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7 謎のスカウト

 コソコソ、ヒソヒソと噂は広まった。

 この宮廷の使用人の居住区に踏み入った時に感じた、あのゴシップへの熱が、アリシアを標的に広まっていた。たった数時間で末端まで伝熱するとは、人の噂とは恐ろしい。


「あれは不吉の紫色だから」

「体に触ったら穢れるって事?」

「怖い、怖い。縁起でも無いよ」


 あれからエマは話しかけてこなくなったし、先輩メイド達はあからさまにアリシアを避けて、陰口を言っている。

 顔も知らない年配の使用人から舌打ちされ、庭では水まで掛けられる始末だった。


「はあ~。ここでも同じ展開か」


 アリシアは空を仰いだ。

 新天地で心新たに出発したメイドのお仕事も、結局伯爵家と同じ扱いになっていった。



 夕食前の時間に。


「これ。お願いね」

「え……全部ですか?」


 大量の洗濯物の山を残して、先輩メイド達は行ってしまった。

 多分、通常は三人くらいでやるであろう仕事を、アリシアは一人で押しつけられていた。


「……がんばるか~」


 アリシアは腕まくりをして取りかかった。

 最初は鼻歌を歌いながら。だが洗っても洗ってもシーツは減らず、洗濯板を擦る手の感覚は無くなっていった。二時間が経つ頃には、手はアカギレどころか擦り切れて、血が滲む始末だった。


