7
お待たせしました。
漸くティアとユーが逃亡を始めてくれました。やっとタイトル通り、逃亡記が始まるようです。
この2人の逃亡がどこに行き着くのか、どうか気長にお付き合いください。
パンッ!という乾いた音を聞いたのはティアとはぐれて何処かの街を彷徨っていたときだったか。
「全く…異空間が捻れるなら入れんなよな…」
とかなんとかその場にはいない友人に向かってボヤいているときだった気もする。
「気持ちわりーんだよ!」
的な言葉が耳に入った。幼い声だ。幼く、悪意の籠った言葉だ。最近、漸くこの世界の言葉を解するようになったのだが、こんな声を聞くくらいならやっぱり学ばない方が良かった。いや…ティアとはぐれた今、それはとても大事なスキルなんだが。
「っわ!こっち見んな!石にされるぞー!」
その声の後、バタバタと走る音。俺は興味を惹かれてそこへ向かった。
「…………」
「…えっと…大丈夫か?」
そこには頬を切って微かに血を流す幼い少女の姿があった。白銀の髪に赤い目。感情の欠落した表情だ。
慣れない言葉で話しかけると少女は無感情に顔を上げ、俺の顔を見てこてんと首を傾げた。
「……痛い」
「…そうか」
不思議と少女の言葉は慣れない言語ではなくすんなりと俺の耳に入る。
少女があまりに無表情に痛みを訴えるものだから少し狼狽えつつ元の世界の言葉を話してしまった。しかし、少女は俺の言葉を解しているらしい。
「……うん」
「…うーん…どうした?」
「……石が」
「石?投げられたのか?」
少女はゆっくりと首を振ってこてんと首を傾げた。
「……ダメ?」
「……………」
え、何が?石が?
全然意味がわからなかったが、俺はしばし考えた後、首を捻りつつ答えた。
「……硝子…にしたらいいんじゃないか?」
「……ガラス?」
「透明な、キラキラしてて綺麗なやつだよ。えっと…これこれ」
服を探ってこっちに来る時に持っていたビー玉を差し出す。この世界では硝子はとても高価なものだ。俺もこれで何度も救われた。だが、もう金で困ってるわけではないし、これはやはり子供がもっている方がいい。
「……綺麗」
「これならいいんじゃないか?石より」
透明な中に青い花が浮いたデザインのそれを少女は光に翳して極々僅かながら目を輝かせる。
「……うん、頑張る」
「お、おう。そうか。頑張れ?」
ペースが掴めない。俺が困惑していると今度は少女が問うた。どうしたの、と。
「…どうしたんだろうな。ただ、何事もまずは嫁さんに相談だな、と言うことを学んだよ」
「……大変」
「…うん。大変…って、お前は?」
「……大変?」
「…知らねぇよ…」
それが、俺とあいつの出逢いだった。
***
目の前に現れた川はそれなりの幅と深さがあった。この世界の異能には多少慣れつつあったはずの俺も絶句する。意味がわからない。今わかっていることと言えば、これをしたのが今、その川のそばで地面に手をついているクルハであることと、
「今が逃げる絶好の機会だと言うことくらいか…!」
おそらく、いや、確実に猿女たちはこの機会を作るために先ほどの攻防…時間稼ぎをしたのだ。最初から自分たちも共に逃げる気なんて微塵もなかったと言うことになる。そんなことを話せば俺はもちろん隣で苦しげな表情を浮かべているティアもまた絶対に賛成はしなかっただろう。だが、その方法しかなかったのだ。だから、不利で勝てもしないとわかっている相手に向かって盾を構えた。向け得る矛がないが故に。
「そんな……」
ことをされたって、嬉しくない。
ティアはきっとその言葉を飲み込んだのだろう。暫く口を開閉した後はぁとため息をついた。
「さっさと逃げろ!時間はないぞ!」
「ずっとは続いてないからね。川から離れて逃げるんだよ。クルアなら、最短の道を開けるでしょ?」
皮の向こう側から猿女とクルハの声が届く。猿女はミツキに補強させた盾を使って今もなお矢と槍、そして重装備たちの剣を受け続けていて、その側でミツキが逐一盾についた傷を修復している。クルハは神気切れか今にも倒れそうな顔で微笑んでいた。
「クルア、あなたは私の大切な娘だから、守られて当然なんだよ。気にしないで、早く逃げなさい」
「………ごめんっ」
そんなに声を張っているわけではないのにクルハの声は自然とこちら側に届く。それが能力を使ったものなのかはわからなかったが、ティアは目に大粒の涙を溜めて頷いた。俺はティアの手を取って川から離れるように走り出す。
「×°%×1\><!!!!」
「早く行けっ!絶対逃げ切れよ!」
