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かぐや  作者:
4/14

三(下)

 風か獣か、近くの茂みががさりと音を立てて揺れた。二人はびくりと身を竦ませて、ついに足をとめた。

 恐怖を抑え込んでいた脆い蓋が外れて、文緒の背中にどっと冷たい汗が流れた。

 月の光は木々の梢に遮られて、すがるにはあまりにか細い。眼前にぽかりと口を開けて待ち構えている深い闇に、ここは人のいて良い場所ではないのだと、文緒はまざまざと悟った。


 繋いだ手からかたかたと震えが伝わって、文緒ははっとして隣に立つ子どもを見た。

 暗闇に魅入られたように目を見開いて、その子は歯の根も合わぬほど震えていた。これほど恐怖に追い詰められた人を、文緒は見たことがなかった。

「お母さん――!」

 その子は小さく、悲鳴のように呟いた。



 文緒は打たれたように、立ちすくんだ。それは、文緒自身の叫びでもあった。


 お母さん――。


 本当はそう言って、大声で泣きたかった。どうして捨てるんだと母をなじって、いい子でいるからと謝って、家に帰りたかった。

 捨てられたことを受け止められず、心が麻痺してぼんやりしてしまっていたけれど、そうすればよかったのだ。仕方がないなどと思わずに、泣きわめいて、母と一緒にいたいと言えばよかった。

 この子のように。


 けれど、もう遅い。ここで泣いても、怒っても、絶対に母には届かない。

 文緒は震える子どもを抱き寄せた。

 なぐさめも、安心させられる言葉も言えない文緒の、それが精一杯だった。

 この子がかわいそうだ。そしてこの子どもは、自分自身だった。


 文緒はかばうようにその子を抱きしめて、ゆっくりとその場に座り込んだ。

 文緒とその子のどちらが震えているのか、もうわからなかった。心の臓が早鐘を打つ。文緒は固く目をつむった。目を閉じた暗さの方が、まだ恐ろしくない気がした。

 怖い。怖い。



「……皮衣があったら、あったかいだろうなぁ」

 震えた声は、恐怖を誤魔化し切れてはいなかった。きっと鼓動の音も、その子に伝わってしまっているだろう。だが文緒は無理にでも明るい声を出そうとした。

「こんな山でも、きっと寒くない。それに珍しい宝物だから、皆が欲しがって……きっと、腹いっぱいになるくらいの食べ物と換えられる。そうしたら……」

 そうしたら、家に帰れる。


 そう続けることはできなかったが、文緒は腕の中で震えるこの子が、少しでも楽しいことを考えればいいと思った。闇にのまれる恐怖ではなく、楽しいお伽噺の中にいたかった。

 文緒もこうして、温かい母の腕の中でお伽噺を聞いていた。母の語るようにはいかなかったが、文緒はそれを思い出しながら、語り続けた。


「珍しい宝物は、他にもたくさんある。しろがねこがね、紅さんご。どんなものかよく知らないけど、すごくきれいなんだって。海の中の竜宮や、偉い仙人さまのお屋敷を飾っているんだ」

 一度も見たことはないけれど、文緒はまぶたの裏に、きらきらした宝物を思い浮かべた。思い描くことは簡単だ。――方法は、お伽噺の夜に、母から教わった。

「しろがねは晴れた朝の雪みたいで、こがねは輝く満月みたいなんだって」

 暗い山の中に、母はいない。火鼠の皮衣も、珍しい宝物もない。

 ここにいるのは、自分と、小さなこの子だけだった。

 月明かりさえ、頼りにならない。暗闇の恐怖を紛らわせてくれるものは、物語しかなかった。


「仙人さまのいる蓬莱には玉の枝があって、それは根がしろがね、茎はこがねでできてるんだ。白玉の実がなっていて、とてもきれいで……」

「……白玉って、食べられる?」

 腕の中の子は、おずおずと文緒を見上げて、小さな声で聞いた。

 いつしか、震えはおさまっていた。二人ともまだ鼓動は早く、体は緊張で強張っていたが、文緒は少し笑った。上手くお伽噺に誘い込むことができたようだ。

「知らない。でも木の実なら、食べられるんじゃない?」

 文緒が答えると、その子は少しだけ肩の力を緩めた。

 暗いのでよくわからないが、どうやら笑ったようだった。

「……おいしいのかな。甘いといいな」

 ぐう、とどちらかの腹が鳴った。文緒はこっそりと唾を飲み込んだ。

 食べ物を思わせる話は、やめた方がいいかもしれない。ひもじさには慣れてはいたが、空腹を思い出すと、どうしても気が沈んでしまう。


 他の話にしよう。不思議な物語は、たくさんあるのだ。

「――あのね、昔、泉で水浴びをしていた天女さまがいてね……」

 月が傾き、その子が疲れて眠りに落ちるまで、文緒は語り続けた。身を寄せ合って、少しでも寒くないように、おそろしい夜を過ごした。

 そして、この子と最期まで歩き続けようと決めた。


 足が動くかぎり歩こう。いつか疲れ果てて倒れるまで、二人でいよう。

 自分もこの子も、泣かないように。さみしくないように。恐怖と悲しみに押しつぶされないように。


白玉は真珠のことです。食べられないですね…

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