第89話 これまでのバンドの話をしよう その5
「華をはじめて見たのはその年の秋、軽音部のバンドで参加したライブ。さっきも言ったと思うけど対バン相手だったんだ」
2杯目のコーヒーを飲みながら凛子さんが話す。
ちなみに彼女はキッチンからコーヒーをお盆に乗せて戻ってくると、まだレコードの再生途中なのに「やっぱロックがいいな」と呟いてBGMを変えた。
いま流れてるのは凛子さんの推しバンド、RUSHのアルバム『Roll the Bones』だ。
「このバンドと軽音部のバンドをかけ持ちしてたってことですよね?」
「ああ。本当は断りたかったんだけど、ドラマーがいないからって先輩に頭下げられてさ」
さっき凛子さんが語ったようにドラマーは絶対数がめちゃくちゃ少ない。本当に頼み込まれたんだろう。
「タダでサポートメンバーしてたってことやろ? ウチなら先輩でもちゃんと駄賃貰うけどなぁ」とコーヒー片手にベッドに座っている葵さん。
すると凛子さんは引き気味に「そんな女にはなりたくねぇよ…」と眉をしかめた。
「それで…そのライブで華さんはどんな感じだったんですか?」
そう尋ねると凛子さんは厳かと言ってもいいぐらい、真剣な声で答えた。
「凄かったよ。本当に凄かった。独学なのかコードの押さえ方が特殊だったし、なによりもギターの演奏が信じられないくらい上手かった」
あの日見たTRUE BLUEのライブを思い出す。
圧倒的な演奏テクニック。シンプルなコードのはずなのに、色鮮やかな音の響き。
やっぱり当時から凄かったんだ…
「その場でバンドに誘ったんですか?」
「ああ。ライブの打ち上げで声をかけた」
「よく加入してくれましたね。別のバンドでギタリストしてるのに…」
すると葵さんが眠そうな声を出す。
「この世界は引き抜いたり引き抜かれたりやからね。そんなもんやん」
そう言ってあくびをした。本当に眠いらしい。
「バイトだろ、寝るなよ」と凛子さん。
「夜バイト辛いわぁ」葵さんが嘆く。
「がんばれバイト戦士〜」私はコーヒーを啜りながら応援した。
「華も葵と同じで、スタジオのセッションで私らの演奏聴いたらOKしたよ。特に蘭子のことが気に入ったみたいだったけど」
凛子さんはまたコーヒーに口をつける。全員が黙るとRUSHの演奏が部屋に響く。
アレックス・ライフソンの叙情的なギターソロが始まり、ニール・パートのドラムが見事なフィルインを決めた。
「ほんならそろそろ華との因縁について語ろか?」
葵さんが凛子さんに投げかける。葵さんは聞き手を宣言してるから、それはもちろん凛子さんの役目だ。
「お願いします」私は軽く頭を下げる。
「めんどうだから簡潔に話すぞ」
「ありがたいです」
5秒ほど黙って言葉を選んでから、凛子さんは本当に簡潔に説明した。
「あいつ失恋したんだよ。それで脱退したんだ」




