1勇者の庭園
『そんな…』
またこの夢だ。銀色の長い髪の少女が泣いている。
『どうして私が…』
綺麗な赤の目からポロポロと涙を流す。
今日はこの少女の13歳の誕生日だ。その情報だけは持っている。
俺はその世界に見覚えはない。それは俺も、この夢の中の俺もだ。けれど、この少女を愛おしく思っていた。この子のことだけは知っていた。
『泣くなよ、ティア』
顔を上げた少女は問う。
初対面よね?と。
俺は首を縦に振り、少女を抱きしめる。
『初めまして。俺が守るから、泣かないで』
ティアはどんな反応を示すのか。
俺はいつもそれを見る前に目を覚ます。
……………
…………
………
……
…
ジリリリリリッ!
パンッ!ガシャ!
「あー、悪りい」
鳴り響いた目覚ましの音に少しイラッとした俺は勢い余って今週に入って三台目の目覚まし時計を破壊した。今時目覚まし時計を使っているなんてと、もしかしたら思う人がいるかもしれないが、俺の場合これがあるからケータイなどは使えない。破壊したときのショックが大き過ぎて立ち直れそうもないからだ。
俺は人よりも少しだけ力が強い。そして、人と少しだけズレている。それでもまあ、ごく普通と言える高校生だ。
勉強は嫌い。運動も嫌い。学校はまあ、通うだけならいい。そんな俺も今日からは三年生、受験だ。進学か、就職か。一応進学校である我が校は進学押しだ。勉強したくないんだが、仕方が無い。大学目指して勉強あるのみだ。
「行ってきます」
「あ!待って、勇!」
リビングの前を通り際声を掛けると中から母さんが出てきた。俺と全く似ていない母親だ。因みに俺は父親とも似ていない。
さらにのほほんとしている両親は気づいていないが、2人はO型、俺はA型なのだ。
前にテレビで赤ん坊の取り違えをやっていたが、おそらくあれなのだろうと思う。それとなく聞いた時はあり得ないよーと呑気に返されたが、俺があんたらから生まれる方があり得ないから。
「なに?」
「帰りに、お豆腐と白菜を買ってきて」
「…重い物だけ注文してる?」
「えへ?」
「なぜに疑問形…まあいいよ。了解」
免許を持っていない母さんはいつも俺にお使いを頼む。まあ、力だけはある俺の使い方としては正解なんだと思う。
いってらっしゃーい、という呑気な声を聞きながら学校に向かって歩き出す。
その道の真ん中で、駅のホームで、電車内で女子高生に告られた。
今日はいつもよりも多い気がする。
もちろん俺は有難く、
「ごめんね、俺、ずっと好きな人がいるんだ」
お断りさせていただいている。
時々ストーカーに進化する子もいるが、問題ない。問題があるとすれば
「誰ですか!?」
こうして聞いてくるやつだ。
よもや、夢の中の女の子です、と答えるわけにも行くまい。
「君が聞いても何にもならないよ」
知らない子だよ、と言わないのが味噌だ。そう言うとかなりの確率でストーカーに進化するし、俺が話しかけた女の子に被害が及ぶから。
「相変わらずよくモテるなぁ、朝比奈くん」
「竜…その言い方はやめてくれ」
教室の前でフっていると悪友の鷹村竜が肩に腕を回してきた。
「お前もモテるだろう。俺だけみたいに言うな」
「お前ほどじゃねーな。けど、お前と違って俺は時々オーケーするぜ?お前、振ってバッカじゃん」
「俺はお前と違って人間ができてんだよ。取っ替え引っ替えのお前と比較すんな」
「おーお、ひでえなぁ。いつまでその片思い拗らせんの。どこの子?俺が告白の場をセッティングしてやろうか」
「…余計なお世話だ」
竜の腕を払って席に着く。言わなきゃなんも変わんねーよ?とまだ喚いているが、言えるものならとっくに言っている。俺はあの子が一体どこの子なのかさえ検討もつかないから困っているのだ。
初恋は叶わない。みんなそう言うが、それは結果を知れている分、幸せだと言える。俺なんて、失恋する方法すらないーーはずだった。
「聞いてくれよー、昨日法事でさー。折角の休みがなくなったよ…」
「誰の法事だったんだよ?遠い親戚?」
「いや、叔父さんの」
「近いじゃん。文句言うなよ」
