第7話 失踪とコメダ珈琲 その3
話を終えてコメダ珈琲を出た。
外に出れば、そこは混雑する休日の元町商店街。
通行の邪魔にならないよう看板の脇に寄って、ちょっと頭を下げた。
「コーヒーご馳走様でした」
「おう。大人になったらちゃんと私に奢れよ」
凛子さんは冗談めかして笑う。そしてスマホでサッと時間を確認した。
「じゃあ私はこれから用があるから」
「今日も倉庫のバイトですか?」
「いや。授業は無いんだけど大学に用があるんだよ」
そう答えて軽く左手を上げる。
別れる時いつもする凛子さんの仕草だ。
「また連絡する。まあ蘭子のことはそんなに心配するな。あいつアレでも自分から死んだりするような性格してないから」
そしてくるりと背を向け、商店街の雑踏を足早に遠ざかっていく。
私はそのスラリとした背中を黙って見送りながら、店を出る前に凛子さんがした話を思い返した。
凛子さんがスマホの画面を見せてくる。
「これが蘭子からの最後のメッセージ」
「ちょっ、不吉な言い方やめてくださいよ」
「読まなくていいのか」
「読みますよ。えーっと…」
『また逢う日までお達者で 東雲蘭子』
「なんですかこれ。旅立つ侍の書き置きじゃないですか」
「私もそう思った」
「ひょっとして蘭子さん…私たちをからかってないですか?」
「あいつがド天然なのは知ってるだろ」
言われて蘭子さんの数ある伝説のエピソードを思い出す。
大学の授業初日から違うキャンパスに行った話はその中でも笑って済ませられるほうだ。
入学祝いに買ってもらったばかりの新車を2日で廃車にし、20歳の誕生日に改めて買ってもらった車を名古屋のパーキングエリアに停めたまま、新幹線で帰ってきたのはもうゾッとする話の部類だ。
「天才とバカは紙一重やから」
ベースの葵さんが容赦なくそう言った時、申し訳ないけどすっと腑に落ちてしまった。
「確かに蘭子さんらしいといえば…らしいですね」
「このLINEが9月28日。お前に連絡する4日前の夜に来たメッセージだ。翌日にはもう行方が分からなくなった」
「あっ」
「今ので何か分かったのか?」
「いやそうじゃないんですけど…蘭子さんが例のアルバムを手に入れた場所が分かれば、手がかりが掴めるんじゃないかって」
凛子さんが複雑な表情をした。
「どうしたんです?」
「それがな…どこで手に入れたのかアイツにもよく分からないらしいんだ」
「え? どういうことですかそれ?」
凛子さんはうーんと唸って頭をポリポリ搔く。椅子の背もたれに仰け反り、しばらく天井を仰ぎ見る。
天井を見つめたまま、複雑そうな声で続けた。
「これはな、飽くまでも蘭子から聞いた話だから。細かい事は聞くなよ。聞かれても私にも分からないんだから…」
凛子さんの姿が人波の中に見えなくなる。
私も振り返って歩き、商店街を進み、横断歩道の手前で右に曲がった。
そのまま歩き続けると、まだ夏の陽射しが名残る眩しい青空の向こうに、JRの高架線、わずかに六甲山の緑の稜線が見えてくる。
私の家はJR元町駅と阪急の花隈駅のちょうどにある坂道を、10分ほど登った所にあった。
朝は駅までのこの距離が死ぬほどしんどい。
薄暗い高架下を通り抜ける。
そのとき。突然激しい音が響き、私は驚いてビクッとなった。
「ひゃ!」
高架線をJRの電車が走っていく音だった。
「なんだ、電車か…」
ふと、さっきの会話が脳裏によみがえる。
凛子さんはあの時コメダで、戸惑いを隠せない表情でこう言ったのだ。
「蘭子はな、自分でもどこなのか分からない駅で電車を降りた…そこであの『幻のレコード』を見つけたんだ」
 




