【アップ✨】2025年11月9日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります☕️
初めまして、天川裕司です。
ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。
また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。
どうぞよろしくお願い致します。
少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。
サクッと読める幻想小説です(^^♪
お暇な時にでもぜひどうぞ♬
【アメーバブログ】
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【YouTube】(不思議のパルプンテ)
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【ノート】
https://note.com/unique_panda3782
【YouTubeドラマにつきまして】
無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、
お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。
基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。
創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪
出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬
でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、
どうぞよろしくお願いします(^^♪
【本日のメッセージ】
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=OhI_mAk-rc8
聖書
『ヨハネによる福音書』(第一四章一二〜一七節)
『エレミヤ書』(第三二章三六〜四四節)
讃美歌〜♫
讃美歌280番
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=T6CQGR4vLIM&pp=ygUV6K6D576O5q2M77yS77yY77yQ55Wq
讃美歌500番
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=o78OnOu-FtQ&pp=ygUV6K6D576O5q2M77yV77yQ77yQ55Wq
2025年11月9日 礼拝説教 聖書箇所
「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。」
ヨハネによる福音書14章16,17節
「わたしは、彼らを永遠の契約を結び、彼らの子孫に恵みを与えてやまない。またわたしに従う心を彼らに与え、わたしから離れないようにする。」
エレミヤ書32章40節
はじめに
正義と公平が相対化される世で、真理の霊でいます聖霊が共にいますことを学ぶ。
1
「あなたがたが、わたしを愛しているなら、わたしの掟を守る」とは、祈りの約束と一つの言葉。先に、主イエスは、「わたしがその道であり、まさしく真理、命である」と言われた。その道とは、御子でいます永遠の父のもとに「来る道」。「わたしを通らずして父のもとに来る者はいない」。天国への道は、天国に来る者たちへの永遠の定めによる。祈りを聞き上げてくださるお方は、唯一真の神であることを明らかにするから。主イエスは、「わたしの名によって願うことは、それをわたしは行う」と約束される。「何でもかなえてあげよう」と言うよりも、主イエスはしてあげるお方ではなく、はじめから、すべての業を行っておられるお方。しかも、永遠の御子でありながら、へりくだって、まことの人となられたお方。「アーメン」との祈りの結びの言葉を重ねて、御自身のみ心を告げられる時、わたしたちは、御心に従う道(従順)を求める。「わたしの掟」とは、父の掟、愛にとどまること(15章10,12節)。
2
「ならば、わたしは父にお願いしよう」と、主イエスは、言われる。それは、主イエスの執り成しの言葉。さらに、主イエスは、「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」と約束される。「この方は、真理の霊」、聖霊なる神。「弁護者」とは、一般的には、裁判の席において、第三者の側に立って、その人を助ける人。つまり、自分からすすんで行く者ではなく、むしろ、人から頼まれて出ていく人。いわば、聖霊は、主イエスから依頼を受けて、わたしたちと一緒にいてくださるお方。そこで、聖霊は、わたしたちのために、神の前に必要な弁護をしてくださる。主イエスが、洗礼を受けられた時、聖霊は、御父が遣わされた御子であることを証しした(ルカ3章22節)。