第42話 その名はTRUE BLUE その4
TRUE BLUEのライブは、開始予定の18時30分を10分ほど過ぎて始まった。
凛子さんの説明だと、リーダーの華さんには昔からひどい遅刻癖があるらしい。
私がバンドに入る前はそのせいで何度かライブがとんだと教えられた。
けど、それが結果的に会場を熱狂に包んだ。
18時42分。ライトアップされたステージにメンバーが現れると、300人を超える観客が一斉に歓声をあげた。
待ちに待ったバンドの登場に会場が湧き上がる。
その瞬間、場内の温度が本当に何度か上昇したようだった。
アマチュアのライブでこんな熱気、今まで体験したことがない。
「あれが…だ」耳元で凛子さんが声を上げる。
かなり声を出しているはずだけど歓声に飲み込まれてよく聞こえない。
「なんですか?!」
「だ、か、ら、あのサックス持ってる小さい女が華だ!」
凛子さんが目の前の観客の肩の間から手を伸ばし、ステージの上を指さす。
ただでさえ満員電車に乗っているような状態なのに、小柄な私だとなかなかステージが見えない。
何度も背伸びしてようやくその姿を捉えた。
メンバー全員、アニメのコスプレみたいな白と青の制服風の衣装。
その中にサックスを肩にかけた、ひときわ背の低い女性がいる。
「あれ? あのひと…もしかして」
華さんがこちらに背を向けた時、私はふと数日前の光景を思い出す。
雨の中、葵さんがこのライブハウスの手前で立ち止まったとき。
開場を待つ群衆と私たちの間に、大きなケースを背負って走っている人がいたのだ。
何となくだけど…その後ろ姿が目の前の華さんに似ている気がした。
隣にいる彼女の様子を横目で窺う。葵さんは目を細め、真剣な表情でステージを見つめていた。
TRUE BLUEがステージに現れてから約3分。
彼女たちはまだ演奏もせず喋りもしない。
まるで人形のようにただステージに立っている。
徐々に観客の怒号に似た歓声が静まってくると、不意に、サックスを持った華さんがスッと右手を挙げた。
それを合図に会場が完全に静まり返る。
そして。
その手を下ろすと同時に、どこからともなく川のせせらぎが聴こえてきた。
つま先立ちで必死にステージを覗く。
すると前にいた観客の男性が私に気づき、ちょっとだけ隙間を空けてくれた。
ステージにはキーボード奏者がいる。
明らかに、川のような風のような音はそのシンセサイザーが出していた。
そして華さんがサックスをかまえ、もう1人のメンバーがフルートをかまえた。
シンセサイザーの音色にかぶせる形で2人の不安定なハーモニーが会場に響く。
観客の誰もが息を飲み、TRUE BLUEの幻想的な演奏に耳を傾けていた。
その胸をかき乱すサウンドに私は聴き覚えがあった。
あのレコード、ブルーノートの『1553番』から聴こえてきた不思議な音楽。
けど、あの時とはまったく違う。
涙が止まらなくなったりしないし、自分が何者なのか分からなくほどの激情に襲われることもない。
「不完全なコピーだ」
音楽以外すべてが静まり返った会場で、凛子さんがそう耳打ちしてきた。
「やっぱり…」私もその言葉で確信する。
TRUE BLUEは間違いなく、蘭子さんが見つけたレコードと同じものを持っている。
そして彼女たちの単独ライブは、そのレコードの再現を目指すものだった。




