第53話 誰しも天才になりたかった その2
3日前の夜。
時刻は夜の10時頃。大丸神戸店にほど近い歩道での事だ。
不意に遠くのほうから電車の甲高いブレーキ音が聞こえた。
その音に引かれるように、私たちは無意識にその音の響く夜空を見上げる。
「言い忘れてたけど…そう言えばあの時も、凄いブレーキ音が聞こえたわね」
華さんが空を見上げたまま、ふと記憶が蘇ったように呟く。
私は驚きすぐさま尋ねていた。
「それって…もしかして駅のホームに降りた時ですか?」
蘭子さんはあの日、阪急の神戸三宮駅で甲高いブレーキ音が聞こえたと思った瞬間、神隠しからこちらの世界へ戻っていたのだ。
「そうよ。盗んだレコードを持って神戸三宮駅に降りたの。そしたらあたし以外に誰も居なくて。
けど電車のブレーキ音が聞こえたと思ったら、ホームの人混みの中にいたのよ」
「蘭子の話とまったく同じやね。不思議なレコード屋の話も、そのブレーキの話も…」
葵さんが顎に手を当てる。
「ほら!やっぱり蘭子さんはひとつも嘘なんて吐いてなかったんですよ!」
思わず声を上げた。
蘭子さんは嘘つきじゃない。その事が華さんの話で証明された。それだけで私は嬉しかった。
葵さんは小さく息を吐くと、参ったという感じで軽く肩を竦めた。
「せやな。ここまで来たら春香ちゃんの言う通り、素直に信じるしかなさそうやな」
けど、凛子さんだけはまだ信じられない様子だ。
「神隠し…か」胸の高さで腕を組んで、小難しい顔をしている。
「なんで悩むんですか。蘭子さんが嘘ついてなかったってことですよ? それだけで充分じゃないですか」
「それはそうだけど…21世紀の現代に神隠しだぞ?」
「前から思ってたけど、凛子さんって意外と理屈っぽいですよね」
「諦めなさい。こいつ昔っからヘンな所だけ死ぬほど頭硬いのよ」
華さんが苦虫を噛み潰したような顔をする。
すると凛子さんが癇癪を起こした。
「うるせーな!私はこれでも理系なんだよ!」
私と華さんは反射的にビクッとなる。その横で葵さんが「でも頑固なんはホンマの事やんか」と煽るように笑った。
凛子さんが葵さんをキッと睨む。
あっまずい。
喧嘩になるぞと思って焦っていると、凛子さんが突然その体をブルブル震わせる。
そしていきなり「くしょん!」と盛大なクシャミをぶちまけた。
「だ、だめだ…寒い…」
鼻水を垂らしてガタガタ震え縮こまる半袖の凛子さん。
葵さんが呆れた表情で「だから早よ長袖に衣替えしって言うてるのに」と、うちのお母さんみたいな事を言う。
ハンカチしか持ってない凛子さんは葵さんにティッシュをもらって、ズビーッと鼻をかんだ。
「大丈夫ですかー?」その様子を苦笑して眺めていると、視界の隅で、いつの間にか隣に立っていた華さんが静かに回れ右した。
私たちに背を向けてそーっと歩き出す。
逃がすものか。間髪入れず、後ろからその白く細い手首をギュッと掴んだ。
「どーこ行くんですか?」
ギクッと震え全身を硬直させる華さん。
そして壊れかけたロボットそっくりのぎこちない動きで振り返り、気まずそうな顔でこちらを見た。
その目をまっすぐ見つめ返して、私は厳しい口調で告げる。
「盗作した理由…まだ聞いてないですよ」
「そ、そ、それぐらい見逃してくれてもいいじゃない」
「それだと私が納得できないです!」
強く言い返すと華さんはようやく観念したのか、ガクッと肩を落として無駄な抵抗をやめた。




