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はにかむ帯と、友達以上の答案用紙  作者: 乾為天女


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第6話 既読スルーの拳悟

 六月の終わり、部室の窓は開いているのに、空気はぬるくて重かった。扇風機が「ぶうん」と回り、ホワイトボードの端に貼った「自分の作品に帯をつけよう」の紙だけが、風に合わせて小刻みに震える。


 芽依は鞄の中の原稿を指で確かめてから、そっと戸を開けた。紙の角が折れないように、昨日の夜にクリアファイルへ入れた。机の上だけじゃなく、中身もちゃんと埋まっている。そう思うだけで、胸のあたりが少し誇らしい。


 「お、来た。暑っ……」

 先に来ていた菜稀が、うちわ代わりにノートをぱたぱたさせる。目元は笑っているのに、足は貧乏ゆすりで忙しい。


 凜太郎は机の端に座り、会計ノートと回収表を並べていた。鉛筆の先が止まるたびに、薄い眉がわずかに寄る。芽依は、その小さな動きに気づいてしまう。普段は、見えないくらい静かな顔なのに。


 「……まだ、揃ってない?」

 芽依が訊ねると、凜太郎は回収表の空欄を指先でなぞった。

 「四人分。今日が締切って言ってある」


 菜稀がスマホを掲げた。

 「でさ。連絡係、これ」

 画面には、グループのやりとりが並んでいる。締切、持ち物、印刷所へのデータ送付。どの連絡にも、同じ名前の横に「既読」がついていて――返事だけがない。


 「拳悟の既読、芸術点高いよね。見た瞬間に消えるやつ」

 「消えてない、残ってる」

 凜太郎が淡々と言うので、芽依は思わず笑いかけて、途中で口を閉じた。笑っていいのか、分からなかったからだ。


 戸が開いて、拳悟が入ってきた。制服のネクタイが少し緩んでいて、頭の髪が汗でつぶれている。手にはコンビニ袋。氷の音がする。


 「はいはい、差し入れ。冷たいのあるよ」

 拳悟は軽く袋を振って、場を明るくするみたいに笑った。


 芽依の喉の奥に、熱いものが上がってくる。

 (今、言わないと)

 けれど、拳悟の笑い方は「怒るほどでもないよ」と先回りしてくる。芽依は、言葉の入口で足が止まった。


 菜稀が、机を叩いた。大きな音じゃないのに、部室の空気がひゅっと縮む。

 「今ここで返事しろ! 返事!」

 「え、今?」

 「今!」

 「あとで」

 「その“あとで”が、今ここに積もってんの!」


 拳悟は肩をすくめる。わざとらしく困った顔をして、でも目は逃げ道を探している。芽依は、その目の動きが、自分の「明日やる」と似ている気がして、胸が痛くなった。


 「拳悟」

 芽依はやっと声を出した。思ったより細かった。

 「……見たなら、ひと言でいいから。『了解』でも」


 拳悟は芽依を見る。そこで真面目な顔をするかと思ったのに、口角がふっと上がった。

 「芽依ちゃんがそう言うなら、やるよ。……あとで」


 また、あとで。芽依は唇を噛みそうになって、噛まない代わりに指先を握り込んだ。逃げたくなる。けれど、戻るって決めたばかりだ。


 凜太郎が、拳悟を追わなかった。椅子を引く音も立てずに、芽依の前に回収表を差し出す。

 「今日は、あなたの原稿から片づけよう」

 「え……今?」

 「今」


 菜稀が「今は凜太郎の味方」と言うみたいに、うんうんと頷いてから拳悟を睨む。

 「ほら。芽依の原稿、先に帯つけるよ。拳悟は冷たいの配って、ついでに返信して」


 「返信も“ついで”扱いかよ」

 拳悟は笑いながら袋を開けた。氷の音が、やけに大きい。


 芽依はクリアファイルを机に置く。ページを開くと、紙の白さが目に沁みた。昔は白紙のまま閉じて、安心していた。今は、白い部分が少しだけ怖い。まだ書ける余白があるから。


 「一つだけ確認」

 凜太郎が鉛筆を持ち直す。

 「今日、仕上げるのはどこまで?」


 芽依は、付箋のあるページを思い出した。喫茶店で書いた「放課後、ベンチで確認」。場所は違っても、行動は同じだ。

 「……最後の段落、書き直す。あと、題名の言い回し」

 「それなら、ここから」


 凜太郎はページの端を指し、芽依の視線を迷わせないように一行だけ区切った。芽依は、呼吸を整えて鉛筆を置く。背中の汗が冷えていくのが分かる。


 拳悟が、菜稀に飲み物を渡しながら、スマホをちらっと見た。

 「……分かったよ。返事する」

 小さな声で、画面を二回タップする。送信音は鳴らないのに、芽依には聞こえた気がした。


 菜稀がそれを見逃さず、勝ち誇った顔で芽依に親指を立てる。芽依は笑いそうになって、今度は笑った。はにかむほど小さく。


 凜太郎が、ほんの少しだけ息を吐いた。誰にも聞こえないくらいの音なのに、芽依の胸に届く。

 (背負いすぎたら、言う)

 あの約束を、凜太郎は今、守ろうとしている。


 芽依は鉛筆を走らせた。扇風機の風が紙をめくりそうになるたびに、芽依は自分の手で押さえる。逃げない。戻る。今日の一歩は、この部室の机の上にも置ける。


 窓の外で、運動部の掛け声が遠くに響いた。六月の終わりの放課後。芽依は文字の一つ一つを、帯みたいに丁寧に並べていった。



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