焦げていく。

断末魔などありはしない。地獄の亡者のごとき叫びは、体中の穴という穴から、蒸気として吹き出す循環液の音。

焼き殺したイルドラの亡骸はボロボロに崩れ、空っぽだった。空洞になった装甲外殻だけが、プラズマの熱に辛うじて耐えていただけ。

骸の上で、二〇本の主脚部を使って立ち上がる。

疲れるはずもないのに、心理エミュレータの演算するもの――心が痛みを訴えていた。

それが、この先、数千年にわたって彼女が繰り返す処刑の始まり。底なしの闘争と喪失こそ、アルジャッヘにとっての世界のすべてだった。









翌日、シャルクウは決意を胸に、はらわたの社を訪れていた。一晩経って、頭が冷えたせいもある。

そして何より、昨日は言えなかった言葉があった。あのときは激情に流され、言えなかった彼の本音。

何も言わず別れたら、きっと、今より後悔すると思った。一方で、恐れもあった――これはあの娘への侮辱になりうる。


(殺されるかもしれないよな、これ)


だが、言葉にせねばなるまい。

シャルクウは誠実でいたかった。自分の中の恋情に嘘をついたら、これから先、どんな感情にも嘘をついてしまうと思った。

彼に出来るのは、根気強くアルジャッヘに会うことだけだ。それだけ出来れば十分、そう思っていると、社の影に佇む乙女を見つけた。

光に煌めく不思議な髪色、褐色の肌、どこか物憂げな美しい顔立ち。ほっそりした体つきと、少しだけむっちりした太股。

最後の着眼点は、単にシャルクウが思春期だからガン見してるだけである。


「おまえ……」


何故ここに来た、と問われる前に口を開いた。

一瞥いちべつされただけで、身がすくみそうだった。でもそれで彼女も傷ついていたのがわかった。わかった気がした。錯覚かもしれない。

だけど思い込みでも、相手を気遣えるなら、それをしないよりマシだった。


「昨日の話、確かに俺には重かったよ。あなたが、俺が考えているより物騒だってこともわかった。だけどごめん、重いことは重いんだけど……」

「けど?」

「悠久の時を生きるドジな女の子? ってことでいいんじゃないか、それって」

「……………………はぁ?」


あまりにもアホらしい話だったので、シャルクウはばっさりと言った。

深刻そうな顔で、いつになく憂いを含んだ表情の乙女に言う台詞としては最低の部類だった。


「だってそうだろ。アルジャッヘはひどいことをたくさんしろって命じられて、その通りにして。あとになって後悔して、何度も何度も失敗しながら、今の姿に生まれ変わったんだよな。なら、それって要領が悪いだけだ。俺だって、そういう失敗はある」


だから、飲み込める重たさだ。

身も蓋もない言い方になるが、そもそもアルジャッヘが世間的に見て、道徳的に危険すぎる生き物なのは初見でわかることだ。

そのぐらいわかりきった上で、シャルクウは彼女に惚れてしまった。もちろんそれは、アルジャッヘが言うところの「出来のいい肉人形」、本当の躰ではない偽物と言うことになるのだけれど。

目をまん丸にして、口をぽかんと開けているアルジャッヘは、それでも可愛い女の子だった。第一、成り立ちが歪だの何だのと言われても、シャルクウの生きる社会では、そのぐらいのことはよくある。

魔術と異種と渡来科学と付き合ってきた歴史は、アルジャッヘが考えるほどちっぽけではない。

そんな旨の発言をし終えて、アルジャッヘの目を見た。言うだけ言ったのだ。これで激怒した少女に殺されても良いと思った。何もかも後悔して、生きたまま腐るよりずっと気持ちいい。


