第32話 ビニール傘と葵さん その1
「あ」
「どしたん春ちゃん?」
私たちはJR元町駅を北口から外に出た。
そのまま雨の中を生田神社の方に歩いていると、目的のお店の近くで見覚えある女性を見かけた。
ショートボブのそのひとがコンビニから出てきたところだ。
「ベースの葵さんだ」
「どこどこ?」
「ほら、いまビニール傘さしたひと」
「えっ?! あのイケメン女の人なん?!」
ショートボブにメンズ系の服を着ているから咲ちゃんには男性に見えたらしい。
葵さんはコロコロとファッションスタイルを変える。
この前まではセミロングの髪にライダースジャケット。はじめて会った時はたしか銀髪のウルフカットだった。
「なんや。誰か思ったら春香ちゃんやん」
片手を軽く上げて近づくと、葵さんもこちらに気付いた。
目を細めてやわらかな微笑を向けてくる。
隣の咲ちゃんがだらしなく口元を緩ませ、ため息混じりに「イケメェン…」と漏らした。
私は咲ちゃんの右腕を軽く肘で押して咳払いした。
咲ちゃんはハッと我に返り、照れた様子で「へへ」と笑って誤魔化す。
「そっちの子は友だち?」
「はい。咲ちゃんです、タイトラでのオーディションも見に来てくれた」
「ああ、あんたが咲ちゃんか。その時はありがとう」
「いやいや親友のためですから。ていうかこんなイケメンがおるって分かってたら無理してでも毎回ライヴ見に行ったのに…」
心の声が出てしまう咲ちゃん。けどすぐに「しまった」という顔になる。
葵さんは一瞬きょとんとし、それから真顔になった。
「それええな。ウチら男装アイドルバンドやったら速攻売れるんちゃう?」
「ええなって…方向性変わりすぎですよそれ」
「でも春香ちゃん男装似合いそうやん? チェキ1枚1000円とかどうやろ?」
「だからやりませんってば」
「えーっ葵さんのチェキ欲しい! やろうや男装アイドル!」
「ほら。親友もこう言うてるで?」
「やめてくださいよ!咲ちゃんも乗っからないで!」
葵さんが「ごめんごめん。冗談やって」と笑う。咲ちゃんの前で私をからかっていたようだ。
「もうっ」と私は憤懣を吐き捨てる。そういうのは凛子さんにだけして欲しい。
「それで2人はどこ行こうとしてたん? こんな雨の中」
「あ、それなんですけど…」
まだ顔に火照りを感じながら、声を落ち着けて答えた。
「葵さんの働いてるお店でご飯食べようと思ってたんです」
「春ちゃんがロコモコが美味しいって教えてくれて、私が行きたいって言いました」
「葵さんは今から出勤ですか?」
そう聞くと葵さんは首を振った。
「ウチはさっきバイト終わったとこ。今日は6時までやったから」
「えー。葵さんが働いてるとこむっちゃ見たかった…」
咲ちゃんががっかりした声を出す。
葵さんが「ごめんね」という感じで軽く肩をすくめた。
「じゃ、私たちはロコモコ食べに行くんで」
そう言って別れようとした。雨の中いつまでも立ち話に付き合わせるのも悪い。
未練がましそうな咲ちゃんをまた肘で突っついて急かし、私が先に立って歩き出す。
すると葵さんが私たちを呼び止めた。
「なあ、ちょっと待って」
「はい?」
「ウチも一緒に行ってええかな?」
その言葉に咲ちゃんが鼻息を荒くする。
「ま、まじっすか?!」
「ウチもどこかで食べて帰るつもりやったから。それにせっかくウチの店に来てくれるんやし、ロコモコぐらい奢ったるで」
「いや悪いですよ、そんな」
断ろうとすると、隣の咲ちゃんが濃い絶望に染まった表情を向けてきた。
そんな顔をされたのはこの2年半ではじめてだ。
「ほら。咲ちゃんも一緒に行きたいって顔に書いてるで?」
「うん!」
「じゃ…じゃあ、お言葉に甘えさせて貰います…」
こうして私たちは葵さんにご馳走になることになった。




