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かぐや  作者:
6/14

四(下)

 「燕の子安貝」などありはしない。だがその言葉を、文緒は知っていた。――正確には、その謎かけを知っていた。



「『燕の子安貝』は、どこにあるか?」

 捨てられ、山の中を放浪していたいつかの夜に、文緒はその話をしたことがあった。

「……子安貝って何?」

 共にすごしていた子どもは、眉をきゅっと寄せて首を傾げた。


 海を知らぬ文緒は、本物の子安貝を見たことなどない。この子も同じなのだろう。文緒もどんな物なのか上手く思い描けず、母からの受け売りを、見てきたように語ることしかできなかった。

「卵みたいな丸い貝で、珍しい宝物の一つだよ。あと、子宝のお守りなんだって」

「『燕の』ってことは、燕の巣にあるんじゃないの?卵みたいに、燕が産むんでしょう」

 くるりと目を回して、その子は不思議そうに言った。考え込むその仕草は、やはり幼い弟にそっくりだ。文緒は懐かしくて口元を緩めた。そうして微笑もうとすると、二人で話す時以外あまり動かさない頬の肉が、引き攣れてぴきりと痛んだ。


 夜にお伽噺をすることは、文緒とその子の決まりごとになっていた。

 日のある明るいうちは、ほとんど黙りこくって山道を歩く。ひもじさは草の茎を噛んで誤魔化し、喉の渇きは岩窪にたまった雨水をすすってしのいだ。ふらつく足で少しずつ進み、夜は疲れ果てて、木のうろや岩かげにうずくまって眠った。その眠りに落ちる僅かな間で、身を寄せ合ってお伽噺を語るのだ。


 文緒は首を振って、その子が出した答えを否定した。

「悪し。燕は子安貝なんか産まないよ」

「わかってるよ。でも、『燕の子安貝』って言うから」

 その子は不満そうに唇を尖らせた。

 そう、文緒の言うことは矛盾している。だがそこが、謎かけなのだ。

「答えはなあに?早く教えてよ、お兄ちゃん」

 文緒の汚れた衣の端を引っ張って、子どもはせがんだ。


 数日一緒に過ごして、この子がはきはきした子なのだということを、文緒は知った。

 素直で率直な子だ。特別わがままでも堪え性がないわけでもないが、この子は自分が何をしたいかちゃんとわかっていて、それをはっきり文緒に伝える。自分の望みに疎くて、口の重い文緒にとっては、とてもうらやましい性質だった。

 疲れたら休みたいと言い、眠たくなればお伽噺の途中でもすこんと寝てしまう。自分にはないその素直さに文緒は戸惑ったが、同時に小気味良くもあった。

 だがこの子は、「家に帰りたい、お母さんに会いたい」とは、もう二度と言わなかった。


「燕の巣を探しても、子安貝はない。つまり、無駄ってことだ」

 答えを話しながら、文緒は密かに久しぶりの優越感を味わった。謎かけの答えを知る者だけが味わえる、ささやかな優越感だ。

「『燕の子安貝』なんてない。探しても無駄だ。つまり――『かひなし』。わかる?」

 子どもはきょとんとしたが、ややあって答えを理解したのか、「なあんだ」と眉を緩ませた。

「『燕の子安貝』なんて、ないんだ。つまんない」

 ふてくされたように言うので、文緒は少し慌てた。この謎かけはおもしろくなかっただろうか。

「まぁでも、誰も探したことはないから。本当にないかどうかはわからないよ」

「じゃあもしかしたら、『かひあり』かも?」

 その子がおもしろそうに微笑んだので、文緒もほっとした。

「うん。そうだったらおもしろいね」



 ◆◆◆


「――『燕の子安貝』は、ありません」

 長く迷った末に、文緒はそう言った。

「……私は、そうとしか存じ上げません」

 文緒は深々と平伏した。目を閉じて、沙汰を待つ。文緒が言えるのはこれだけだった。


 案の定、頭上からは怒りに裏返った声が飛んできた。

「佐貫!やはりこやつは宝のことなど、知らぬのではないか!」

「この者に縄をかけよ。虚言によって中納言様を惑わせた罰じゃ」

 佐貫は手を打ち、大声で命じた。

 すぐさま脇から侍らが駆け寄ってきて、文緒を地面に引き倒し、頭を押さえつける。あまりにも素早く、文緒が何かをする隙もなかった。

 やはりこれは最初から、準備されていたことなのだ。


 固い地面に強く押しつけられ、身動きはおろか息さえできなかった。文緒は苦しさに呻きながら、かろうじて顔を動かし、息を吸おうとした。

 視線を僅かに上げれば、佐貫の姿が見える。簀子に立ち、文緒を見下ろしている。


 嘘ではない、と言うこともできた。これは謎かけなのだから、「燕の子安貝」はない、「かひなし」で正解なのだ。

 だが、どうしてもそこまで教える気にはならなかった。自分を見下ろし、笑う佐貫に、答えを教えてやるのは嫌だった。

 淡い優越感などありはしない。それはただの、文緒の意地だった。

「柱に括りつけ、竹の鞭で打て。その後のことは、追って沙汰しよう」

 そう命じてから、佐貫はきざはしをゆっくり下りて、地べたに倒れ伏す文緒の前に立った。


 屈みこみ、文緒の髪をむんずとつかむ。無理やり頭を持ち上げられる痛みで、文緒はまた呻いた。

「――今度こそこの屋敷から追い出してやる。汚らわしい下郎め」

 低い、文緒だけに聞こえるような、押し殺された声だった。

「お前は疫病神だ。いるだけでお館様のお心を悩ませ、煩わせる」

 ひたりと、視線が合わさる。佐貫の眼差しはじっとりと暗かった。

「大方、お館様を騙してこの屋敷に入ったのだろう?疎まれるわが身を省みて、疾く去るがいい」


 佐貫は文緒の頭を地に叩きつけるように手をはなした。頭を打った衝撃で目に火花が散る。だが文緒は瞬いてそれを払うと、佐貫を睨みつけた。

 腹の底に火がついたかのような怒りが、かっとこみ上げた。

「……違う」

 くいしばった歯の隙間から、文緒はそう言った。


 主人を騙してこの屋敷にいるのではない。文緒がここにいるのはそんな理由ではない。

 どれだけ疎まれ、憎まれたとしても、文緒はここから絶対に去らない。


 佐貫の憎しみのこもった目つきに、文緒も同じだけ怒りをこめて睨み返した。

 何も知らないくせにと、吐き捨ててやりたかった。――だがそれは、許されないことだ。

 先に視線を別の方へ向けたのは佐貫だった。立ち上がり、何事もなかったように「連れて行け」と命じる。腕を後ろへねじり上げられ、引きずられるように文緒は運ばれた。

 厨の脇へ引っ張り込まれて見えなくなるまで、文緒はずっと佐貫を睨み続けた。


【蛇足】「かひなし」の掛詞…「貝なし」と「甲斐なし(無駄だ・取るに足らない)」

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