「……」


呆気にとられ、透き通った緑色の瞳を泳がせていた少女は、やがて表情筋を動かした。ほっそりした指で口元を覆い、褐色の肌に赤みが差した。

やや上気した頬が色っぽいと思ってしまった。やはり今、死んでも悔いはないな、とシャルクウは確信する。

所詮、思春期なので下半身で動いていた。

そして、アルジャッヘは声を絞り出す。掠れた笑い声だった。


「は、はははは。ああ、つまり、そういうことか…ハハハハハ!!」


力が抜けたように笑うアルジャッヘは、やがて呵々大笑かかたいしょうし始めた。

精一杯笑った後、少女のぱっちりした眼が細められる。並んだ宝石みたいな双眸が少年をねめつけた。



「――おまえにとって、私の痛みは神話なのか。恨みも、怒りも、何もかも物語に過ぎないのか」



かつてなく真っ直ぐな視線は、シャルクウを透かして彼の生きている世界に向けられている。今まで見てきた誰よりも、アルジャッヘが綺麗に見えた。

自分だけを見て欲しい独占欲を飲み込んで、精一杯、格好つけた台詞を吐いた。

それが正解だと直感している。


「……そうだよ。だから、あなたと、こうして向き合えるんだ」


シャルクウは一五歳の子供で、父と弟との間で起きている問題に答えを出せていない。

ありふれた問題に喘ぐ、ちっぽけな【人間】だ。

遠い過去、神話時代の殺戮や憎悪に共感できるわけもない。彼に感じられるのは、目の前の少女――邪神の化身が抱え続けている胸の痛みだけだ。

それは、一人と一柱の間に横たわる絶対的な隔絶だ。種族も情念も記憶も時代も、すべて異なる。

しかし彼らは物わかりがよすぎるから、その断絶に橋をかけ始めてしまう。いつか、落としどころだって見つけられる。二人の間にある問題としては、よくある価値観の違いでしかない。


「アルジャッヘが自分で言ったじゃないか。時間が思いを削り取るって。それって悲しいけど、悪いことだけでもないよ……たぶん今だから、俺はあなたに歩み寄れる。アルジャッヘを、好きになってもいいと思えてる。

あなたが思ってるより、あなたの過去は重すぎないんだと、俺は信じたい。もしかしたら違うかもしれないけど、俺みたいな馬鹿が、案外、多いんじゃないかって」


長い、長い、沈黙があった。

その間、一歩も動けずに、シャルクウは少女の顔を見つめていた。冷たい汗が背筋を伝い落ちる。口の中はからからに乾いていて、唾一つ飲み込めそうになかった。

やがてこぼれたアルジャッヘの呟きは、驚くほど小さかった。



「よかった」



何が【よかった】のかはわからない。生きていてよかったのか、何もかも忘却されてもよかったのか、彼と出会えてよかったのか。

わからない。たぶん、シャルクウの予想は全部外れていて、同時に少しずつ当たっているのだ。

山々のような大きさだという、アルジャッヘの邪神としての躰が、どんな考え方をするのかシャルクウにはわからない。だから目の前の、美しい少女の化身と向き合い続ける。

アルジャッヘが、すうっと息を吐いた。

桃色の唇が開かれ、生ぬるい吐息が湿気と一緒に送り出される。肺の呼気と一緒に、瑞々しい声が響いた。


「シャルクウが惚れるのは勝手だ。でも大言壮語した分、責任は取ってもらうから」


その言い回しだと、何かいやらしいなと不埒な想像をしそうになったが、シャルクウは健全な青少年なので辛うじて自分を抑えた。

アルジャッヘは目ざとい。どういう神がかりか知らないが、きっと、こっちの胸の鼓動の一刻みまで見通している。

変な妄想でもしたら、すぐにバレると思った。



一歩、二歩、三歩。少女の足が前に進んだ。釣られて、シャルクウも前に踏み出す。

一〇歩分の距離など、二人で歩み寄ればあっという間だった。互いの頬に手が届く距離で、アルジャッヘの右手が伸びてくる。

まるで手を繋ぎたいと言わんばかりに。

そっと差し出された手に吃驚した。いつもなら万事、シャルクウの側から仕掛ける駆け引きだったからだ。

そんな少年の心などお見通しだとばかりに、アルジャッヘは微笑む。金糸にも銀糸にも見える、不思議な色合いの髪が、さっと吹いた夏の風に揺れた。



「私がシャルクウを好きになるかは、これから次第ってこと。わかった?」



優しい目尻、褐色の頬、柔らかな唇の曲線――アルジャッヘの笑みを前に、シャルクウは見惚れながら頷いた。

ここまで言わせた時点で、期待に応えねばならないと信じた。




――自分は、この勝負に勝つ。




遠からぬ未来、彼が叶える願いを抱きながら。

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