第84話 土砂降りとホットコーヒー その2
「その前に流しにこれ置いてくるな」凛子さんが空のコップを持って立ち上がった。
「ありゃ」出鼻をくじかれてガクッとなる。
「春香ちゃん、そう焦らんと」葵さんが目を細めて笑った。
「でも…葵さんこそ今日は夜のバイトあるんじゃないですか?」
「あるで。あるけど6時半にここ出たら間に合うから大丈夫」
部屋のデジタル時計を見ると今は5時39分。果たして華さんとの因縁話が小一時間で終わるのだろうか。
「なんかBGM欲しいなぁ。せや凛子、あのレコードかけてえや」キッチンから戻ってきた凛子さんにそう言う。
「ばか言え。あんな特級呪物」
「でも夜な夜な聴いてるんやろ?」
全部お見通しという顔の葵さん。すると凛子さんは目を泳がせた。
「えっ本当に聴いてるんですか?」
「それはその…蘭子の手がかりが見つかればと思って何度か」
「でも最初の5分が限界ってとこやろ?」
「そうだよ悪いかよ」
凛子さんはまた自分の頭をガシガシする。ちょっとバツが悪そうだ。
「不甲斐ないなー」
「じゃあお前が聴け」
「ウチはあんたと違って中毒ちゃうからええわ。人目を忍んで夜中にこっそり楽しんだりせえへん」
「変な言い方するな!」
葵さんは凛子さんをからかって楽しそうだ。
でも私は驚いていた。あんな感情をぐちゃぐちゃにする音楽、もしもう一度聴くかと問われたら私なら絶対に足踏みする。
そういえば…と思う。華さんは、あの音楽をコピーするために何度あのレコードを聴いたのだろう。
聴く者の感情をめちゃくちゃにする、あの呪いのような音楽を。
「凛子さん葵さん。華さんと何があったのか早く教えてください」
私は改めてそう言った。
「そうやった。大事なこと忘れとった」と肩をすくめる葵さん。
凛子さんは黙って頷き、レコードがパンパンになっている棚からアルバムを1枚抜き出した。
「辛気臭くなったら嫌だからな。 葵の言うようにBGMぐらい流すか」
彼女はレコードをターンテーブルにセットする。するとすぐステレオから音楽が流れ始めた。
この雰囲気、またジャズだ。
「ソニーロリンズの名盤やな」葵さんがぽつりと呟いた。




