第五話 雷速の召喚士
久しぶりの投稿です。
これからはこちらもできるだけ定期投稿していきたいと思いますので、よろしくお願いします。
ガーゴイル。
目の前で咆哮を上げる化け物猫は、貴族だった頃に見た岩の怪物を思わせた。そのとき見た物は戦闘用の頑強で凶悪な暴力装置であったが、それにも劣らぬ迫力だ。俺はグッと唾を呑みこむと、一目散にその場から逃げだす。強張った足がもつれ、崩れるように前のめりになりながらも懸命に土を蹴る。殺される――かつて感じた死の気配が俺の背中に迫ってきていた。トラックのように無慈悲に、ギロチンの刃のように冷たく。
猫の身体が跳ねる。圧倒的な重量を誇るはずのそれは、全身の筋肉をしなやかに躍動させ音もなく飛んだ。巨体が弧を描き、俺の前に軽やかに着地する。回り込まれた格好となった俺は慌てて方向転換をしようとするが、木に行く手を遮られてしまった。節くれだった木肌が切り立った崖のように立ちはだかる。
「クソッ!」
迫りくる灰色の巨体。俺はとっさに奴の足元に広がる召喚陣を確認した。多少掠れてはいるが、まだギリギリで使えそうだ。恐怖に震える心と体。俺は膝を叩いて無理やりに気合を入れると、召喚陣の端に手を置き、極限まで精神を集中させる。ここで踏ん張らなければ。また死んで後悔することになるぞ! 諦めて怠け続けた前世と前々世。それを覆すために、俺はこの場にいるのだ。まだ何も成し遂げていないのに、何もやり切っていないのに、死ぬわけにはいかない――!
この化け物を潰せるだけの質量を持つ物体。とっさに俺は、自宅の倉庫を思い出した。収穫した麦を一時的に保存しておくための巨大な石造の倉庫。分厚い石壁で構成されたそれは、重さ十トンぐらいはあるのではないだろうか。あれであれば確実に眼の前の化け物を潰せる。間違いない。だが――質量が増えるにつれて求められる魔力も加速度的に増える。練習してきたとはいえ今の俺に、果たしてそれだけの魔力があるのか。もしかしたら、限界を超えて死んでしまうかもしれない。初回に感じた、尋常ならざる疲労感。あれを超えるとなると――背筋が冷え、血の気が失せる。しかし、決めなければ!
「おっそりゃあああァ!!!!!!」
手から迸る光。溢れだす魔力が満潮のように、一気に召喚陣を満たしていく。地面に刻まれた幾何学文様はにわかに輝きを帯び、周囲の空気が変わった。吹き渡る風が止まり、静寂が広がる。不穏な力の動きを察したのか、俺に向かって前脚を伸ばしてきていた猫の動きがはたと静止する。そして次の瞬間――光が弾けた。光の奔流に視界はたちまち白に占拠され、眼が焼けつく。全身の皮膚がカッと熱くなった。荒れ狂う炎の化身――いや、天空に輝く太陽がこの場に墜ちたようだ。
「やったか……?」
濛々と煙る土埃。しばらくして視力が回復した俺は、視界を覆うそれらに眼を細めつつもほうと息をついた。つぶやくことさえつらいが、まだギリギリで生きている。心臓は止まっていない、意識も失っていない。思った以上に、俺の魔力は成長を遂げていたようだ。気疲れしてしまった俺は、心の底からやれやれと胸をなで下ろす。だがその時だった。周囲に立ち込める土埃を消し飛ばすように、恐ろしい叫びが響く。
「グアアァ!!!!」
「な、デカイ……!」
大怪獣。西宝の特撮映画に出てくるようなスケールの猫が、目の前にいた。俺の後ろにある巨木とタメを張れるぐらいのサイズだ。大き過ぎて、もはやこの世のものと言う実感すら薄い。俺はもう何とも言いかねて、口からは冷めた笑いがこぼれた。――自衛隊を連れてこい! 思わずそう叫びたくなる。
思わぬ巨大化を果たした猫は、高くなった視点にやや戸惑ったような態度を示した。だがすぐに落ち着くと、目の前の獲物を一瞥する。猫らしく細く締まった瞳孔が、俺の身体を貫いた。いつか見たギロチンの刃。その艶やかな輝きと頭上から見下ろす金色の眼がダブって見える。俺の心はたちまち震えあがり、その場から瞬く間に逃げだしたが、肝心の身体が動かなかった。魔力の使い過ぎで、手を上げて顔を覆うことすらできない。
――ここまでか!?
想定外の事態に俺が三度目の死を覚悟した瞬間、壮絶な光と音が猫の身体を貫いた。紫電が迸り、灰色の身体に一筋の罅が入る。ただならぬ気配と張り詰めた空気。猫はたちまち光のやってきた方角へと振り向いた。するとその視線の先には、着崩した黒いコートを翻し煙草を吹かすレフィールさんの姿があった。
「おーおー、こりゃまたずいぶんとデカイ融合獣だこと」
「レ、レフィールさん……!」
「この馬鹿弟子がァ! 何かこそこそやってると思ったら、まさかこんなことやってたとはねえ。あとで事情をたーっぷり聞かせてもらうわよ!」
「す、すみません……」
「ふん、とにかくできちゃったものは仕方ないわ。ちゃっちゃっと倒すから見ておきなさい。私の星級召喚術を!」
レフィールさんはそう叫ぶと、胸元をグッとさらけ出した。露わになった豊満な膨らみと深い谷間。俺は思わず視線を逸らそうとしたが――逸らせなかった。別にエッチなことが理由ではない。彼女の左胸に、俺が描いた召喚陣をさらに複雑化したような陣が刻み込まれていたのだ。白い肌に黒々と浮かび上がるそれは、鮮烈な印象でもって俺の視線を吸い寄せる。
「元素召喚! 豪雷!!」
手を胸の召喚陣に押しつける。魔力が陣へと流れ込み、レフィールさんの気配がにわかに神懸かる。髪が重力に反して逆立ち、目の冴えるような稲妻が全身を駆け抜ける。色彩が白みを強め、存在そのものが霊的な物へと移り変わったかのようだ。
手にしていた煙草を、レフィールさんは空高く放り投げた。その直後――いや、「それと同時に」と言うべきだろうか? 彼女は瞬時に猫の眼前にまで移動する。まさに一瞬。置き去りにされた残像を、俺ははっきりと見ることが出来た。マッハなどと言う生ぬるい物ではない。もっと遥かに速い――そう、雷のように。
「雷天脚!」
炸裂した回し蹴り。そのつま先が触れた時、猫の身体を電撃が迸った。遠雷さながらの爆音が響き渡り、相当な硬度を誇るであろう頭部が木っ端微塵に砕け散る。その石のシャワーが地面を叩く寸前、再びレフィールさんは消失した。急いで視線を走らせると、彼女は先ほど立っていた場所のやや後方まで移動していた。その手に握るのは紙巻き煙草。先ほど投げた物を地面に落ちる前に回収したようである。
ぽってりとした形の良い唇から、ふうっと煙が吐き出された。そのあとを追うようにして、化け物の巨体が崩れ落ちる。最初に煙草を投げてから、三秒と経っていない。何と言う早業――俺はたまらず息を呑み、叫ぶ。
「すっげえええェ!!!!!!」