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かぐや  作者:
5/14

四(上)

 文緒は庭先に跪いていた。神妙に顔を伏せてはいたが、内心ではなぜ自分はここにいるのかと、大いに混乱していた。じっと地面の白砂を見つめながら、文緒は耳だけすまし、自分のおかれた状況を把握しようとした。


 簀子の上には平伏する文緒を見下ろして、佐貫がにやにやと笑って座っているのだろう。高圧的に呼び掛ける声には、この状況を楽しむような喜色があった。顔は見えずとも、文緒の狼狽は伝わっているようだった。

「早く答えぬか。もったいなくも中納言様が直々に、お前に聞いているのだぞ」

 文緒は一層頭を低くし、額を地面に擦りつけた。困惑して、唇をかむ。


 答えろ、と命令されても、それは許されないことだとわかっている。身分が違うのだ。うっかり文緒が口を聞こうものなら、弁えよと打擲されてしまうだろう。

 頭上、佐貫より遠くから、高くくぐもった声が聞こえた。

「構わぬから、申せ。――『燕の子安貝』とは一体何なのだ?」

 これが中納言の声なのだろうか、それともつき従っている随人のものなのか、文緒にはわからなかった。ただ男にしては甲高く細い声だと思っただけだ。



 まだ日は中天を越したばかりと高く、文緒が警護の任につくような時間ではない。だが昼間から、この屋敷には石上中納言が訪ねていた。

 阿部大臣と同じく、石上中納言もまた竹姫に求婚している一人だった。中納言殿について、文緒が知っているのはそれだけだ。だがどういうわけか、文緒はその中納言から呼びつけられ、こうして尋問を受けている。文緒はこの展開にまったくついていけていなかった。

 そもそも、「佐貫殿がお呼びだ」と言われてここに来たのだ。何か雑事でも言いつけられるのだろうと思っていたが、まさか貴人の前に引き出されるとは思っていなかった。

 何か高貴な方の目に留まるほどの粗相をしてしまっただろうか。文緒は近頃の自分の行いを急いで思い返したが、見当もつかなかった。


 佐貫はもったいぶって言った。

「こちらにいらっしゃる石上中納言様は、竹姫様とご婚儀を上げられる予定の御方だ」

「――」

 文緒の息が止まりかけた。思わず、ぴくりと肩が跳ねる。

「だがその証しに、竹姫様は『燕の子安貝』をご所望なのだ。お前、その宝について知っていることを申せ」


 つまりは、中納言もまた他の婿候補者と同じように、難題をぶつけられたのだ。文緒はゆっくり息を吐き出して、肩の力を抜いた。

 佐貫の言い様ではまるで、婿殿は中納言に決まったかのようだ。だが、中納言殿の手前そう言っただけで、実際のところは違うのだろう。



 「燕の子安貝」とは、今回もまた大層な難題だ。そしてやはり、懐かしい。ほっとしたせいか気が緩んで、文緒は口の端だけで苦笑した。顔を伏せているので、前のように見咎められることはない。そのことが有り難かった。

「許すと言っているのが聞こえぬか。顔を上げよ。疾く申せ」

 先程の甲高い声が、苛立ったように急かした。文緒は迷った末に、ゆっくりと顔を上げ、簀子の上を仰ぎ見た。


 勾欄の向こうから、佐貫が冷ややかにこちらを見下ろしている。その他は誰の姿も見えなかった。件の中納言は、奥の庇にでもいるのだろう。ここから姿が見えるのは佐貫だけだというのに、何人もが自分に注目しているような、肌に突き刺さるほどの気配を文緒は感じた。

「……」

 けれど依然、どう答えてよいものかわからず、文緒は黙ったままでいた。

 なぜ中納言が、自分に「燕の子安貝」のことを尋ねるのか。それがわからなかった。

 文緒は宝など一つも見たことはないし、燕や貝についても詳しくなどない。中納言ほどの身分であれば、もっと見識の広い人物をいくらでも知っているだろう。それなのに、なぜ文緒などに訊くのか。その意図がわからなかった。


 ――「燕の子安貝」という言葉自体は、知っているものだったが。それを素直に語っていいとも思えなかった。



「佐貫よ。そやつは本当に知っておるのか?」

 沈黙し続ける文緒に苛立ったのか、高い声が不審げに問う。佐貫は奥に向かって、深々と頭を下げた。

「はい。そこの文鷹と申す者は、先日竹姫様が阿部大臣様にご所望になった『火鼠の皮衣』のことを、存じておったのです」

 文緒はぎょっとして、思わずまじまじと佐貫を見つめた。――一体、何のことを言っているのだろう?

 佐貫はこちらを一瞥もせず、奥の中納言へ淡々と続けた。


「『火鼠の皮衣』を知るなら、どうして『燕の子安貝』を知らないことがありましょう。大臣様にはその秘密を耳打ちしたというのに、どうして中納言様には申し上げられないことがありましょうか」

「空言だということもあるではないか」

「さて」

 佐貫はそこでちらりと文緒を見下ろした。目を細め、文緒だけにわかるように笑う。


 嘲りの笑みだった。

「その時は、この賤しい者を相応しく裁かねばなりますまい。ですがよもや、知らぬということはないでしょう。――皮衣を知らぬと言った私を、これは笑ったのですから」



 ――覚えておれ。

 憎々しげに佐貫が吐き捨てた言葉を、文緒はやっと思い出した。むき出しになった悪意に、ぞっと血が引くような思いがした。

 「火鼠の皮衣」に思わず笑ってしまい、それを佐貫に見られて憎まれたのは、ほんの三日ほど前のことだ。佐貫はそのことを、思った以上に深く根に持っていたらしかった。

 これは、報復なのだ。文緒ははっきりとそう悟った。



 いつの間にか、文緒は阿部大臣には協力したことになっている。黙っていることも、何か言い逃れすることもできない状況が、佐貫によってつくられていた。

 文緒が「燕の子安貝」を知っていると答えようが、知らないと答えようが、空言であると咎めるつもりなのだろう。文緒よりも佐貫の言葉が重んじられるのは明らかだ。そして中納言まで巻き込んだ以上、罰は重くなる。

 佐貫は「燕の子安貝」などありはしないとわかっていて、この状況をつくったのだ。文緒を罠にかけるために。


「では答えよ。『燕の子安貝』とは、どこにあるのだ?」

 甲高い声が、高圧的に降ってきた。袋小路に追い詰められたような思いで、文緒の背を冷たい汗が伝った。


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