向こう側、軍の後方から檄が飛び、軍の携帯が変わり始める。どうやら身軽で俊敏な騎士達を分離させているようだ。その理由がわからないほど、俺の頭は平和ボケはしていない。
猿女の焦った声を聞きながら、俺たちはひたすらに走り続けた。
途中、何度か動物、追っ手、モンスターとエンカウントしつつも俺たちは四苦八苦してその全てから遁走し、やっと巻けて今は周囲を経過しつつ休憩していた。かなり走ったはずだが未だ森は抜けていない。
「…はぁ…はぁ…」
肩で息をする俺の左腕は手先から肘までの部分をザックリと切られ、骨まで見えるのではと思うくらいに深く抉られた有様になっていた。本当に見えるのかは怖くて確認できていない。制服のブレザーを破って患部の少し上に括り付けて止血し、残った布で流れる血を抑えた。血が滴っている所為で見つかったとかは避けたい。
「…ごめんね、ユー…私の所為で…」
「…いや…はぁ……お前の…所為じゃねーよ」
この怪我をしたのは足の遅いティアを右腕で抱えていたために避けようがなかったからだ。追っ手の騎士が剣を振り下ろすまで反応できなかった俺が悪いのであって、ティアは何もしていないのだから非があろうはずもない。左腕一本で頭を狙われた攻撃をなんとか致命傷にせずに済んだのだから儲け物だろう。あの騎士が単独で動いていて本当によかったと思う。彼処が今日一の正念場だった。
「…そろそろ行くか。ティア、疲れると思うが、もう一度頼む」
「私はそれしかしていないのだし、構わないけれど…大丈夫なの?もう暫く休んでもいいわよ?」
心配そうな顔で首を傾げるティアに苦笑して俺はまたその細い体を右腕で抱き上げる。俺よりも20センチほど小さい身体は存外すっぽりと収まった。
「大丈夫だよ。心配すんな。ここを抜けたら好きなだけ休憩するさ」
「……わかった…木よ」
渋々と言った具合にティアが呟くともう見慣れた変化が訪れる。木々が作った道を俺はまた必死に走り始めた。
エレミア、と呼ばれる騎士が俺たちの前に現れたのは本日2度目のことだった。ご丁寧に今回は増援してのご登場である。
「×¥*#6♪\<=々〒○×(これで先ほどのように逃げられはせぬな)」
ティアが通訳してくれてから俺は苦い顔をした。いや、この女に出くわした時点で苦虫を噛み潰した顔はしていたのだが。
俺は四方に目を飛ばし、その全ての箇所に他の騎士が隠れ潜んでいることを確認してからため息と共に吐き出した。
「…そうだな…なかなか厳しいよ」
俺の言葉が伝わったはずはないのに、エレミアの目が細まり口元に獰猛な獣の笑みが浮かぶ。細められた、俺の左腕を満足そうに見つめる、その目は碧だ。金髪碧眼がその周国とやらでは普通なのかもしれない。その深い碧の目が喜色に染まっているのはこの怪我をつけたのがこのエレミアだからだろうか。どうやらよっぽどのSらしい。
「…変態か」
「2*6×?☆#>%(悪口言ってるな?それくらいわかるぞ)」
「…ユー、悪口は伝わるみたいよ」
俺の呟きに即時反応したあり得ない地獄耳は置いておいて、俺はジリジリと焦げるような焦燥感に押されて逃走方を思案していた。完全に囲まれているわけではない。どこか、最も戦力的に劣る部分を潰せば或いは。
「+€<♪(最終忠告だ)」
「……………」
「°♪€6+\々○:+*☆9>%☆$<\」
エレミアの言葉を聞いてティアが下唇を噛む。訳してくれないと意味を介せない俺は少し困惑したが、向こうもティアの訳がないと会話が成立していないことをわかっているのか待ってくれていた。いや、他の騎士が到着するまでの時間稼ぎのつもりなのかもしれない。
「ティア?訳してくれないか?」
「………うん…」
かなり気落ちした様子でティアは先ほどのエレミアの言葉を訳し始めた。
「私たちの仲間になれ、勇者。私が…指導員兼妻となってやる…って」
「…妻?」
「簡単に言えば、プロポーズね」
「…………」
驚いた。開いた口が塞がらないと言うのはこう言うことを言うに違いない。
この状況下でのプロポーズにもドン引きだが、最終忠告として言う好条件として自身との結婚を言ってくるその精神にもドン引きである。
確かに、銀色の鎧を着込みさらりと長い金色の髪を流して細剣を扱い白馬を駆る姿はとても凛々しく、なるほどこれなら男女問わず人気があることだろう。自身の美貌を奢っていても仕方が無いことかもしれない。
だが、しかし、である。
「いやいや、こんな絶世の美女との逃亡を捨ててあんたとの結婚生活は選ばねーよ」
「なっ…何言ってるの?!ばかっ…」
エレミアに向けて言った言葉はエレミアには理解されず俺の隣に立つティアの顔が真っ赤になっただけだったーーって、なんでこいつが照れてるんだ。意味わからん。