また、主イエスは、聖霊に満ちて、悪魔の誘惑の時にも、御言葉によってその誘惑を退けられた(ルカ4章1~13節)。そして、主イエスは、十字架の死から三日目に復活された日には、使徒たちを遣わす約束において、「わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい」(ルカ24章49節)と約束された。主イエスの願い、求めることは、御父が約束されたお方。そのとおりに、五旬節の日には、聖霊が降り、聖霊に満たされた使徒たちは、大胆に、十字架にかけられたナザレの人イエスこそ、復活の主、神の約束されたまことの救い主、キリストであると宣べ伝え始めた。弁護者として聖霊は、十字架にかけられた主イエスを証しされる。それは、「彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。目に見えるところによって裁きを行わず耳にするところによって弁護することはない。弱い人のために正当な裁きを行いこの地の貧しい人を公平に弁護する」(イザヤ11章3,4節)と証しされるとおりに、御子と同じ働きをなさること。その目的は、世のただ中で、御子の謙りと贖いのゆえに、大祭司でいます御子の執り成しの中で、永遠の神との和解の道を明らかにすること。
3
「世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。」聖霊は、真理の霊として、御子の謙遜と従順が、神の愛のしるし、永遠の契約に適うこと証しされる。「しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共ににおり、これからも、あなたがたの内にいるから」。聖霊の内住において、わたしたちは、十字架と復活、昇天(着座)された主イエスを証しする、信仰と従順の道を、天の住まいに至るまで歩む。
おわりに
主の言葉は、獄舎の中にいたエレミヤに臨んだ。それは、主の民の中に、永遠の契約のとおりに、救いの恵みとあらゆる祝福がもたらされること。弁護者聖霊の真理はここに。
(Mynote)
二〇二五年一一月九日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。
(子供メッセージ)
『スコットランド教会新カテキズム』
「罪の許しの恩恵を私達はどの様に受け取りますか。」
「私達の身代わりになれたキリストへの信仰に依ってです。」
ニコデモの時の話が引用された。神様が共に居られなければ、あなたがなさって居る事を、誰も出来ません。イエス様は「人は新しく生まれなければ神様の国へ入る事は出来ません。肉から生まれるものは肉であり、霊から生まれるものは霊である」と応えた。ニコデモは「人は一度生まれて、もう一度母の胎に入る事が出来ましょうか?」と尚も聴いた。
人は初めからこの世に「?」を以て生まれて居る。自分で生まれたのでなく、神様から命を与えられ、この世に誕生させられた。人には分からないものばかり。信仰に寄り添うしかない。ニコデモは人々の中で高名で、聡明な人であった。しかしイエス様が教えた信仰の事は、何一つ分からなかった。合理に於いて、想像すら出来なかった。人間とは、この様な生き物である。初めから最後まで、神様に依らなければ、寸分も生きる事が出来ない頼り無い者である。命は神様が賄われる。
(公同礼拝)
『ヨハネによる福音書』(第一四章一二〜一七節)
『エレミヤ書』(第三二章三六〜四四節)
『エレミヤ書』では預言が語られる形で、イエス様の事、そしてイエス様に従う者達の事が記されてある。
「私は彼らに一つの心と一つの道を与えて常に私を恐れさせる。これは彼らが彼ら自身とその後の子孫の幸いを得る為である。私は彼らと永遠の契約を立てて、彼らを見捨てずに恵みを施す事を誓い、また私を恐れる恐れを彼らの心に置いて、私を離れる事の無い様にしよう。私は彼らに恵みを施す事を喜びとし、心を尽し、精神を尽し、真実を以て彼らをこの他に植える。」(『エレミヤ書』第三二章三六〜四一節)
「よくよくあなた方に言っておく。私を信じる者は、また私のして居る業をするであろう。そればかりか、もっと大きい業をするであろう。私が父の身許に行くからである。私の名に依って願う事は、何でも叶えてあげよう。父が子によって栄光をお受けになる為である。何事でも私の名に依って願うならば、私はそれを叶えてあげよう。もしあなた方が私を愛するならば、私の戒めを守るべきである。私は父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなた方と共に居らせて下さるであろう。それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受ける事が出来ない。あなた方はそれを知って居る。何故なら、それはあなた方と共に居り、又あなた方の内に居るからである。」(『ヨハネによる福音書』第一二〜一七節)
人は罪の中から祈る事がある。罪による祈りであり、他人(隣人)を愛せず、自分の為だけに祈る事である。これは神様の御心に適わない。イエス様は「私があなた方を愛した様に、あなた方も隣人を愛せよ」と教えた。又「あなた方は無償でそれを受けたのだから、あなた方と無償でそれを与えよ」と教えた。「それ」とは神様の恩恵であり、又その恩恵により隣人を愛せる、生来神様が人に与えた信仰(正義・良心)により、隣人を愛せる恵みである。
