嫌いという感情でまとめて【ナカジマ視点】
広間の空気が、どこか生臭かった。
百人以上の人間が、突然、異世界に放り込まれた。
叫ぶやつもいれば、泣くやつ、笑って誤魔化すやつもいる。
人間の弱さが、露骨に滲む。
その中で、ひとりだけ静かな男がいた。
壁に背を預け、騒ぎから一歩引いた位置で佇んでいる。
視線を集めているのに、当人は気づいていないような顔をしている。
《ユキ》。ランキング九位。
ゲームの中でもそうだった。
目立つことを嫌うくせに、なぜか目立つ。
余計なことは言わず、距離の取り方だけが妙にうまい。
誰かの味方のようでいて、決して踏み込みすぎない。
――厄介な性格だよな。
優しいふりをして、誰の味方でもない。
助けはするけど、深くは踏み込まない。
だから、弱ってる奴ほど勝手に寄ってくる。
「いい奴」じゃなくて、「居心地のいい奴」になれる人間。
そのタイプは、必ず誰かを壊す。
本人は何もしてないつもりでも。
面倒なタイプだと切り捨てたはずなのに、視線は、思考より先に戻ってしまう。
この世界では、全員が現実の姿になっていた。
アバターではない、生身の顔と体。
その中で、ユキだけは、どこか反則めいて整っている。
線の柔らかい輪郭。
派手ではないのに、目が引き寄せられる顔立ち。
見られ慣れていない無防備さが、注目を集める。
案の定、ひそひそ声が広がる。
「ユキってあれ?」
「あんな感じかよ」
「え、普通に顔良くない?」
ああ、もう始まった。
結局、人間は雰囲気と顔に釣られる。
ユキはそれを真正面から受け止めない。
聞こえていないふりをして、静かにそこにいるだけ。
それが余計に人の興味を引く。
自分の視線もまた、その輪の中にあると気づいて、内心で舌打ちする。
ユキとは距離を取る。
関わらない。
そう決めたはずだった。
―――なのに。
翌朝、広場へ行くと、真っ先にユキの姿を見つけてしまう。
隣にはアル中と呼ばれる中年男がいた。
くたびれた風貌で、過度に踏み込まない距離感を保っている。
ユキの肩が、わずかに緩んだのがわかる。
あれが、ユキにとっての心地いい距離なのだろう。
近すぎない。
無理に踏み込もうともしない。
だから安心できる。
(……ま、俺には関係ないけど)
そう言い聞かせた直後だった。
「ユキ」
その場の空気が一変した。
関ヶ原モユル。ランキング一位。
あの女が動くと、周りの人間は勝手に背筋を伸ばす。
ゲームでも現実でも、支配する側の人間。
一直線にユキの前へ立ち、迷いなく距離を詰める。
距離が近い。
ユキが一瞬、身じろぎした。
逃げたいのか、迷っているのか。
表情は硬い。呼吸もわずかに乱れている。
(……嫌なら、断れよ)
心の中で呟く。
断って、いつも通り一人でいればいい。
そうしたら、変な流れにならない。
なのに、ユキは「分かりました」と言った。
迷うことすら諦めた声だった。
モユルは当たり前のようにユキの腕を引き寄せる。
逃げ道を塞ぐように。
周囲にざわめきが広がる。
羨望、嫉妬、諦め。
その中心にいながら、ユキは何の抵抗もしない。
胸の奥に、鈍い熱が走った。
怒りでもない。
焦りでもない。
もっとみっともない――“置いていかれる”感覚。
そもそもユキを嫌いだと思ったはずだ。
面倒くさいと思ったはずだ。
なのに、視線が離れない。
「いつも一緒だったでしょ」
そんな言葉で、モユルに連れていかれる。
俺はいつも見てるだけ。
足はなかなか一歩前には出ないし、呼び止める言葉も、立場すらない。
ユキにとっての自分は、ただの同サーバーの一人にすぎない。
その事実が、胃の奥を冷やす。
――最低だ。
何もしてないのに。
何の関係もないのに。
勝手に傷付いて。
そのみっともなさが、さらに腹立つ。
ユキの背中が、小さくなっていく。
見慣れた場所じゃないのに、似たような光景を毎回見てる。
その瞬間、脳の奥で、ふっと映像が重なった。
雨。
冷たい空気。
濡れた制服。
バス停。
傘も持たない少女が、軒下で雨を見ていた。
声をかけたら、こっちの心配をされた。
「壊れちゃいますから」
って、笑われた。
あれ以来。
俺は、ずっと――
―――違う。
即座に否定する。
今のは幻覚だ。
こじつけだ。
都合のいい記憶の改竄だ。
ユキは男で、あの少女じゃない。
そう決めないといけない。
そうじゃないと――
ただの“気になる”で済まなくなる。
だから、ナカジマは笑った。
誰にも見えない程度に、口元だけで。
(嫌いだ、こういうの)
(俺の人生に、関わってくるな)
でも視線は、見えなくなるまでユキを追っていた。
そして、ユキが完全に見えなくなったあとも。
しばらくの間、ナカジマはその場から動けなかった。