「ティア、一瞬だけ、南西の騎士の動きを止められるか?」
その方角の先にあるのはそれなりに深い川だ。先ほどと同じ策にはなるが、逃げるには障害物の存在は大きい。
「…できなくはない、かな。ただ、本当に少しの間だけよ。そのあと、私の能力に制限かかるからね?」
「わかった。俺が言ったタイミングで頼む」
「ん、了解」
周囲をよく見る。歴史の授業なんぞほとんど寝ていたが、どの戦争でも状況の把握と言うのが重要になっていた。情報戦を制するものが勝つのだ。そして、この場合の勝利条件は必ずしもこいつらを倒すことではない。いやむしろ、誰一人として倒す必要はないのだ。こうして追われるほどに重要な戦力となる勇者。それに選ばれた俺ならきっと、やってできないことはない。
今はとにかく自信を持って、死ぬ気で逃亡するしかなかった。
ニヤリとした笑みのままこちらを見据えるエレミア、その背後から複数の気配がする。わかってしまえば何の事は無い、それは増援の騎士だった。将を射んと欲すれば先ず馬を射よ。馬がいなくなれば、助かるのだが。
そこまで考えたところでハタ、と思いつく。
ティアの能力は人には使えないのだ。
「ティア」
「?」
「馬の足を折ることはできるか?折れなくても、走れなくするだけでいい」
「んー…できなくはないけれど、馬が走っているときなら」
「…じゃあ、南西の騎士を止めた後じゃできない?」
「…そうね、厳しいと思うわ」
「そうか…じゃあ、」
ざ、ざ、と土を踏む音が徐々に大きくなる。エレミアの笑みも深くなり何かを発しようと口を開く、その刹那、俺は南西の騎士のそのずっと後方に視線を飛ばした。来いっ!と念じるその思いは願いというにはあまりに確信に満ち、能力と言うには裏付けがないものだったが、ソレは俺の念に応えるようにして現れた。
グルァアアアァアア!!!
「!?$¥4=%〒\!!!」
クマのような、虎のような人の丈の倍はありそうな巨体で大地を震わせるような咆哮を放つのは俺が何度かエンカウントしたモンスターだった。大きな三角の耳を持ち、顔立ちはネコ科っぽい。大きな牙があるのが特徴的だ。しかし、身体はクマに近く、全身を茶色い毛皮で覆って居た。何故だか尻尾は長く三本も生えている。俺的には可愛い部類に入るモンスターだった。しかし、エレミアはじめ騎士達にとっては違ったようで、慌ててそちら向かって剣を構える。俺はそれを横目にそのモンスターに向かって走り出した。
「えっ!ちょっと!」
「走るぞ!」
急いでいたために肩に抱えるというぞんざいな抱き方をしてしまったが今だけは許して欲しい。お前の足じゃ、絶対に逃げ切れないんだ。
「ティア!馬を!」
「えっあ、うん!木よ!其の足を取れ!」
南西にいた騎士は既にその場にいない。モンスターから距離を取るためだろうまさか武器も持たぬ俺がモンスターに向かって走り出すとは思わなかったのか騎士達は呆気に取られて動く気配がない。しかし、それも一瞬のことですぐに馬をりだした。
ズザザッ!!
その直後に全ての馬の足に木の根が絡まる。騎士達は一人残らず投げ出され、なんとも痛そうな金属音が聞こえた。着ていた鎧が原因だろう。
「感謝する!」
「グルァ!」
すれ違い様にモンスターに声を掛けると茶色い毛に覆われた顔が少しだけ笑ったように見えた。そのまま、モンスターたちは運良く馬から飛び降りることに成功した騎士達の足止めをしてくれる。討伐されてしまうかもしれないのにも関わらず、だ。意外に義理堅く優しいやつである。
「ぅ…」
必死に走っていると耳元でそんな呻き声がした。もちろん発したのはティアだ。気にはなるが、もう目の前に川がある。
「ティア!川に飛び込むぞ!しっかり捕まってろ!!」
「………………」
飛び降りながらティアを抱き直し、意を決して川に飛び込んだ。川と言ってもほぼ崖と言っていいもので、向こう岸まで軽く20mはあり、深さもそこが見えない。そもそもが、俺が立つ場所から水面までに2mほどの高さがある。俺は自分が下になるように体勢を整えてぐっと歯を食いしばる。予想通りそれなりの衝撃が走り、危うく手を離してしまいそうだった。痛みに耐えて腕の中のティアを見ると既に意識はなく、腕も俺に捕まることなく力なく垂れている。死んでも離すわけにはいかないと、改めて力強く抱きしめた。
水流は俺の予想を遥か上回っていて、足が付く深さでもなかったし、泳ごうにも両手は埋まっている。成す術なく、俺とティアは下流に向けて流されて行った。
視界の端に白銀の鎖を見た、その記憶を最後に、俺の意識は一度途切れることとなる。