第22話 BLUE NOTE その2
目をこすり「今のは何だろ?」と思っていると、凛子さんの手でレコードに針が落とされた。
パチパチと何か弾けるような音。
静電気の放電に似た細かなノイズが鳴る。
それが数秒して消えると、今度は遠くのほうから物音が聴こえてきた。
風の吹く音あるいは川の流れる音を思い出させる、かすかな音。
咄嗟にあたりを見回す。
だがその音はヘッドフォンから聴こえていた。
つまり、もう音楽は始まっているのだ。
川のせせらぎと思っていた音が少しずつ近付いてくる。音の輪郭が明瞭になる。
オルガンの音だろうか。
正確なことは分からないけど、楽器であることは確かだ。
しばらくその音がなんの変化もなく続き不意に、さっきの私の心臓の鼓動そっくりの低い音が入ってきた。
ちがう。これは打楽器の打つリズムだ。
バスドラムの生み出す低音のリズム。
そのリズムに乗って今度は2つの楽器が少し音程のはずれた旋律を演奏しはじめる。
メジャーかマイナーかもよく分からない不思議なメロディを、少しずれたハーモニーが歌うように奏でる。
これはトランペットとフルートだろうか。いやサックスとクラリネットだろうか。
そもそも本当にオルガンと2つの楽器だけのハーモニーなのか…?
温かいような、冷たいような、風のような、川の流れのような不思議なサウンド。
何もわからないけれど、聴いたことのない種類の音楽ということだけは確かだ。
私はいつのまにか、その音楽にどこか懐かしさに似たものを感じていた。
ずっと昔いつかどこかで聴いたことのあるような旋律、リズム、永遠に音のはずれたハーモニー。
この音楽はいったい何なの?
どこの誰がこんな胸を掻きむしりたくなるものを作ったの?
ふと視界がぼやける。
目頭が熱くなり、堪えきれずに涙がこぼれていく。
体の奥からこみ上げてくる嗚咽を我慢することができなかった。
私はここで何を聴いているんだろ?
いま聴こえているのが自分の泣き声なのか、それともサックスの放つ咆哮なのか、それさえも分からなかった。
私は耐えきれずにヘッドフォンを外した。
「春香ちゃん、涙拭き」
葵さんがいつのまにか隣にいて、ティッシュを箱ごと渡してくれる。
私はそれをひったくるように受け取って、思いっきり鼻をかんだ。
3回連続でかんでやっと鼻水が止まる。
「すみません…お聞き苦しいものを」
私が涙を拭きながらそう言うと、葵さんがからかう調子で、
「ええんよ。凛子なんかもっと泣いて泣いて、しまいには戻しそうになってたんやから」
「おま…いちいち言わなくていいだろ。お前だってずっと泣いてたくせに」
床に胡座を組んで座っていた凛子さんは舌打ちし、ムスッとした顔で立ち上がった。
ニヤニヤと笑っている葵さんを一瞥して私の横に片膝をつく。
そしてそっとレコードの針を上げ、ターンテーブルの回転を止めた。