「けどさ、遺体もないのに法事とか、おかしくねぇ?俺あんま覚えてねーし」
「あ、遺体ねーの?」
「そうそう。13年くらい前に行方不明になったんだよね」
クラスの男子がそんな会話をするのが耳に届いた。誘拐ではなさそうなのに行方不明で法事というのも中々不思議だな、という感想を頭の隅で持つ。
「13年か…なんかさ、13年毎に起こってるんだって、行方不明事件」
今の世の中、人の特徴情報ーー骨盤の形や歩き方などーーは全て国に管理されて防犯カメラとリンクされている。防犯カメラが世界中余すところなく設置されている今、行方不明になってずっと見つかっていないというのは理論上あり得ない。
「13年おきに殺人を起こす奴がいるってことか?」
殺されて何処かに埋められたならば行方を眩まし続けることが可能だ。しかし、13年という長すぎるインターバルが気にかかる。その年月を待つ意味、そして、それでは殺人の回数が限られるという事実が妙な都市伝説感を生み出していた。
「いや、それなら犯人が見つかっていないことがおかしいだろ?殺害の現場と遺体を埋める道中、全てで防犯カメラを避け続けることは不可能だ」
「確かにな。急にパッタリいなくなるのか?」
「そう、世界中でその現象が起きてる。防犯カメラに映ってた例もあるぜ」
その映像では、始め、1人で夜道を歩く男性が映っていた。そして急に画面が白い光に包まれて、元に戻った時には既に画面内には誰もいなくなっていたらしい。光の前後で、人一人が消え失せる。そんな映像が実際にあるのだ。
「絶対異世界とかに飛ばされてんだよ。お前も気をつけろよ?」
「は?」
「いや、行方不明になってるのは何故か男だけなんだよ。誠実で、身体能力が優れてるやつばっかなんだ」
「…俺はイマイチ条件にあっているとは思わないが…もしも異世界があるのなら、行って見たいな」
ティアがいるのはきっと異世界だ。あるなら行きたい、彼女に会いに。
しかし、そんな世界を本気で信じているわけでもない。竜だって、行方不明事件の話を無理矢理に締めているだけだろう。
「えー…じゃあ、お前機会があったら行方不明になんの?」
茶化す様に言う竜に俺も苦笑して答える。
「かもなーー」
「ーーとは言ったが、別になりたかったわけじゃねーんだけど」
学校帰り、豆腐と白菜を持って自宅に向かっていた俺の足元に幾何学模様が浮かび上がる。その様を見ながら俺はそんなことを呟いた。
ーーもしも本当に異世界があるのなら、
白く染まる視界の中で、もうこの光から逃れる術はないと悟って俺は呑気にそんな思考をした。
ーーこの豆腐と白菜をどうしよう。
結局どうすることもできず、俺は通学鞄にしているリュックサックに入る多くのノートと教科書と、スーパーの袋の中の豆腐と白菜を手にしたまま、今まで育ってきた世界に別れを告げた。
***
次に目を開けた時、俺は何処かの森の中にいた。木々が立ち並ぶ場にポッカリと開けたスペースがあって、その真ん中には一段高くなった石段がある。その上に尻餅をついているというなんとも間抜けな状態だ。そんな俺を、石段を囲むようにして立っている多くの人間がマジマジとガン見する。正直、気分のいいものではない。その人間たちは皆一様に異様な服をきていた。インドか何処かの王族のようなデザインに金ぴかのやつがいたり、反対に簡素なシャツとズボンを着ている粗末なやつがいたりする。
ーー竜、どうやら異世界はあったらしいぞ
そう言えば、13年は経っていたのだ。クラスメイトの話を聞いた時になぜ気づかなかったのだろう。
身分差別の激しい世界…なのだろう。一目でどの人間の位が高いのかがわかった。
「…$%0×6・%5」
「…は?」
何かを言われた。一番偉そうな、一人だけ椅子に座ってふんぞりかえる小太りのおっさんに。それはわかる。しかし、何を言っているのかがわからない。
「$6+=\*!×3♪2=○!!!!」
『×3♪2=○!!!!』
そのおっさんが立ち上がり何かを叫ぶと周りにいたやつらも何かを叫んだ。同一の音に聞こえたから、きっと同じことを言ったのだろう。異世界の言葉だからか俺にはさっぱりわからないが、喜んでいるように見える。