 誰もいない狭い洗濯室でゴシゴシという音だけが響いて、アリシアは涙がこみ上げてきた。


「よしっ、休憩、休憩」


 わざと元気に立ち上がると、クルリと回ってポーズを取った。さらにハタキを(かざ)して、優雅に妖精の真似をした。

 脳裏には昔、母と一緒に観劇した懐かしい妖精のダンスが浮かぶ。いつもは心が和むところだが、アリシアの目からは涙が溢れた。


「うっ、うっ……」


 アリシアは声を押し殺して泣いた。生まれ育った家の中にも、外の世界にも、どこにも味方はおらず、愛など無いのがわかってしまったのだ。

 別に何かに期待していたわけではない。だけどせめて、普通に過ごせる生活をアリシアは切に望んでいたのだ。

 瞳の色は恨めない。母と同じ、母と繋がりを持った大切な色だから。


 痛む手を酷使して何とか洗濯を終わらせると、アリシアは夕食を取るために食堂へ向かった。

 メイド達は皆、食事を終わらせた後で、テーブルの上には汚れた食器が積んであるだけだった。籠の中にはパンの一欠片も無い。


「何だ? 今更来ても、飯は終わりだよ」


 厨房から顔を出した無愛想な中年の男は、アリシアを睨んだ。

 一日中労働した挙句、夕飯も無いのではとても持たない。アリシアは懇願(こんがん)した。


「あの、具の無いスープでも、パン(くず)でも構いませんから……」

「終わりと言ったら終わりだ! ずうずうしい!」


 バン!と音を立てて厨房のドアが閉まり、アリシアは呆然と立ちすくんだ。


 トボトボと自室に向かって歩くうちに、沸々と怒りが湧いた。


「私の事を知らないし、喋った事も無いのに、一致団結しちゃって……人間て、共通の敵がいると(まと)まるんだなぁ」


 悲しい人間の(さが)に、アリシアは打ちのめされた。それは継母と義妹と、父も同じだ。共通の意識を元に団結した人間は、時に激しく残酷で、徹底して対象を排除する。


 アリシアはこのまま宮廷に居続け、針の(むしろ)でいるべきか。それとも伯爵家に戻ってまた地獄を見るのか、考えた。

 冗談みたいな選択肢にゲンナリとする。


「これだけ使用人達に嫌われたら、明日の朝礼で解雇かもな……」


 選ばずに流れる運命の方がまだ楽な気がして、アリシアはすべてを諦めて、処刑のような朝礼の時を待った。



 ♢ ♢ ♢



「全然眠れなかった……」


 アリシアは寝不足の酷い顔で、朝礼の列に並んだ。

 頭がふらふらと回って、現実が遠い所にある感覚だ。


「また、あの最悪の夢を見たような気がする。魔物に食べられてしまう生贄の子供は、私の未来を予知してたのかな……」


 ブツブツと独り言を口にするうちに、グレタメイド長が厳しい声で名を呼んだ。


「アリシア。前へ」


 思った通り、処刑の……いや、解雇の時が来たのだ。

 アリシアは何も驚かず、返事もせずに呆然とした顔のまま、その場から動かなかった。

 だが、グレタメイド長は放心しているアリシアに怒りもせずに、命令を続けた。


「アリシア・エアリー。本日付で魔法宮に異動です」


 ザッと音が鳴るほどに周囲が振り返り、無数の目線がアリシアに注目した。当のアリシアは放心したまま、頭が悪い子みたいに口を開けていた。


「へ?」


 間の抜けた返答に、グレタメイド長は少しムッとして繰り返した。


「魔法宮に異動です。すぐに荷物をまとめて魔法宮に向かいなさい」



 アリシアは朝礼の後、食堂に行く事も掃除をする事もなく個室に戻って、荷物をまとめた。

 とは言ってもあの遺品の木箱だけなので、準備はすぐに終わった。

 放心したままベッドの上に座ると、間抜けなお腹の音が室内に鳴り響いた。


 グ~、キュルルル……。


「朝ご飯も食べそびれちゃった……」


 今考えるべきはご飯の事ではないが、アリシアの脳は思考を停止していた。栄養が足らないだけでなく、理解が追いつかなかった。


「魔法宮へ異動……魔法宮?」


 アリシアはあの、バルトロメウスのミステリアスな宙色の瞳を思い出した。そして会話が成り立たない、あの不可解な空気を。


「私がいったい、何故?」


 アリシアは今朝方見た夢を思い出した。生贄の子供の夢だ。


「あ~、生贄って事? なーんて。あはは」


 ポン、と手を叩きながら、背中がゾッとしていた。有り得るような気もして笑えないが、アリシアはとりあえず一人で笑った。

 笑いながら気配を感じて横を見ると、開けっぱなしだったドアの外に人が立っていた。


「あの。アリシア様ですか? お迎えに参りました」


 同じメイド服姿の。だけどさらに高級な素材とデザインの制服を(まと)った女の子が、遠慮がちに声を掛けてきた。きっと宮廷の中でも上位のメイドなのだろう。どこぞのお嬢様のように綺麗に髪を整えて、お肌も輝いていた。


「あっ、す、すみません! 一人で笑ったりして」

「いえいえ。私はディアナと申します。バルトロメウス様から、アリシア様のお迎えを仰せつかりました」

「ア、アリシア様だなんて! 私はメイドですから、呼びつけでいいですよ!」

「では、アリシアさん。参りましょう」


 人から丁寧に扱われるのに慣れないアリシアは、ディアナが木箱を持とうとするのを必死でお断りして、自分で持ち上げた。

 しゃなりと歩くディアナの後を、アリシアは木箱を抱えて、ヒヨコのように付いて行く。


 使用人の居住区を歩く間、アリシアは無数の目線と噂話に囲まれた。

 さらに豪華な宮廷内を歩く二人にも、沢山の視線が注がれていた。

 アリシアは緊張が高まる。おそらく宮廷にとっても、下位のメイドが魔法宮に異動するだなんて、珍しい事なのだろう。自分にだって意味がわからないのだから、周囲が(いぶか)しがるのは当たり前だ。


 日当たりの良い渡り廊下に出ると、前を歩いていたディアナは笑顔で振り返った。


「アリシアさん、凄いですね。魔法宮の専属メイドだなんて、宮廷始まって以来の事ですよ」

「えっ? 魔法宮の……専属メイド!?」


 硬直して立ち止まるアリシアに、ディアナは続けた。


「ええ。バルトロメウス様が直々にアリシアさんをご指名されたらしいです。魔法宮の専属として、宮に住み込みで働いて頂きたいと」

「は、はあ!? す、住み込み!?」


 アリシアはつい、大声を上げた。

 同時に、大きくお腹も鳴った。

 恥と謎の展開に、アリシアは木箱を抱えたまま戦慄(わなな)いた。

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