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はにかむ帯と、友達以上の答案用紙  作者: 乾為天女


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第8話 嘘を包む冗談、刺さる真実

 七月の夕方。図書室の窓から入る光は、机の角だけをやけに明るくして、棚の影を長く伸ばしていた。冷房の風が紙の匂いを薄め、代わりに古い背表紙の甘い埃っぽさが残る。


 芽依は、返却台の近くではなく、いちばん奥の四人席に案内されていた。人の通りが少なくて、声が小さくても届く場所。凜太郎が選んだのだと分かる。机の上には、拳悟のスマホと、菜稀のペンケースと、凜太郎の薄いノート。そして芽依のノート――白紙のページが、まだ怖くて開けないまま置かれている。


 菜稀が椅子に座るなり、机を指で二回叩いた。

 「はい、反省会、開幕。会場はこちら、図書室。静かにしないと、先生の視線が飛んでくる。……って、もう飛んできてるわ」

 視線だけで注意する司書教諭が遠くからこちらを見て、すぐ本のラベルに戻った。菜稀は小さく肩をすくめる。


 「拳悟さ。返信、遅いじゃん」

 「うん」

 拳悟は即答した。即答だけが速い。

 「うん、って……返事は秒、返信は日付またぐの何」

 「いや、既読はつけてるし」

 「既読の意味、辞書で調べてきて」

 菜稀が笑いながら言い切ると、芽依の口角が勝手に上がった。笑うと喉の奥の固いものが少しだけ溶ける。けれど、溶けた分、次に来る本題が刺さりやすくなる気がして、芽依は膝の上で指を組み直した。


 凜太郎は、笑いに乗らない。ノートの端を指で押さえ、短く言った。

 「誰に相談した」

 拳悟が「え」と声を出しかけて、慌てて口を手で押さえる。図書室では、声の大きさも罪になる。


 「相談っていうか……ちょっと聞いただけ」

 「ちょっとが、広がった」

 凜太郎は淡々と続ける。怒鳴らない。けれど逃げる道を消す言い方をする。


 拳悟は笑ってごまかそうとして、口の端だけが上がる。目だけは笑えなくて、窓の外の夕焼けに逃げた。

 「まあまあ。みんな落ち着こ? 文化祭なんて、ね、どこも似たことやるじゃん」

 「『どこも』って言った。そこ。『どこも』じゃないよ。うちの合言葉は、うちのだよ」

 菜稀が冗談みたいに眉を上げる。だけど声が軽くない。芽依は、菜稀が笑いと怒りを同じ紙袋に入れて持っているのを思い出した。袋の口が少し開くと、どっちが出るか分からない。


 芽依は息を吸った。言うなら今だ。凜太郎が拳悟を責めない分、芽依が黙ったら、拳悟はまた「まあまあ」で逃げる。芽依だって、ずっと「明日」で逃げてきたのに。


 「私も、先延ばしする」

 自分の声が、机の木目に吸い込まれていくのが分かった。小さくて、でも消えない。

 「面倒とか、怖いとか、そういうのが来ると……頭の中で、勝手に『明日』って札を貼って、見なかったことにする。……拳悟の、気持ち、分かる」


 拳悟の目が、初めて芽依の方に戻った。笑いの形のまま固まっていた口が、少しだけ開く。

 「芽依まで、俺をかばうの?」

 「かばうじゃない。……同じだったって言うだけ」

 芽依は視線を落とした。背中が熱くなる。はにかむ癖が出る。だけど、落とした視線の先に、凜太郎の指先が見えた。ノートの角に置かれた指が、さっきより落ち着いている。芽依が言葉を出したことで、少しだけ空気が動いたのかもしれない。


 菜稀が、ふっと息を吐いた。

 「ほら。芽依が言った。だから拳悟も言う番」

 「……強引」

 「うるさい。強引で回す係だから」

 菜稀は笑って、目の端だけを赤くする。泣いてない。泣いてない顔をしている。


 拳悟は、机の縁を指でこすった。さっき部室でやっていた癖。爪先が小さく動いて、床を鳴らす。鳴らしたくないのに鳴る音。

 「……面倒が嫌だったんだよ」

 拳悟はやっと、笑わずに言った。

 「部誌とか帯とかさ、みんな本気じゃん。俺、変に口出して、空気悪くしたくなくて……。だから、同じクラスの図書委員に『紹介の仕方、面白いのない?』って聞いた」

 拳悟が眉を寄せる。そこで、言い訳を噛み砕くみたいに口を動かした。

 「そしたら、『帯ってやつ?』って向こうが言って。俺、うんって返した。……で、広まった」


 芽依の胸の奥が、ずきっとした。うん、と返すだけで、広がる言葉がある。芽依も、うん、と頷いて、話を終わらせてきた。結果だけが残って、責任だけが後から追いかけてくる。


 菜稀が、机の上のペンを一回くるっと回した。

 「刺さった。真実、刺さった。……でも、言った。えらい。拳悟、今のは」

 えらい、なんて言葉は本当は子どもっぽい。けれど、菜稀が言うと、慰めじゃなくて、次に進むための手すりみたいに聞こえた。


 凜太郎は、拳悟を見たまま、短く頷いた。

 「次は、ここで相談して」

 「……怒らないの?」

 拳悟が小声で聞く。

 「怒ると、言えなくなる」

 凜太郎はそれだけ言って、ノートに何かを書いた。連絡先でも、ルールでもない。ただ、今日の出来事を、紙に固定するための一行。


 芽依は、ようやく自分のノートを開いた。白紙が怖いのは、白紙が未来だからだ。けれど、未来は「明日」に置いていくと、誰かに奪われる。

 芽依はペンを握り、書いた。


 ――相談は、ここで。


 たったそれだけ。けれど、胸の中で何かが少しだけ、片づいた気がした。


 拳悟が深く息を吐いた。吐いた息が、夏の匂いを連れてくる。

 「……分かった。次は、ここで言う。既読だけじゃなくて、ちゃんと」

 「よろしい。では、反省会は閉幕」

 菜稀が小さく手を叩き、すぐに司書教諭の視線を思い出して手を引っ込めた。その仕草が可笑しくて、芽依は笑ってしまった。声を出さない笑い。肩だけが揺れる。


 凜太郎が、芽依のノートの端をちらりと見て、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 「書けた」

 その二文字が、夕方の図書室でいちばん明るかった。



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