やがておっさんが俺の背後を指差して、何かを言った。その言葉はやはりわからない。わからない、のだが
「$<*9々」
殺せ、と言ったように聞こえて俺は瞬間的に背筋を凍らせた。その言葉は俺に向けられたものではない。では、誰に向けられたものなのか。
「…うっ…」
俺は辺りは観察したくせに、石段の上を見落としていた。石段はそれなりの広さがあり、俺の後ろ、石段の端に1人の少女が虫の息と言っていい細い息をして倒れていた。
銀色の長い髪を辺りに散らし、肩で息をするその子は年の頃13と言ったところだろうか。粗末な服をきているやつよりもなお悪く、立った一枚の布すら羽織ってはいなかった。真っ白な肌が梢に遮られずに届く日光に晒されて輝いて見えた。
おっさんに命じられたっぽい男が少女の長い髪を掴んで石段から引きずり下ろした。
「…う…やめ…」
少女の剥き出しの四肢に擦り傷が無数に産まれる。石段の下に投げ捨てられた少女に、その男が剣を突きつけ、振りかぶる。少女はそれを感情を現さない赤い目でただ見つめていた。
「何やってんだよ!?」
俺はわけもわからず駆け寄り、少女と男の間に割り込んだ。周囲からザワザワと戸惑ったような声が上がる。いや、周囲だけではない。今まさに剣で貫かれようとしていた少女までもが驚きの声を上げた。
「…何やってるの、あんた」
「何じゃねー!助けるのが普通だろ!!…え?」
思わずそう叫んでから俺はキョトンとして背後で後ろを振り返る。そこには未だ力なく四肢を投げ出したままの、しかし、驚愕にその瞳を染めた少女の姿があった。
「…言葉が…わかる?」
「はぁ?当たり前じゃない。そんなことより、そこをどきなさい。じゃないとーー」
少女はもう息を乱してはいなかった。けれど、立ち上がるほどの力はないらしい。少女が言い終える前に小太りのおっさんの怒声らしき声が響く。
「×3*6$/!!」
「…なんて言ってるんだ?」
唾を飛ばして顔を赤くしている様子に怒っていると判断したものの、やはり何を言っているのかはさっぱりだ。眼前の剣を握った男は戸惑った視線を俺に向け、チラチラと小太りのおっさんの方を見ている。どうやら俺は今、この世界の常識からかなり離れた行動をとっているらしい。
「…そこをどけって言ってるの。いいから、何も考えずにそこをどきなさい」
「そしたらお前はどうなるんだよ?」
「決まってるでしょ?そいつに刺されて一旦死ぬのよ」
自分の死について語っているとは思えないほど気楽にその銀髪の少女は言い放った。当然のことを話すように、何の躊躇いも疑問もなく。どうやらこの少女を今この場で殺すことがこの世界の常識らしい。周囲の言葉はわからなくても雰囲気からそれくらいは読み取れた。
しかし、そんな常識など、知ったことではない。
「ーーえ?キャア!?」
「そんなの絶対おかしいだろ!」
俺は足元の少女を抱き上げ森の中に向かって走り出した。背後でやはり意味のわからない叫び声が幾つも聞こえたが聞こえない振りだ。呼び止められているような気もするが、どうせ意味はわからないのだし聞く必要はない。
「お、おろしなさい!こんなことしてもあんたにメリットはないでしょ!?」
「メリットデメリットで動くんじゃねー!俺はお前が死ぬのは嫌だ!それだけだ!」
少女を肩に担いぎ俺は全力で森を駆ける。後ろから追う音が聞こえてくるから、捕まったら最悪、俺も殺される。一瞬でも足を止めてはならない状況なのに、俺の口角は上がってしまっていた。
会えた、会えたのだ。銀髪赤目の愛おしい少女に。
「あっちに戻りなさい!そうすれば、いい暮らしが約束されるから!お願いだから戻って!」
「嫌だ!ティア、やっと会えたのに!」
「っ!?」
俺が名を呼ぶと肩でティアが息を詰めるのがわかった。なんで、とかその名をとかと小声で呟いているが、やがて、ため息。
「はぁ…もう、わかったわ。協力してあげる。……森よ、道を開き、追っ手を阻め」
