8
遅くなって申し訳ないです
満身創痍。
元の世界に暮らして居たならば一生本当の意味で知ることはなかったであろう言葉の意味をヒシヒシと身体で感じながら俺は大陸の中心に存在する森の中の小さな家に帰り着いた。
ーーおかえり
そう言って微笑むはずの彼女がいない。
焦燥に駆られて、疲労や怪我のことなんてすぐに忘れて全部忘れて俺は駆け出した。
ティア、ティア、ティア!!
どこをどう探しても、見つからない、見つからない見つからない!
あの銀色の髪がどこにもない。
あの赤い光がどこにも灯らない。
ああ、ああ、ああ…
やがて俺は足を動かすこともできず、その場に膝をついた。
おかえり、その一言が欲しかった。
あることが当たり前だと思って居たのだ。
***
満身創痍。
まさか、この言葉の意味をこの身で知ることになろうとは。
俺は後頭部に感じる痛みに顔をしかめながら目を覚ました。すぐに目に入ったのは、異世界でも変わらず麗らかな日差しを平等に降り注ぎ続ける太陽と、翠に輝く梢、そこに留まった鳥達だった。
フワリと鼻に柔らかい香りが届く何種類もの花をブレンドしたような、暖かくて柔らかな懐かしい香りだ。
その香りはどこで嗅いだのだったか。思い出そうとして思考を働かせるなり、脳裏に先ほどの騎士達の姿が浮かんだ。慌てて飛び起きようとしたのだが、それは叶わずフラフラと地面に沈む。その原因は俺の胸の上でスースーと寝息を立てて居た。
「…ティア…よかった…」
未だ意識がないままではあるがティアはきちんと腕の中に居てくれていた。俺も意識を手放していたこともあり、はぐれてしまっていたのではと不安に思ったのだ。
だがしかし、その様子は意識がない他にも幾分か変化があった。
「…なんだこれ?」
何本もの白銀の鎖がティアの身に絡むようにしてあった。それは不思議と透き通り、触れているのに熱も硬さも重さもなくまるで実態のない何かのようだった。
しばらくそれを観察していると不意にサァと吹いた風に流されるようにしてそれは俺の手の上から、ティアの身体から消えていく。
「?」
なんだったのかは気になるが、今はまあ置いておこう。
俺は漸く周囲に意識を飛ばした。そうするとあまり出来の良くない頭も渋々と言った具合に働きはじめ、色々と状況を思い出す。それに従って身体の感覚も徐々に鮮明になり、左腕と背中が痛みを訴え始めた。左腕は何とか止血できていたのだがそれが開いてしまっているようだった。どくどくと流れる血は止まる気配がない。出血多量って確か死因になかっただろうか?この量は流石にやばい気がする。
今はとにかく現実逃避をしようと別のことを考えることにした。右腕でティアを隣に寝かせ、今度こそ体を起こす。背をつけていたもともとは青々としていたであろう草は潰れ、赤い液体がついていた。やはりと言うかなんと言うか、背中も怪我をしているらしい。あの勢いの川に飛び込んだのだから当然と言えば当然か。こちらも現実逃避をしておこう。
前方には川、背後には森。それはまあわかるのだが、前を流れる川の水流は穏やかで川から1、2mも打ち上げられるとはとても思えない。この水流では流されないだろうが、普通は川の中で目を覚ますだろう。そもそも、よく溺れもせずはぐれもせず、また、追っ手にも見つからずに目覚めれたものだと思う。
「運が良かった…で流すにはちょっと出来過ぎだな。どこのご都合主義小説だよ…」
そもそも、ここはどこだろうか。あの森の中の川から流れて来たのだからここを上流に向かって歩けばあの森に帰るのだろうが、ここも森のようだし、そんなに距離はないのかもしれない。ここに長居するのは危険か。この世界の文明レベルが不明だが、普通水辺に集落があるはずなので、ここを下流に向かって進むと何処かの国なり村なりに行き着くかもしれないのでそちらに向かうべきだろう。問題は、俺がこの世界の言葉がわからないという点と俺もティアも追われていると言う点だ。さっきあった周国と紀国の軍には金髪碧眼の人間しかいなかった。もしかしたらこの世界の人間は基本的にその配色なのかもしれない。元の世界の日本人が黒髪黒目だったみたいに。
それなら、俺たちは少し目立つかもしれない。これはあくまで俺の想像だが、聖女や鍵と言った異能は銀髪赤眼なんじゃないだろうか。それぞれに少しずつ色合いが違ってはいたが、みんな白い肌に銀髪赤眼だった。そのカラーリングの人となら話せるのだと思っているように、この世界の人間はその色は異能だと判断するだろう。俺の方も金髪碧眼の中に黒髪黒目は目立つだろうし、この逃亡は成功するのだろうか。
「…………」
もしも、失敗したら。
そう考えると同時にさっと顔から血の気がなくなったのがわかる。それは出血の所為だと思いたい。
殺されるよりも辛いーー
いつか言ったティアの言葉が耳に響く。俺が平和ボケした頭でやった逃亡の所為で、こいつにより一層辛い結末を押し付けたんじゃないだろうか。
