プロローグ 処刑台の上で
容赦なく照りつける灼熱の太陽。その輝きのもとで、万にも達しようかという大群衆がどよめいている。彼らが揃って熱い視線を注ぐのは、この日のために特別に造られた処刑台。いま、俺が屈強な刑務官によって座らされて居る場所だ。すでに両手両足は鋼鉄の鎖でしっかりと拘束され、遥か頭上で輝く青白い刃が首へと滑り落ちてくるのを待つばかりである。
俺の名はラティーヌ・フォル・バルトネルク。このゼルルーガ帝国の元伯爵にして、吸血公と恐れられた男だ。しかし、それも過去の話。今は刑が執行されるのを待つだけの死刑囚である。
「最後に言い残すことはあるか?」
威圧的な態度で尋ねてくる刑務官。俺は上半身を捩じり、彼の鉄面皮と目を合わせると、たまらず自嘲する。
「最悪の『第二の』人生だった。後悔してる」
「そうか、うむ」
第二のという部分で眉を寄せた刑務官であったが、すぐさま何事もなかったかのように頷いた。違和感を覚えたとしても所詮は死に瀕した人間の戯言、相手にしなかったのだろう。だが、俺が言ったことはすべて真実。そう、俺ことラティーヌ・フォル・バルトネルクは比喩ではなく本当に第二の人生を送っている人間――つまりは、転生者なのだ。
俺の前世は冴山 京丞という日本人だった。父は大手銀行に勤める銀行員で、母は専業主婦。兄弟は三歳年上の兄が一人という、至って普通の一般家庭に生まれた。運動は苦手だが勉強はできるというスペックを持った俺は、そんな家族のもとで中学まではエリートに近い順調な人生を歩いてきた。体育と美術以外はほぼオール5で、テストをやれば学年一ケタ。人気者ではなかったが、クラスメイトからは一目置かれる存在だった。
だが、高校に進学したころから俺は少しずつ駄目になっていた。いや、正確にはずっと駄目だったのがたまたま上手く行っていただけというべきだろうか。実は俺は、高校生になるまでろくに勉強と言うことをしたことがなかったのである。どうにも俺には生来の怠け者気質があるらしく、家で机に向かって勉強すると言うことが面倒で仕方なかったのだ。けれど、頭の出来は悪くなかっただけにそれでも中学では十分な成績を取ることが出来た。高校受験も、一夜漬けに近い学習法でどうにかできてしまった。そのことで変に自信をつけた俺は、高校でもまったく勉強をしなかったのだ。
当然、成績はドンドン下がり、留年にこそ引っかからなかったが学年最底辺のあたりまで落ち込んでしまった。けれど、その時の俺は対して危機感を感じていなかった。本気を出せばどうにかなる。そのうち本気を出せばいい。今となって考えてみれば――まさに駄目人間の発想だ。だが当時の俺は、それでどうにかなると本当に信じていた。
もちろん、どうにかなるわけがなかった。大学受験に失敗した俺は、俗に言うFラン大学に進学した。国立大卒の親父と難関私大に入った兄は、揃って俺のことを見下し始めた。二人ともそれほど口に出すタイプではないので、怒るようなことはなかったが、食事の時に視線がいつも冷たかった。哀れな犬猫でも見るような鋭い眼差し。それは俺の心を抉るには十分だった。
母は二人から俺をかばうようにしてくれたが、その顔もどこか呆れを含んでいたのを覚えている。自業自得だと言うのに、俺はそれが辛くてたまらなかった。次第に俺は家族の前に顔を出さなくなり、それに比例するようにして大学からも足が遠ざかった。通っていた大学はFランだけあって、髪の毛を茶や金に染めた見るからにチャラチャラした連中が多く、どちらかと言えばオタク嗜好の俺には居づらい場所だったのだ。
最初は、単位が取れる範囲で休むだけにしていた。けれどそれはどんどんエスカレートして、いつの間にか留年。それをきっかけに投げやりな気分になっていた俺は、引きこもり生活に突入してしまった。父も兄も、そして母までもがそのときすでに俺に見切りをつけていたらしく、部屋から出ないようになっても何も言わなかった。それどころか、三人家族のようにして暮らし始めてしまった。自分がいらない人間なのだはっきり自覚した俺は、現実逃避を加速させて気が付けば、一年以上も部屋に籠っていた。
そんなある日、俺は家を追い出された。兄が結婚を決めたことがきっかけだった。相手の両親が婿の家柄などを気にする人物だったらしく、家に引きこもりが居ては差し支えがあるだろうと言うのが理由だ。手切れ金として五十万ほどの札束を渡された俺は、文字通り家から叩きだされた。三番アイアンで背中を叩かれた時の痛みは、今でも覚えている。