人は信仰による試練の為に、一度、神様への記憶を忘れさせられて、この世に生まれた様だ。しかし細胞レベルで自分が神様に無から創られた事を知って居り、神様の御言葉が聖書を通して念押しで教えられ、その恵みの中に生かされて居る。ここで言う「この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それ(真理の御霊)を受ける事が出来ない」とは、悪魔の側に最後まで立つ者の事であり、信仰に立ち返る者の事ではない。詰り、救われた人はこの御霊を受けるのである。この「救われるタイミング」は、誰にとっても、いつでも神様に依り、イエス様に依り、聖霊に依り用意されて居る。
人の真実の救いは、キリストに依る救いのみである。他の宗教には無い。キリスト以外の宗教は、人間が作り出したものに在り、人間の罪が作り出したものに在り、即ち、悪魔が作り出したものに在る。「どの宗教を信じても良い。終局は皆、最後に結局、同じ救いに行くのである」とは成らないのである。無論その人と邪教との間にも、神様は救いの手を差し伸べて居り、いつでもキリストに依る正義の信仰に立ち返る機会が与えられる。その機会は神様とその個人の間のみに在り、他人に知れる事は無いと信じる。その機会を真摯に受け止め、自分とキリストの本来の在り方を学び知らねば成らない。その学びと知識も、神様からその人へ来るのである。その実現は人間から来ず、必ず神様から来る。キリストから来る。その信仰から来る。
祈りは、自分の欲望や保身、自己弁護から来るものでは成らない。譬えそう見えても、その芯は、イエス様が人に教えた正義の信仰に依る祈りでなければ成らない。祈りは、謙遜と、愛と、神様がイエス様を通して教えた掟に依らねば成らない。これ等は別個ではない。又これ等と人の祈る内容は別個ではない。この事を欠いた祈りは信仰に依る祈りではない。そしてこれ等の事も全ての人は、生来、神様に依って(神様に会って)知って居る事にあろう。この点での大事は「神様が、イエス様が全ての人に教える愛とは何か?」を真摯に問う事に成る。
しかしクリスチャンを含め人は、この「神様が、イエス様が全ての人に教える愛」を込めた祈りが常に出来ない事をご存知である。だから「私は父にお願いしよう」と言い、「そうすれば、父は別に助け主(真理の御霊・聖霊)を送って、いつまでもあなた方と共に居らせて下さるであろう」とまで言って下さり、二重、三重に人が神様の恵みに守られ、救われる上、正しい信仰に生かされる事への補償を与えて下さって居る。「永遠」とはこの「父は別に助け主(真理の御霊・聖霊)を送って、いつまでもあなた方と共に居らせて下さる」事である。イエス様の存在そのものが、この「永遠」詰り「この世を超えて生かされる永遠の命と平安」を確約・保証して与える。即ち「永遠の命と平安」とは、天国に生かされる事である。
弁護とは、人の間でも本来難しい事である。生来罪人であり、欲望を持ち、偏見を持ち、知識・知恵共に限界の有る人間には、初めから公平な弁護は無理である。その弁護は、初めから最後まで一貫して変わらない神様とイエス様の教えに依らねば成らず、即ち、信仰に依らねば成らない。例えば旧約では十戒であり、イエス様がお生まれになり、唯一の救い主として人の間に遣わされて成った新約を含めては、イエス様が人に教えた全ての事に依らねば成らないのである。そしてイエス様は「隣人を愛せよ」と先ず全ての人に教えた。
【日本キリスト改革派 男山教会】
https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/
【最寄りの教会検索用】
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Table Caffe〜
榎本保郎牧師 ミニ説教18 「人と異なることをもあえて」
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=zJN_HPUMu0E
[ドキュメンタリー]放蕩息子たちの帰る場所
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=gfhre6IfM8Q&t=1126s
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop
星のカケラ
https://www.youtube.com/@%E6%98%9F%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%82%B1%E3%83%A9-v5x/videos
(お暇な時にぜひどうぞ)
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サクッと読める幻想小説です(^^♪
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