俺がそんな思考のループに入っていると背後からガサッという音が聞こえた。慌ててティアを庇うように立ち上がるとそこにいたのはいくらか傷付き血を流しつつも致命傷はなさそうなモンスター。さっき、俺たちを助けてくれたあいつだった。
俺は安堵の息を尽きながらそのモンスターに近づき、傷に少しだけ指を触れさせる。
「…ごめんな、痛かっただろ…」
「ぐるる」
剣で切られたらしき傷に顔を歪めるとモンスターは喉を鳴らしてペロリと俺の頬を舐めた。そして気にするな、と言うように鼻を擦り付けてくる。
「…本当、いいやつだな、お前」
「…ぐるっ」
俺の前におすわりするように座ったモンスターの喉元を撫でてやると気持ちいいのか目を細める。俺は撫でながら辺りに視線を飛ばした。
「…もしかして、お前が俺たちを川から引き上げてくれたのか?」
「ぐるっ!」
こくん、と頷いたそいつの説明によるとーーこれがなぜか不思議と何を言っているのかわかったのだが、ここは俺が飛び降りた地点から十数キロ離れているらしい。適度に足止めをしたこいつはすぐに川に向かって走り、流されている俺とティアを引き上げて力が持つ限り咥えて走ってくれたそうだ。ここで力尽きて俺たちを寝かせ、それからの記憶はないらしい。
「ーーって、それじゃ、お前、死ぬとこだったんじゃないのか!?」
「ぐるる?」
こてん、と首を傾げる様はひどくかわいいがそんなことを言っている場合ではない。力尽きてってことは、こいつは死ぬかもしれなかったわけだ。いいやつ過ぎるだろう。
「ありがとう…本当、なんて礼をいったらいいのかわかんねーよ…」
「ぐるる」
気にするな、と言うモンスターのもふもふの毛に抱きつく。この世界のモンスターの扱いは大体元の世界のゲームと同じく討伐対象らしいがこんないい奴らを討伐する意味がわからない。この世界はわからないことだらけだ。
「ぐるっ」
もふもふを心行くまで楽しんでいると不意にモンスターが鳴いた。顔を上げ、モンスターが見ている先を見やればティアがゆっくりと体を起こして居た。
「お。起きたか。体の調子はどうだ?」
「……………」
「…ん、ティア?」
俺の問いに答えず泣きそうな笑みを浮かべてただこちらを見つめるティアにもう一度声を掛けるとその肩がピクリと動き何?と返事をした。そのことに微かに安堵する。さっきのティアはひどく儚げで、まるで眠っているときのような哀愁があったから。
「どうしたんだ?どこか痛むか」
「いいえ。ユーが守ってくれたから、私はどこも怪我してないわ」
「そうか?なんか、ぼおっとしてるけど」
「…あなたって、本当に彼に似てるわよね…」
ため息混じりに疲れたように言うティアに俺は首を傾げながら問うた。
「彼?初代勇者か?」
俺の問いにティアはこくりと頷く。俺もモンスターも何も言わずにいるとやがて穏やかな口調でティアがポツポツと語り出した。まるで、自慢話でもするように。
「彼ね、今のあなたみたいに、モンスターや動物達と友情を結んじゃうような人だったのよ。もともとそんな能力があったわけじゃなくて、けど、動物が大好きって言って、生命の聖女に動物のこと教わって…その中で、友情を結べるようになったみたい」
動物が大好きだと言う点においては俺も負けていないから、俺もモンスターたちと心を通わせることができるのだろうか。
「生命の聖女は動物を操るけれど、彼はお願いしてて、助けてって。面白いことに、彼がピンチになると必ず近くにいたモンスターや動物達が助けに来ていたわ。自分の身も顧みずね」
そんな人が、まさか2人もいたなんてね。
そう言ってティアはまた一つため息をついた。
「一瞬、あの人が帰ってきたのかと思ったわ」
「……………」
「バカみたい。とっくの昔、もう随分も前に私が看取っているのにね」
そう言い聞かせるように言って、微かにはにかむ。それがあまりに綺麗で、悲しそうだったから、俺はあまりに余計な一言を言ってしまった。
「…なんで、そんな人が……お前に呪いをかけたんだ…?」
俺の言葉にティアは固まり、ユルユルと視線を下げた。しかし、口元に笑みは残したまま。
「…見れば、わかるわ」
「……見る?」
言葉の意味を図り兼ねて問いかけるとティアは顔を上げないまま、感情の読めない声で言った。
「案内してあげる。彼の、忘れ形見のところへ」
「…………」
「どうせ、行く先のない逃亡生活が始まるのだし、目的地を作って居たっていいじゃない?」
「…そうだな」
俺が頷くとようやくティアは破顔して俺の左腕を指して言う。
「その前に、先にビオラを訪ねましょう。彼女は奏国にいるはずだわ」
「ビオラ?」
「ええ、私の親友だった人よ。治癒の聖女」
治癒の聖女といえば初代勇者のパーティーメンバーの一人だったはずだ。ティアが仲の良かった数少ない聖女で…?