季節は一月。寒空の下、道端へ放り出された俺は――呆気なく死んだ。エアコンの効いた部屋から一歩も出ず、ぬくぬく暮らしていた俺にとっては、温暖化した日本の冬とはいえ寒過ぎたのだ。渡された金でひとまずカプセルホテルでも取ろうと通りを渡っていた途中。心臓発作でも起こしたのか、意識が朦朧として、車道のど真ん中で倒れてしまった。そしてそのまま、やってきた車に跳ねられて死亡。享年二十四歳、短くて薄い生涯だった。
こうしてろくでもない人生を送ってしまった俺は――転生した。転生先は地球ではなく、魔法あり剣ありのファンタジー世界だった。オタなら一度は憧れるであろう、異世界転生と言う奴である。しかも俺が生まれた家は、大陸の四分の一近くを治める大帝国の名門貴族。さらに言うなら、家を継ぐことができる長男坊だ。まさに絶好とも言える環境に、俺は転生したのである。だが――
「首をしっかり押さえろ。動かないようにな」
「了解!」
若い刑務官の一人が、俺の背中に足を乗せ、身体を床に抑えつける。既に頭は断頭台の窪みに収められ、斬られるのを待つばかりだ。絶体絶命。いや、そんなものとうに通り越している。俺は自らを罵る数万の大群衆を見下ろしながら、ふうっと湿った息を漏らす。
「前より悪化してるじゃねーか……」
二回目の人生。神様が与えてくれたとしか言いようがないチャンスに、俺は最初のうちは間違いなく燃えていた。強くなるため日々の訓練を幼いうちから自らに課し、毎日それを着実にこなして行った。大嫌いだった勉強も、前世の知識を活かしつつ一日五時間以上もやった。しかし――俺はいつからか努力することに飽きてしまった。
名門貴族の息子、頑張らなくとも将来は完璧なまでに保障されていた。というよりも、約束された将来しかなかったと言っていい。将来治めることになる領地には肥沃な農地が広がり、資源も豊かに採掘することが出来た。俺が現代知識を披露して内政などする必要は全くなかったし、むしろ俺のテレビやネットソースの中途半端な知識を導入した方が、かえって収穫が下がるぐらいだったのだ。さらに十歳にして見たこともない令嬢との婚約が決まり、家族設計までもが一族の総意によって形作られた。
結局のところ、俺自身の性能が多少上下したところで、辿ることになる人生は変わらない。ずば抜けた功績を上げたところで、名門とはいえ王族の血が入っていないバルトネルク家は伯爵以上にはなれないだろうし、逆に、反乱でも起こさない限り家の屋台骨が揺らぐということもない。だったら無理して頑張らずに、好きなことをやって生きればいいじゃないか――今から考えればまるっきり駄目な発想だが、当時の俺は本気でそれでいいと思った。
そうして俺は、いつの間にか典型的なボンクラ貴族になっていた。朝に二時間ほど政務をこなすと、日中は部屋でごろごろしながら本を読んだ。夜になると、美人揃い――俺自ら領内中から巨乳美女を選抜した――メイドたちの中から三人ほどを選び、ズッコンバッコン。そのときすでに、性格も身体も素晴らしくわがままな嫁が居たが、そこは上流貴族のことだ。美貌自慢の彼女のプライドのため、月に何回か関係を持てば特に文句は言われなかったし、仮に機嫌を損ねたとしても宝石の一つでも買ってやればすぐに笑顔になった。
こうしてアホな生活を続けた俺は、危機察知能力を完全に失ってしまっていた。その結果、ほとんど何も知らないうちに王弟ヴァスクロー公爵と王子による王権争いに巻き込まれ、破れたヴァスクロー派の一人として反逆者の汚名を着せられてしまったのである。ヴァスクロー公爵本人は責任のほとんどを逃れて領地と財産の一部没収で済まされているので、トカゲのしっぽ切りにあった形だ。彼らにとってそれなりに地位が高く、世間知らずな俺は責任を取らせるにはぴったりの存在だったのだろう。
反逆者となった俺につけられたあだ名は吸血公。暴虐の限りを尽くし、重税を掛けて民の生き血まで啜る――ということから来た名前らしい。実際にはそこまでのことはやっておらず、税率も他よりむしろ低いぐらいだったのだが――歴史の敗北者の扱いなんて、どこの世界でもこんなものなのだろう。今更それに不満を唱えても、仕方あるまい。
「すみませんでした、神様。チャンスをくれたのに……」
最後に浮かんできたのは、神に対する懺悔の言葉だった。それを言い終わった途端、ズッと恐ろしい音が響いて刃が降ってくる。青白く輝く刃は俺の首を一瞬で真っ二つにし、切り離された頭はごとりと転がった――。