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4 想定外の初仕事

 案内されたのはメイド用の個室だった。

 廊下には同じドアがずらりと並んでいて、間違えないよう覚えるのが大変そうだ。

 狭い部屋には質素なベッドと椅子だけ。壁には曇った鏡が掛かっていて、窓は無い。

 それでも伯爵家の倉庫部屋よりも人間の部屋らしいので、アリシアにとっては充分満足だった。


 ベッドの横には、あの母の形見の木箱がポツンと置いてあった。御者が馬車の積荷を先に運んでくれていたようだ。

 荷物がたったこれだけとは、配給されるメイド服や靴下が無ければ、アリシアは裸一貫になるところだ。

 エマはアリシアの部屋を覗いて、つまらなそうに首を傾げた。令嬢らしく、さぞ豪華な家具や私物が持ち込まれるだろうと期待していたのだろうか。


「ねえ、アリシア。着いてすぐで悪いんだけど、着替えたら上に来てくれる? 客室が酷く汚されたみたいで、うちのチームが洗浄しなきゃなのよ」

「わかったわ。すぐに行きます」


 アリシアはエマが去ると、ワンピースを脱いで宮廷のメイド服に着替えた。


「わあ、上等な布! それにエプロンは新品だし、可愛いデザイン」


 曇った鏡を見て、アリシアは笑顔を作ってみた。


 ドアの横には仕事用のハタキやほうきが掛かっていて、バケツに雑巾もある。ハタキを手に取ると()が壊れていたので、アリシアは(うな)った。


「あ、そうだ。あの木箱に棒っきれが入ってたわ」


 使い用途のわからないただの棒は、母の形見と言われても意味がわからなかったが、自分の仕事道具として使えるなら丁度いい。

 木箱から棒を取り出すと、それは(てのひら)にピッタリのサイズで、ハタキの柄として(あつら)え向きだった。壊れた柄からハタキの部分を取り外して、棒っきれにグルグルと紐で巻きつけて、オリジナルのハタキが完成した。


「ようし。新しい道具と一緒にがんばろう!」


 あれから結局、アリシアは義妹のキャロルから母の大切な形見である宝石のブローチを取り返せなかったが、その悲しみを忘れるように、ハタキを空に掲げてポーズを取った。


 元気に仕事場に向かったアリシアだったが、この後客室にて、想像を絶する大変な洗浄が待っていたのだった。



「ひっ、ひえぇ……」


 アリシアは汚された広間を見渡して、唖然とした。

 隣にいるエマも、その隣にいるメイド達も、一様に深い溜息を吐いた。


 来客が立ち入る会議用の客室は豪華な内装で、大きな長テーブルや調度品があるが、それらのすべてに黒い液状のような、ドロドロした物がブチまけられていた。壁、家具、絨毯、シャンデリアまで。


 あまりに無残な汚され方に、アリシアはエマに尋ねた。


「あ、あの、いったいここで何が?」

「貴族の商人が商談中にブチ切れて、商材として持ち込んだ染料を散布したんだって。大方、不利な条件を飲まされたんでしょうよ」


 別の先輩メイドが呆れた声で続けた。


「それで実行した商人は地下牢にブチ込まれたわけ。は~、こんな染料なんか、落ちるわけないじゃん」


 仰る通り、雑巾で拭いたところで回復できそうにない。

 それでも命令されたからには原状復帰を目指して洗浄するしかなく、メイドのチームはバケツで水を運び、掃除を始めた。


 アリシアはまず壁に掛かった装飾品を拭こうと近づいたが、不思議な汚れが目に入った。


「ん? これは……(ほこり)?」


 ドロドロとした液体の汚れとは別に、丸くてふわふわとした、黒い(すす)のような物が所々に付いていた。それはくっついたり、離れたり、宙に浮いたり。不思議な動きをしている。

 アリシアは腰元に装備していたハタキを取り出すと、それを(はた)いてみた。すると黒い煤はふわっと舞い上がって、光って消えた。


「へ? 何これ? 埃が光った?」


 ハタキを見つめていると、真後ろにある長テーブルのクロスがゴソゴソと動いたので、アリシアは驚いて振り返った。


 テーブルの下から黒い猫……いや、黒髪の少年が現れた。

 艶やかな髪が肩まであって、猫のように澄ました顔に、綺麗な刺繍が施されたローブを身につけている。

 特に目を惹くのはその瞳の色で、アリシアの菫色の瞳よりもさらに濃く青みがかった、紫色の美しい(きらめ)きだった。


「わ……僕、どうしたの?」


 こんな汚れた現場に子供が迷い込んだのかとアリシアは驚いて、少年の目線に腰を屈めた。少年が無言のままジッとアリシアの目を見つめているので、アリシアは笑顔で続けた。


「かくれんぼしてた? 汚れちゃうから、ダメだよ」


 諭している最中に、思い切り誰かがアリシアに体当たりしてきた。エマだ。引きつった顔をして、代わりに少年と会話を続けた。


「も、申し訳ございません! エーレンフリート様! この者は新入りでして!」


 エマの慌て振りに少年が高貴な位であるのがわかって、アリシアは焦って頭を下げた。王族と出会うはずがないエリアだと、完全に油断していた。

 少年は謝罪に興味無さそうに、まだアリシアを見上げていた。しかしそれとは関係なく、事務的な言葉を発した。


「この場所で魔法を使った形跡があるので、調査に来た。調査が済むまで立ち入りは禁止のはずだが」


 子供らしくない、大人びた口調にアリシアは驚いた。見たところ12、3歳といったところだが、まるで立派な社会人のようだ。

 エマはさらに青ざめた。


「魔法が使われたとは知らず、連絡の行き違いかと思われます! すぐに片付けて退避して……」

「いい。調べたところ、染料を散布する簡単な魔道具が使われただけだった。掃除を続けてくれ」

「は、はいっ!」


 エーレンフリート様と呼ばれる少年は、結局アリシアとは一言も喋らず、広間を出て行ってしまった。

 メイドが全員礼をして見送り、扉を閉めた後で、エマは脱力した。アリシアは訳がわからずに狼狽した。


「あの方は王族の方ですか? その、エーレン? フリート様?」

「規約に書いてあったでしょ? 私達が立ち入りを禁じられてる、王宮の隣にある魔法宮の役人よ!」

「役人て、子供なのに?」


 アリシアの素朴な疑問に、エマは真顔で唇に指を当てて、睨みを利かせた。


「子供だなんて、絶対言っちゃダメ。今日はたまたま出会(でくわ)したけど、普通は私達と接触なんて有り得ないお方なんだから。不興を買って地下牢にブチ込まれても、知らないわよ?」


 アリシアはそんな恐ろしい存在に気軽に声を掛けてしまった自分の軽率さに、背筋を凍らせた。

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