第五話 白き神殿に咲く黒い花
石造りの聖堂の奥、祭壇の前に立つクラリッサの姿は、まるで神像のようだった。
白い髪に金の冠、光を帯びた法衣。その背に揺れるのは、祝福の羽ではなく――形容しがたい、光の触手。
「……久しぶりね、リーノ。まさか魔族になって、また私の前に現れるなんて」
その声は柔らかく、けれど狂気に満ちていた。
リーノは黒翼を広げ、聖堂の中央に静かに降り立った。
「その姿……ルシエルの力を宿しているのね。自分がどうなっているのか、わかってる?」
「ええ。とてもよくわかってる。私は“神に選ばれた”。そしてあなたは、選ばれなかった」
光の粒が舞う。祭壇の上空、球状の光――それが“ルシエル”の本体だ。
ただの聖なる存在ではない。魂を媒介にこの世界へ干渉してくる、異界の神性体。
「それ……本当に“神”だと思ってるの?」
「ええ。だって……彼は私に言ってくれた。“君は必要だ”って」
クラリッサの表情が歪んだ笑みに変わった。
「あなたは、私のすべてを奪った。信頼も、役割も、居場所も。だから……今度は、私が奪う番よ!」
その瞬間、聖堂全体が白く光った。
――斬ッ!
空間ごと削るかのような斬撃が放たれる。
リーノは黒炎の盾で受け止めたが、その威力に後方へ吹き飛ばされた。石床が裂ける。
「くっ……!」
「“浄滅光輪”!」
クラリッサの周囲に浮かぶ光輪が回転し、弾丸のように飛来する。
リーノは飛翔しながら避け、黒い魔力を凝縮した魔槍を投げ返す。
「“黒槍・アルバ=フェーン”!」
魔槍と光輪が空中で衝突し、爆発を引き起こした。
「あなたも……変わったのね。力でねじ伏せるような戦い方、前のあなたならしなかった」
「力がなければ、守れないと知ったの。死んだあの日に」
言葉と同時に、リーノが地面に拳を叩きつける。
黒い鎖が四方からクラリッサを囲み、拘束しようと伸びる。
「“陣縛”!」
だが、クラリッサはその全てを一瞬で焼き払った。
純白の炎――“神聖”を名乗るにはあまりにも獰猛な熱。
「効かないわ。“神の加護”を受けている私には!」
「加護じゃない……それは、呪いよ!」
二人の声がぶつかる。
次の瞬間、クラリッサは宙に舞った。
光の羽根を模した魔法陣が足元に浮かび、そこから発射された光矢がリーノを襲う。
「“天嶺翔撃”!」
「遅い!」
リーノは一瞬で地を蹴って回避。
次いでクラリッサに肉薄し、右拳で一撃を放つ。
ゴッ!!
拳が頬をとらえる。クラリッサが吹き飛び、背後の柱に激突し、砕けた瓦礫が降り注ぐ。
咳き込みながら立ち上がる彼女の瞳に、涙が滲んでいた。
「……なんで……! あなたに、こんな力があるの……!」
「あなたが私を殺したからよ。殺されて、魔族に転生して、すべてを失って……それでも立ち上がった」
クラリッサが再び笑う。今度は、ひどく悲しげに。
「私は……あなたに、勝ちたかっただけなのに……!」
その声が、ルシエルを刺激した。
光の球が激しく脈動し、クラリッサの背中に触手が絡みつく。
「やめろ……! わたしの身体……勝手に……!」
『神は意志を持たぬ。願いに応じて形を与えるもの』
ルシエルの“声”が響く。
クラリッサの身体がひび割れ、皮膚の下から異形の筋が蠢く。
「彼女を返してっ!」
リーノは魔力を爆発させ、宙を裂いて疾走。
クラリッサに触れるその直前、光の槍がリーノの肩を貫いた。
「がっ……!」
「……来るな……! 来たら……あなたを傷つけてしまう……!」
クラリッサの瞳に涙が溢れ、けれども手はルシエルに操られている。
暴走した力が天井を貫き、聖堂が崩れはじめた。
(もう、彼女は限界……!)
リーノは決断した。
「“赫黒魂掌”――!」
彼女の右掌に、赤と黒の魔力が同時に灯る。
それは聖女と魔族、両方の存在を統合した“真なる力”。
飛翔。
時間が止まったような静寂の中で、リーノの掌がクラリッサの胸に触れた。
ズドン――ッ!!
炸裂。光と闇が爆ぜ、あらゆる魔力を打ち消す爆風が広がる。
ルシエルの光球が砕け、触手が霧散する。
クラリッサの身体が崩れ落ちる――が、リーノがしっかりと抱き止めた。
「……ごめん……わたし……あなたに勝ちたかっただけなのに……」
弱々しい声が、リーノの耳元に届く。
「勝ちたくて、当然よ。私だって、本当は……負けたくなかったもの」
「……まだ……あなたを、憎んでる……でも……ありがとう……」
クラリッサの意識が、静かに落ちていった。
ルシエルはもういない。
彼女の中には、ただ――少女の涙だけが残っていた。
夜。聖堂から離れた森の奥にて。
焚き火の前でリーノはクラリッサを見守っていた。
気絶したままの少女の額には、まだかすかにルシエルの痕跡が残っている。
「……助けるつもりなんて、なかったのに」
けれど、助けてしまった。
その理由を、リーノは言葉にできなかった。
(たぶん私は、まだ“聖女”でいたいのかもしれない)
風が吹く。背後から気配が近づく。
「姫、ご無事で」
クロウ・ダグザが現れた。
その視線が、クラリッサに注がれる。
「それは、“敵”ではないのか?」
「もう、違うわ。ただの……罪を背負った少女よ」
「裁くのか? 許すのか?」
「まだ決めてない。けど……私の手で、決めたいの」
リーノははっきりと答えた。
復讐者でも、聖女でも、魔族でもない――一人のリーノとして。
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一ノ瀬和葉