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かぐや  作者:
3/14

三(上)

 文緒は十にも届かない幼い頃、山に捨てられた。

 暮らしが立ち行かなくなって、口減らしのためだった。前年からの日照りがたたり、その年は田畑が何一つ実りをつけなかった。おまけに流行り病で文緒の父と兄弟がばたばたと死に、家には働き手がいなかった。

 だから、仕方のないことだった。それに珍しいことではなかった。


 文緒の父は国府に勤める小役人だったが、暮らしは他の百姓と同様、貧しかった。父は体が弱く度々臥せっていたので、文緒には構ってもらった思い出がない。

 父が死んで、母は少しだけ暮らし向きが良い男のところへ、後妻として嫁ぐことになった。

 けれどその家も子沢山で、もう子どもはいらなかった。母の嫁ぐための条件は、ただ一人残った文緒を「始末」して、身一つで来ることだった。


 周りは食うに困っている家ばかりで、養子に出す先もなかった。文緒は父に似て体が弱く、よく熱を出しては寝込んでいたので、欲しいという者もいなかった。追い詰められた母親は、河原に暮らしていた男に一握りの米の入った袋を渡し、文緒を託した。

 母の代わりに、文緒は見知らぬその男に手を引かれ、山に捨てられたのだ。


 最後に見た母親の姿は、こちらに背を向け、項垂れているものだった。男が何を言っても、決して振り返ることはなかった。ほつれ髪のかかる痩せた首筋に、文緒は何か言うことも、手を伸ばすこともできなかった。ただ黙って、男に手を引かれるまま、家を出た。




 荷物のようにどことも知らない山の中に運ばれ、ひとり残されて、文緒はしばらく動けなかった。

 黄昏の山道は薄暗く、静かだった。鳥の声も、風が木々の葉を鳴らす音も、谷へと吸い込まれて文緒を置き去りにした。家に帰りたい、母の所へ戻りたいとは思ったが、自分が「捨てられた」ことは理解していたので、呆けたようにその場に座りこむことしかできなかった。

 このまま飢えて、骨になってしまうだろうか。それとも熊や狼の餌になるのだろうか。じわじわ染みこむ恐怖にも、心が麻痺したようになっていた。文緒は煙のように頼りない自分の命の行方を、ただ呆然と見つめていた。

 涙も出なかった。



 しばらくそうしていた時、文緒は小さな声を聞いた。

「お父さん、お母さん――」

 かすれた細い泣き声だった。文緒ははっとして顔を上げた。

 文緒が男に連れられて来た道を、同じくらいの子どもがおぼつかない足取りで歩いて来た。その子は泣きじゃくっていた。涙を拭う腕はやせ細っていて、足は黒く汚れていた。

 自分と同じだと、文緒はすぐにわかった。この子も、捨てられたのだ。――口減らしで捨てられるのは、珍しいことではない。こんなにも、ありふれていることなのだ。


 文緒は立ち上がって、その子に近寄った。顔を真っ赤にして泣いていた子は、ぽかんと顔を上げた。

 近づいてみるとその子は文緒よりいくらか小さな子で、文緒は流行り病で死んでしまったすぐ下の弟を思い出した。

 弟も泣き虫だったので、文緒はよく頭を撫でてやっていたのだ。

 一度面影を重ねてしまうと、もう放っておくことはできなかった。

「……おいで」

 そうして文緒はその子の手を引いて、誰もいない山道を歩きだした。



 月明かりだけを頼りに、二人は山道を歩いていた。

 底の知れないほど深い山の暗闇は恐ろしかったが、文緒はそれに蓋をして見ぬふりをしていた。文緒が怯えれば、やっと泣きやんだその子もまた動けなくなってしまう。震える足を叱咤して動かし、恐ろしさから気をそらすために文緒は喋り続けた。

 かたく繋いだ手だけが温かかった。


「――『火鼠の皮衣』は、遠い天竺の国にあって、火にくべても燃えないんだ」

 喋るのは、毎夜母から聞いていたお伽噺だった。

 文緒は寝床で母のお伽噺を聞くのが大好きだった。兄弟は皆、話の途中で寝てしまうことが多かったが、文緒だけは夢中になって聞き、いくつも母にせがんだものだった。

 母は早く寝なさいと、困ったようにため息をついていたが、それでも文緒が満足するまで不思議な世界の話を続けてくれた。飽きもせず、何度も同じ話をせがんだこともあった。

 だから文緒は、どのお伽噺もそらで話すことができた。


「ひねずみって何?」

「炎をまとって走る鼠のことだよ。真っ赤な体をした、野火をもたらす獣」

 お伽噺を語ることは、母親の温もりを思い出すことだったけれど、文緒はその悲しみを押し殺した。今はもういない兄弟と、競って母の腕にすがって話をせがんだ。夜は母のお伽噺を聞きながら、皆で体をぴたりと寄せ合って、隙間風をやり過ごして眠るのだ。

 ついこの間まであった日常だというのに、その思い出はもはや、お伽噺の天竺の国よりも遠かった。


「……どこに行くの?お家はこっちなの?」

 その子が不安げに周りを見回した。

 その問いに、文緒は答えられなかった。

 家には帰れない。自分たちは捨てられたのだから。迷いなく手を引いて導いているようでいて、文緒にはここがどこなのかもわからず、向かう先もなかった。今歩いている道がどこかの里へ続いているのか、それとも奥山へ迷い込んでしまう道なのかもわからない。

 けれど歩くことをやめてしまったら、もうそこで死んでしまう気がした。何かに追われているような気分で、文緒はあてもなくただ歩いていた。


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