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はにかむ帯と、友達以上の答案用紙  作者: 乾為天女


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第4話 雨の日の丸印

 五月の雨は、校舎の窓を小刻みに叩き続ける。放課後の文芸部室は、湿った制服のにおいと、傘のしずくの気配でいっぱいだった。芽依は入口のマットで靴底を二回こすり、濡れた前髪を指で押さえてから、机の端へそっと腰を下ろす。


 机の上には、コピー用紙が何枚も並び、菜稀がペンを振り回すようにして叫んでいる。


 「はいっ、本日は『帯コメント練習会』! 短い言葉で、人の背中を押すやつ! 押すとこ、押すよ!」


 菜稀の声は雨音に勝って、部室の天井に跳ね返った。拳悟は椅子を引く音をできるだけ小さくしながら、笑って誤魔化す。


 「まあまあ、押しすぎると背中がへこむって。……あ、俺、傘、廊下に置きっぱかも」


 廊下に置きっぱかどうかは、たぶん今どうでもいい。芽依はそう思いながらも、口には出せず、目の前の紙束に視線を落とした。


 凜太郎が、部誌用に書いたという短編が配られている。芽依の手元の紙は、インクの匂いがまだ新しい。タイトルの下に、淡い鉛筆の下線が一本だけ引かれていた。凜太郎の字だ。線はまっすぐで、迷いがない。


 「じゃ、読んだ人から一言。帯っぽく」


 菜稀が肩でリズムを取り、ペン先で芽依の紙を指す。芽依は慌てて、短編の最後の段落をもう一度読む。雨の中、登場人物がコンビニの軒下で、ほんの少しだけ笑う場面。そこだけ、文字が少し明るく見えた。


 けれど、言葉にしようとすると、喉が固くなる。


 芽依はペンを握り、紙の余白に「……」と書きそうになって止めた。記号だけで逃げたら、また同じだ。自分の手首が、じわっと汗ばむ。


 「どう? 芽依」


 菜稀の期待が、顔の前まで飛んでくる。芽依は笑ってみせようとして、うまく口角が上がらなかった。


 「えっと……良かった、は良かったんだけど……どこが、って言うと……」


 言い訳の入口で立ち止まった瞬間、凜太郎が机の向こうから身を乗り出した。怒ってはいない。眉も動かない。ただ、芽依の紙を見て、短く言う。


 「難しいなら、好きな一文を丸で囲むだけでいい」


 「え、丸……?」


 「言葉にする前に、そこを決める。『どこが』の前に、『ここ』」


 凜太郎の声は、雨音と同じくらい落ち着いていた。芽依は、はい、と小さく返事をしてしまう。返事が出たことに、自分で驚いた。


 ペン先が、紙の上をそっと滑る。芽依は読み返し、迷って、また読み返す。やがて、笑う場面の一文に、震えそうな丸をつけた。丸は少しだけ歪んだ。自分の気持ちが、形になったみたいで怖い。


 「そこ?」


 菜稀が覗き込み、目を細める。


 「いいじゃん。雨の日に笑うやつ、強い」


 拳悟も、逃げ道を探していた顔を戻して、へらっと笑った。


 「俺は『傘忘れた日に読むと泣ける』って書いとく。……いや、泣けるは盛りすぎか」


 「盛りすぎたら、帯が裂ける!」


 菜稀が即座にツッコミを入れて、部室が一瞬だけ明るくなる。芽依はその笑いの中で、凜太郎をちらりと見た。


 凜太郎は、芽依の丸をじっと見ていた。いつも会計ノートを見るときみたいに、静かに。けれど、ほんの一瞬だけ、口元が緩んだ。雨の日に窓が曇るみたいに、すぐに戻る。戻ったはずなのに、芽依の胸の奥が、ぽっと熱くなる。


 芽依は慌てて視線を紙に落とした。頬が勝手に熱くなるのを、両手で挟んで隠す。隠しているつもりなのに、菜稀が見逃さない。


 「ねえ芽依、今、顔……」


 「見ないで!」


 芽依が言った瞬間、声が少し高くなってしまった。自分で自分に赤面する。拳悟が「まあまあ」と言いかけて、止める。雨音の向こうで、傘をたたむ音がした。


 凜太郎が視線を芽依から外し、紙を一枚、自分のほうへ引き寄せる。芽依の丸の横に、細い字で何かを書き足した。見せびらかすような動きじゃない。確認の印みたいに、淡々としている。


 「これ、帯に使うなら」


 凜太郎は一度だけ芽依を見る。目が合って、芽依は息を飲んだ。


 「『雨でも、笑える一文がある』。……そんな感じで」


 芽依は、思わず笑ってしまいそうになった。自分が丸をつけただけの場所が、言葉になる。凜太郎の口から出ると、短くて、優しい。雨で濡れた靴下の冷たさが、少しだけどうでもよくなる。


 「……うん」


 芽依は頷きながら、もう一度、丸を見た。歪んだ丸の中が、少しだけ整って見える。丸をつけただけで、何かが前へ動く。自分の中の“明日”が、今日の机の上に座り直したみたいだった。


 菜稀が手を叩く。


 「よし! 芽依、丸、合格! 次は拳悟、逃げないで一行!」


 「ええ……雨、強いし……」


 「雨は言い訳に使えない!」


 また笑いが起きる。芽依はその中で、ペンを握り直した。丸の隣の余白に、短い言葉を一つだけ書く。消さない。書いたままにする。


 凜太郎がそれを見て、またほんの少しだけ口元を緩めた。


 芽依は、今度こそ隠さずに、はにかんだ。



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