第25話 BLUE NOTE その5
雨が止んでたら凛子さんがバイクで家まで送ってくれるはずだったけど、雨は止まなかった。
夜8時。凛子さんの部屋を出ようとして葵さんに一緒に帰らないか尋ねると、
「ウチは今夜泊めてもらうわ。気ぃ付けて帰りよ」
ベッドに仰向けになりながら手を振ってきた。
いつもだけど葵さんの言う事は冗談なのか本気なのかよくわからない。
でも前に1度住んでるアパートを追い出された時しばらく凛子さんに泊めてもらってたから、案外マジで言ってるのかもしれない。
凛子さんの顔色を見ようとしたけど、ヨレたTシャツの背中しか見えなかった。また棚に向かっている。
「じゃ、帰りますね。ホットミルクごちそうさまでした」
そう声をかけて部屋を辞そうとしたとき。凛子さんが呼び止めてきた。
「春香ちょっと待て」
「はい」
「たしか家にCDプレイヤーあるって言ってたよな?」
「ありますよ。お父さんが居間に置いてます」
「じゃあこれやるよ」
CDを数枚渡される。
1枚はさっきのブルーノートのレコードと同じアルバムだ。ソニー・クラークだっけ。
「いいんですか? 大事なコレクションなんじゃ」
「大丈夫、同じやつの日本盤持ってるから。それはその前に買った輸入盤だ」
「いやいや同じの何枚買ってるんですか」
「世の中そういうもんだろ」
ニッと誇らしげに笑う凛子さん。
別に褒めたわけじゃないんだけどな…
「現物で持ってるとな、なおさら愛着が湧くんだよ。そこがサブスクとの1番の違いだ」
「あっそれ分かります。私も好きなマンガは紙で買うんで」
「そうそう、やっぱそうなんだよなぁ、そうなんだよ」
腕を組みうんうん唸る凛子さん。
その背中に葵さんが呆れたように声をかけた。
「凛子、自分の世界に入るのもええけど、春香ちゃんバッグ持ってきてないし傘さすんやから袋くらい用意したったら?」
「あっ」
凛子さんはハッとした表情で急いでキッチンに向かった。
「ありがとうございます」
「ええよー」
葵さんはベッドに横になったまま手を振ってくる。そしてちょっと眠そうな声で続けた。
「あんな春香ちゃん」
「はい」
「蘭子のことは心配せんでええよ。あの子あれで芯が強いから。たぶん今頃どっかのホテルで現実逃避して引きこもってるわ」
「似たようなこと凛子さんも言ってました」
「やろ。ウチらそこそこ長い付き合いやからね」
せやから、と葵さんは寝返りを打って天井を向く。
「あの子が帰ってきたら、ふつうに受け入れたってな」
葵さんがそう言ったとき、キッチンから凛子さんがひょっこりと上半身を出した。両手で何かを持って苦笑いしている。
見ると、その手に広げられてるのはクシャクシャになったスーパーのレジ袋。
「すまん、これでもいいか? 濡れても大丈夫そうなのこれしかなくて…」
「ぜんぜん大丈夫ですよ。あっサンディだ」
「このスーパー給料日前ほんと助かるんだよ」
凛子さんはごまかすように笑い、そのクシャクシャの袋にCDを入れてくれた。