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かぐや  作者:
10/14

七(上)

この話には、一部「野ざらしの死体」に関する描写があります。

該当箇所は、◆に挟まれた部分です。

ご不快に思われる方は、大変申し訳ありませんが、該当箇所を読み飛ばす等のご対策をお願いいたします。

この件に関しては、4月14日の活動報告に記してあります。

 幼い文緒とその子がついに力尽きて動けなくなったのは、どこかの竹林の中だった。

 足は文字通り棒きれのようになり、もう歩く気力も失せていた。体は疲れ果て、力が入らない。空腹で頭がぼんやりと霞み、全てを億劫に感じた。

 二人は肩をくっつけて寄り添い、青々と伸びる竹にもたれていた。遥かな空には満月が雲間からのっそりと顔を出し、竹の葉をかきわけて白い光が降り注ぐ。文緒とその子は言葉もなく、それを仰ぎ見ていた。





 夜の闇と月明かりは、文緒たちの黒く汚れた手足を上手く隠し、洗い流したように白く見せていた。だがやせ細った腕が本当に骨のように見えて、文緒はぼんやりと、同じだと思った。

 住んでいた家の近くの河原にも、たくさんの骨が転がっていた。今の自分は、あの人たちと変わらないのだと思った。彼らも長い間雨風にさらされて、白い骨になったのだ。それは文緒のよく知る光景だった。


 昔、まだ兄弟が生きていた頃には、その光景はとても恐ろしかった。白い骨と、まだ骨になっていない人々が転がる河原を見て、文緒は恐ろしくて飛ぶように家に逃げ帰ったのだ。そして母の袖にすがりついて、震えていた。母に背を撫でてもらって、怖いことは何もないのだと思えるまで。

 けれど今は全て遠く、現実感がなかった。今や自分も、彼らと同じようになるのだと、淡々と思うだけだった。もはや逃げ帰る家も、すがる袖もないのだ。



 ◆



 肩にかかる子どもの重みは、羽のように軽いものだった。その子は文緒の肩に額を預け、目を閉じていた。

 眠っているのかもしれない。いや、もしかして――。文緒はそっと、その子のこけた頬にへばりついた髪をかき上げてやった。そして、青白く見える顔をじっと注視した。

 口元が動いて、薄い胸が僅かに上下する。――まだ、生きている。文緒はほっと息をはいた。傍らの温かさには、まだ、命があるのだ。


 けれど、この夜は明けないだろう。


 文緒はうっすらと、それを予感した。自分もこの子も、朝日を見ることはない。じきに、小さなともし火は吹き消えるだろう。力の入らない体が、そう告げていた。


 けれど、文緒には不思議だった。

 暗闇も死も恐ろしいはずだ。それなのに、恐怖はなかった。恐ろしさは、肩に寄りかかる温かさが吸い取っているかのようだった。寂しさも悲しみもなかった。


 すごい、と文緒は思った。この子が怖い思いをしないように、文緒はお伽噺を語っていたけれど、いつの間にか慰められているのは文緒の方だったのだ。恐怖も寂しさもないのは、この子のおかげだった。

 黄泉路へと旅立とうとするこの時に、一人ではないことが、ただ嬉しくほっと安心することだった。文緒はくたりと垂らされたその子の手を取り、感謝をこめてそっと握った。



 子どもは瞼を震わせ、ゆっくりと目を開けた。

 起こしてしまったかと、文緒は少し申し訳なく思った。その子はぼんやりと文緒の顔を見て、それから空を仰いだ。竹の葉の間からこぼれる月明かりが頬にさし、その子は眩しそうに目を細めた。

「……お月さま、まあるいね」

 ぽつりともれた言葉に誘われるように、文緒も天を見上げた。

「……本当だ」

 遥か遠くにかかる月なのに、やけに大きく見えた。うさぎの影の模様も、くっきりと見える。……あれをうさぎなのだと教えてくれたのも、母だった。


「ねぇ、お月さまのお話、もう一回して」

 天を仰ぐ子は、文緒の手を小さな力で握り返してねだった。

 月の話、と文緒は頭の中を探った。そういえば前に一つ、話したことがあった。

「――黄金の月の宮の話?」

「うん」

 その子はこくりと頷いた。本当は、話すことも億劫だったけれど、文緒は乾いた唇を舐めて話し始めた。

 お伽噺もきっと、これが最後なんだろう。そう思えば、惜しむことはなかった。


「……月には、まばゆく輝く大きな宮があって、満月の日には、そこで宴が開かれる。きれいな天女さまがひらひら舞って、笛と太鼓が賑やかに鳴るんだ。甘い果物と、お酒と、ごちそうがたくさん並んで……」

 今、あそこでその宴が開かれているのだろうかと、文緒は黄金の月をじっと見つめた。

「そうして宴も終わる頃、月に住む仙人さまと天女さまは光の雲に乗って、下界に下りてくる」


 その光の雲からは、艶やかな楽の音が鳴り響き、芳しい香りがするのだという。宴に飽いた月の人々は、下界を眺め遊ぶのだ。天上人にとっては輝かない黒い土も、黄金でできていない木々も、珍しくおもしろいのだろうか。

 ――そして月の住人は、下界で見つけた佳人を、宴に招待する。


「よほど素晴らしい人でなきゃ、宴には招かれないんだ。……詩歌や管弦の才ある人とか、姿の美しい人とか。だから招かれるのは、すごく名誉なことだ」

 けれど月は、地上とは違う。

「気をつけなければいけないのは、一度月に行ってしまえば、なかなか帰ってこれないこと。時の流れも違うから、注意しなくちゃいけない。地上に戻って来たときに、知り合いが誰もいないことになるから」



 静かに文緒の話を聞いていた子どもは、少し首を傾けた。

「……お兄ちゃん、月に行きたいと思う?」

 急に問われて、文緒は言葉に詰まった。

 そんなこと、考えたこともなかった。

「――わからない」

 文緒は素直に答えた。そして逆に、問い返す。

「……月に、行きたいの?」

「うん」

 その子はすぐに頷いた。迷いのない、真っすぐな答えだった。

「そんなにいいところなら、行ってみたい。……簡単に戻って来れなくても、いいから」

 遠くへ思いを馳せるような口調だった。この子にも戻ることのできる場所はないのだと、文緒は思い知らされた。

 進む先も戻る場所もない、二人が在ることを許されるのは、今この竹林だけだった。


 輝く月の宮の下、そこに行くことを夢見て、二人は淡く微笑み合った。その子は無邪気に言う。

「一緒に行こうね」

「……うん」

 文緒は小さく頷いた。

 この子のようにひたむきに、月へ行きたいと思っているわけではなかった。でも、ついて来てほしいと言うのなら、共に行こう。

 文緒を少しでも必要としてくれるのはきっと、この世でこの子だけなのだ。


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