「なんでその聖女の今の居場所や名前を知ってるんだ?もうずっと会ってないんだろ?」
確か聖女はランダムな場所に生まれ変わるはずだ。今何歳かはおろか、今の住所を知るためには今世の間に合わなくてはわからないたずである。なぜティアはその聖女が奏国にいると断定できたのか。
「ああ、彼女は族化聖女って言って、特定の一族にしか産めないのよ。その一族は奏国で病院のようなことをしている、それなりに権力を握った家系だから、出ることはないと思うのよね」
「それなりに権力を握った家系?一番初めの人生でその人が権力を握ったということか?」
「ええ、そうよ。移動し始めながら話しましょうか。いくらあなたでも、その怪我じゃ、辛いでしょう?少しでも早くビオラに会わないと」
「…名前も固定なのか?」
「恐らくは、一家が固定にしていると思うわ。私がティアと呼ばれて違和感を感じない…どころか居心地がいいのも、初めの人生がその名だったからよ。彼女だって、そうコロコロと名を変えたいこともないでしょう」
幸い、生まれた時に聖女かそうでないかはわかるのだし、とティアが続けたことによって先のカラーリングについての予想が正しかったことが証明される。
しかし、そのカラーリングさえなければ、異能者はきっともっと普通の生活を送れるのではないだろうか。どんな生活を送っているのか知らないがきっと普通とは程遠いのだろう。
…俺は想像もつかないけれど。
少しでも早くこの平和ボケした頭を捨てないとな。
「ぐるっ!」
歩き出そうとした俺たちにモンスターが四つん這いで近づいて来て人懐っこく鳴いた。別れの挨拶だろうか。
「本当にありがとうな。じゃあ、俺ら行くよ」
「ぐるっ!」
立ち去ろうとした俺たちの行く手を阻むようにして、嬉々として鳴くモンスター。これはもしや…
「助けた礼として金を…!!」
「違うでしょ。ベアデラがお金もってどうするって言うのよ」
鋭く突っ込まれて俺のボケは容易く流れたところで。モンスターはくるりと方向を変え俺たちにふさふさの背を向けた。
「もしかして、乗せてってくれるのか?」
「ぐるっ」
「…本当にいいやつだな…」
俺が思わずぽろっときているとティアはなんの感慨もない様子でそのモンスターの上に乗り込んだ。畳一畳分はあろうかという広さを誇るそこは細身なティアが乗ったところで全然変わりない。
「モンスターなのに、毛並みはいいのね…人間よりかずっとマシな存在だわ、モンスターって」
もふもふと叩くようにその焦げ茶の毛を撫でるティアはそんな口調だが随分気に入ったようだ。その辺がまだまだ子供な感じが抜けてない。流石は13歳。見た目は子供、中身はーー子供?
「何してるの?早く乗りなさいよ」
「ああ。って、なんでお前の手柄みたいになってんだよ」
ティアに促されて俺はなるべくモンスターの怪我に触れないよう気を使いながら乗った。それを確認するとモンスターはのっそのっそと歩き出す。四つん這いで歩く様は些か熊のようであり、本気を出せばきっと早いのだろうと思わせた。丸い尻にあるのは長い三本の尾、顔はネコ科、耳は猫。牙は長く目は丸い。瞳孔は縦長で毛色は焦げ茶。
「…かわいい…」
「…楽しそうだな」
「長らくこんなことはなかったからね…」
多分普通に生きていても早々ないと思うがそれは置いておく。
「さっき、ベアなんとかって言ってたか?」
「? ああ、ベアデラ?このモンスターの名前よ」
やっぱりか。
それはもしかして、ベアーから来てるんじゃないだろうな。
どこまで英語が広がってるんだ。いっそのこと公用語を英語にしてくれたらいいのに。
けど、あれ?ベアデラのラってトラのラなんじゃ?
え、日本語?
