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かぐや  作者:
1/14

「竹取物語」からの創作小説です。

原典がお好きで、そうした創作に抵抗を覚える方は、ご注意ください。

 阿部の大臣がお帰りになる。


 ちょうど東門近くを警備していた文緒には、何人かが簀子を渡っていく密やかだが慌ただしい足音が聞こえた。

 直垂に丈夫な手甲と脛巾はばきをつけ、腰には借り受けた刀を差し、格好は武者然として屋敷を背に立っていたが、つい気をひかれて文緒は耳をそばだてた。


 大臣の一行はいつも東の棟で用を済ませたら、ぐるりと母屋を回って庭などを愛で、ゆうゆうと西の正門から帰っていく。来る時は驚くほど素早いのに、帰りは未練たらしく亀のようにのろのろとして、なかなか帰ろうとしないのだと評判だった。西門の車宿には既に、豪奢に飾り立てた車がとめてあるだろう。文緒は見たことがなかったが、屋敷を車にしたかのような大きさと、簾に金糸を施したというそのきらびやかさについて話は聞いていた。


 篝火の薪木がはぜて、足元を照らす火影が揺れた。文緒は何気なく空を見上げた。今夜は雲もなく、星が明るく美しい。阿部の大臣が来た時と、瞬く星の位置はさほど変わっていなかった。

 文緒のすぐ隣にいた侍が、「なぁ」と小さく声をかけてきた。

「今日は特に短いな。一刻ももたなかったんじゃないか」

 まさに今同じことを考えていた文緒は、ちらりと隣に目を向けた。顎髭をはやした侍が、にやにやと愉快そうに笑っている。


 確か、男鹿という侍だ。文緒は少しの間考え、そう思い出した。雑舎で共に寝起きする仲間である。かといって、別段親しくもない。話をしたことがないので、どういう人物なのかも知らなかった。だが男鹿は、妙に馴れ馴れしい調子で言葉を続けた。

「阿部殿もおかわいそうに。きっとまた、体よくあしらわれたんだろうよ」

 なぁ、と同意を求められたが、文緒は頷かなかった。阿部の大臣を「かわいそうに」とは思わなかったからだ。だが男鹿は構わず、一人で喋り続けた。

「さすが『雲居の方』様だよ。本当に、誰が姫様の御名を得ることができるのやら」



 「雲居の方」とは、この家のたった一人の姫君――竹姫のことだ。

 天女のように美しく、芳しい姫。主夫婦が掌中の珠のようにいつくしみ、取るに足らぬ者では垣間見ることさえかなわない。その意から、いつしか「雲居の方」という二つ名がついた。

 だがこの二つ名には、ひそかな揶揄も込められている。――それは、竹姫が数多寄せられる求婚を断り続けていることからきていた。


 地上の男には興味のない、天のごとく気位の高い姫。「雲居の方」とは、そのような意味もあった。

 一方では感嘆と称賛を、もう一方では嫉妬と怨嗟を込めて囁かれる名である。男鹿のにやにやと下卑た笑いからは、後者のあてこすりが透けて見えた。


「とんでもない姫君だよなぁ、まったく」

 男鹿は肩を組むような気安さで、文緒に顔を近づけた。

「馬鹿馬鹿しい条件をふっかけては、やんごとない方々からの求婚さえ断っているというじゃないか。お前も、聞いたことがあるだろう」

 息のかかりそうなほど寄せられた髭面から、文緒は顔をそむけた。共感を求められても、頷く気など毛頭ない。話す気はないと態度で示したつもりだったが、男鹿は気を悪くする様子もなく続けた。

「花の命が短いとも知らず、持て囃されて、図に乗っておるのだろうよ。さしたる血筋でもない、鄙の姫が――」

「黙れ」

 ついに堪えきれず、文緒は遮った。

「主家の姫様に向かって、そのような口を聞くなど。無礼だぞ」

 だが男鹿は唇を歪め、肩をすくめただけだった。文緒の言い分を、建前だけのものと取ったようだった。

「主家など」

 男鹿は鼻で笑ってみせた。

「どうせ、我らは一時の雇われ者だろう。美しさを鼻にかけた女と、そのおかげで成り上がっただけの家を、どう敬えと?」


 この家の警護をする侍たちは、つい先頃雇い入れられたばかりだった。まばゆいばかりという竹姫の美しさの噂が世に広まるにつれ、夜な夜な屋敷に忍び込もうとする輩が後を絶たなくなった。それを憂えた主人が、屋敷の警備にと侍を集めたのだ。

 男鹿も、その時に集められた侍の一人なのだろう。まだこの家に対して忠義に篤いとは言えず、むしろ気に食わないとさえ思っているようだった。男鹿はふと眉をひそめた。

「そういえば、警護の全てが雇われ者ではないのだったか。なるほど、下人あがりの侍とは、お前のことか」

 しげしげと見られ、文緒は黙ってついと目をそらした。だがそれが答えになったようで、男鹿は納得したとばかりにははあ、と声を上げた。

「名は確か、文鷹とか申したな。なるほどなるほど、確かに変わり者だ」

 変わり者と言われて、文緒の眉間の皺がぐっと深くなった。

 いい加減、この男の馴れ馴れしさに我慢がならなくなってきた。苛立ちをにじませて、文緒は聞いた。

「……何がだ」

 男鹿は顎を撫で、にやりと口の端を釣り上げた。

「だってお前、この家の主に疎まれているそうじゃないか」



「――」

 文緒は虚をつかれ、言葉につまった。男鹿は眉を上げ、値踏みするように文緒の全身をじろじろと眺め回した。

「下人あがりの賤しさを疎まれているのか?まあ確かに、貧しさのにじみ出ているような顔立ちだが……」

「貧しい顔立ちはお互い様だ」

 文緒は冷たく言って、無駄話を切り上げようと男鹿から数歩離れた。怪しげな者がいないかどうか、辺りを見回す。その背中に、男鹿の軽い声が投げられた。

「それだから変わり者だと言うんだよ。たかが下人のくせに、主に『嫌われている』。――お前一体、主殿に何をしたんだ?」

 文緒は答えなかった。大仰な男鹿のため息が聞こえたが、それも無視した。そもそも警護中に無駄口など叩いていては、家人にどやされてしまう。阿部の大臣が帰っても、夜が明けるまでは、文緒たち侍の仕事は終わらない。


 ――主に疎まれているそうじゃないか。

 何気ない男鹿の言葉で、この屋敷に来てもう十年近くになるのだと、ふいに思い出した。

 涼やかな風が、どこからか淡い萩の花の香りを運んできた。柄にもない、郷愁のような切なさがこみ上げそうになり、文緒は差し慣れぬ刀の柄を、ぐっと握り締めた。



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