ティアがそう告げると同時、前にあった木が動き、道を作る。反対に俺が走ってきた道を塞いで行く。流石は異世界。魔法だろうかなどと思えている俺はまだまだ余裕がありそうだ。
「その道を走りなさい」
それだけ言うとティアは無言になった。身体に少しの力も入っていないので、眠ったようだった。
「ありがとう」
俺は独り言のようにそう言ってティアが開いてくれた道を必死に走った。
「はぁ…はぁ…」
「…本当に撒けたのね…絶対途中で捕まると思ってたわ」
木が開く道を走り続けること…何分だろう。体感では三十分は走ったと思うが、正確にはわからない。その先にあった洞窟奥に俺とティアは隣り合って座り込んでいた。
「なぁ、あの入り口は閉ざせないのか?さっきの魔法みたいなやつで」
「マホウ?それが何かわからないけれど、神術なら使えなくはないわ。オススメはしないけれど」
シンジュツ、という聞きなれないワードは一旦置いておいて、とにかく話を進めることにする。
「なんでだ?入って来られたら厄介だろう」
「そりゃあそうだけど、小石をあそこに敷き詰める程度しか出来ないわよ?大きな岩はここにはないのだから。逆に目立つわ」
「…確かに」
呆れ顔でもきちんと説明してくれるティア。夢のイメージとはかなり違うが、いいやつなのだろう。洞窟の入り口を見ながらそう思っていると隣から笑い声が聞こえてきた。顔を向けずに尋ねる。
「…ふふっ」
「? どうした?」
「いえ…私、生きてるなぁと思って」
「…殺されるのが普通なのか、やっぱり」
「ええ。通例では、私は今頃胸を一突きされて死んでいるわ」
やはり、さらりと言う。まだ13やそこらの少女が自分の死をそんなに軽く言うことに、やり場のない怒りが生まれた。
「通例ってのはどういう意味だ?お前みたいなやつが多くいるのか?それとも、この世界では殺人は普通なのか」
「いいえ。この世界でも殺人は大罪よ。殺『人』は、ね」
ティアはチラリと洞窟の入り口を見て、口を閉じた。俺もそこを見るが特に何もない。
「…?なぁーー」
「黙りなさい」
ガバッと口を押さえられ、俺は仕方なく入り口の方だけを見続けた。
「……………」
「……………」
しばらくの静寂の後、多くの足音が聞こえてくる。徐々に大きくなって行く足音はやがて洞窟の前で止まり、中を覗き込んで通り過ぎて行った。
「…はぁ」
「…よかった…」
俺とティアは同時に安堵の息を着く。多分、人生で一番緊張した瞬間だった。そこでようやくティアの方をちゃんと向いた。
「これで一先ずは安心…だ、なーー」
「ええ、そうねーーどうしたの?」
こてん、とティアが首を傾げるーーのを見ず、俺は人生でこれ以上ないくらい速くブレザーを脱ぎティアに投げつけた。
「わっ!?なに?」
「きてくれ!頼むから!!」
俺はティアをあの場から無我夢中で連れ出した。ティアは何かの意味があったのか裸だった。つまり、今もなおその状況は変わっていないのだ。
目の毒過ぎる!!
おそらく俺の顔は今真っ赤になっていることだろう。ここが薄暗い洞窟内であったことだけが唯一の救いだ。ティアに顔を見られないで済むから。
「ああ、なるほど…子供ねぇ…」
ティアは何処か達観した台詞を吐き、俺のブレザーを着てくれた。一先ずはこれで俺の精神は保たれた。
「それで、いろいろ聞きたいことがあるんだけど」
「うん、わかってる。いつもなら説明はさっきのデブがするのだけれど、今回は本来の形通り、私がきちんと説明してあげるわ」
だけど、その前に、とティアは前おいて、真剣な表情になった。
「あんた、どうしてティアなんて名前を知っているの?そんな大昔の名、呼ばれたのは随分久しぶりだわ」
「大昔の名?お前、今はティアじゃないのか?」
「ええ、クルアというのが今の名よ」
「…ティアの妹とか…」
「違うわ。本人よ。ティアというのは初代の名ね」
本当、よく知ってたわね?とティアは不思議そうに首を傾げた。俺はそれを視界の端に捉えながら頭を抱える。
ティアという少女は一体なんなのだろうか。
次の話でいろいろと説明を入れて…ティアにきちんと服を着せたいです…なるべく早くできるように頑張ります