「強いモンスターなのか」
「弱くはないわ。国の軍の初動訓練の相手にある代表的なモンスターよ。そのときは戦士や騎士や重装備やと色々おりまぜて二十人くらいで三十分ほどかけて仕留めるわ」
お、それなりに強そうな気配。
「さっき騎士達がやられてたのは数の問題か」
「彼女達はみんな一流だったから、本来なら時間をかければ一人でも仕留められる力があるわ。ただ、あなたを追い詰めたことによって精神的に余裕があったところへの不意打ちだったことと、彼女達が騎士だったことがメンタル面で彼女達を敗北に導いたのよ」
「騎士であることに関係があるのか」
「大いにあるわ」
いい?と言ってティアは俺をベアデラの頭部付近へ呼ぶ。あんまり動いてやりたくないんだが、俺は気遣いつつそちらに向かった。俺が行くとティアはベアデラの前足を指差しながら説明を再開する。
「ベアデラの爪は普段は収納されてて、戦闘時だけ出て来るのよ。その形は弓形で、きゅう、と綺麗な放物線を描いているでしょ?」
「ああ、そうだな」
正直今は収納状態なのでよく見えないし俺に曲線美などわかろうはずもないのだが。
「ところで、騎士って何に優れてるの?」
「へ?」
突然来た質問に思わず俺は考え込む。この流れでこの聞き方ということは、十中八九ティアは答えを持っているのだろう。まるで先生が生徒にするような口ぶりだった。
「盾とか持ってるから防御力とか?」
「けれど、重装備の人たちに比べ防御力は劣るわよね」
「うーん…じゃあ、攻撃力?」
「それは戦士の方が優れているわね」
「う……あ、機動力?」
俺がそう言うとティアは我が意を得たりという顔をして説明に戻る。
「ご名答。騎士が優れているのはその名の通り馬を駆り、戦えることよ。馬は人間の比じゃない速さで駆けることができるし、彼らはあなたが言った通り盾を持っているでしょ?一騎当千を目指した形になっているのよ」
「要するに、あいつらだけでも戦えるってわけか」
「ええ、重装備よりも強く、戦士よりも堅く。バランスの良いものだけがなれる職だわ。当然、軍志願者の中で断トツの人気を誇るわね」
「けど、こいつとは相性が悪い、と?」
「そう、相性よ」
俺が先読みするとティアもこくんと頷く。
「騎士の強みはその機動力。火力でも壁でもないわ。だけど、よく考えて見て。あの人たちが着ている服を」
「あー…?」
言われて思い返す。あいつらは確か簡易型の鎧装備だった気がする。そう伝えるとそうね、と返事が返る。
「戦士よりも重い、その服は騎士が着ているのよ。ここで重要になるのが、その機動力の源泉足る馬の存在ね」
「馬?…あっ!そうか!」
「ふふ、わかった?」
嬉しそうなティアにさも当然と言った具合に頷きかける。というか、ここまでヒントを出されて思いつかないようならそいつはこの方面に関して微塵も才能がないと思う。俺はもうこの世界に来てしまったし、この方面に強くならないといけないので才能が無いなんて言っている場合じゃないのだが、まあ気づけてよかった。
「こいつの爪は曲がっている、しかも収納可能だから爪で攻撃か手で攻撃かがギリギリまでわからない。ということは、盾を掻い潜って来るかもしれないってことだな?そして、ダメージを受けるのは騎士ではなく、馬。その唯一の強みの源泉を絶つわけか」
「さっきあなたが取ろうとしていた作戦はそういう意味では大成功。将を射んと欲すれば先ず馬を射よ。彼もよく言っていた言葉だわ」
初代勇者は確か膠着状態にあった戦況を抜け出させ、一時の平和を築いたはずだ。それを真近で見ていたティアがこの方面に詳しいのは当たり前か。初代勇者は俺と同じ世界出身のはずだが、ずっと昔だからな。この方面のプロだったのかもしれない。どちらにせよ、天才ではあったわけだ。
「さて、馬を奪われた騎士はどう?何が残っているのかしら?」
「機動力は最早当てにならないな。革とかの軽い装備で固めている戦士よりもずっと重い鎧装備に、盾と剣があったら戦士よりもむしろ機動力は失われているし…けどだからと言って重装備連中みたいに壁になるにはどうしても防御力が足りない」
「つまり、強みはそのバランスの良さだけになるわね。けど、それもどうなのかしら?馬に乗りながらの剣術に長けた彼らは本当に剣術だけで戦士と同等の価値になれるかしら?」
「無理だろうな。それに、馬の上からの剣術と地に足をつけた剣術とではそもそもの技術が違う」
「そう、だから、馬を殺られる可能性の高いベアデラのようなモンスターとの相性が悪いのよ。まあ、それでも、」
と、長い議論に終止符を打つようにティアは笑いながら言う。まるで、滑稽だと言うように。
「本来の彼女たちなら勝てたはずなのにね」
可笑しい…今回でこの世界の構造を語らせるはずだったのに…次回!絶対書きます!