39 恥と決意
「アリシア~、どっかいたい?」
「アリシアさん。このお菓子、美味しいですよ」
アリシアはソファの上でベルに頭を撫でられながら、エレンにお菓子を貰っていた。お弟子さん達がとても優しいのは、アリシアの目蓋が冗談みたいに腫れ上がっているからだろう。
バルトロメウスに半日がかりで慰めてもらって、夜にやっと復活したアリシアだったが、自室で泣き喚いた声をみんなに聞かれてしまったのは恥ずかしすぎた。
「二人とも、ありがとう。私はもう大丈夫だよ」
説得力のない笑顔でマッスルポーズをしてみたが、ベルもエレンも切ない顔をしていた。
ベルが両手をアリシアの両目に置いて、冷やしてくれた。天使の小さな手が冷おしぼりの代わりだなんて、贅沢すぎる。
「はあ~、気持ちいい……ベル君ありがとう」
「アリシア、かわいくなってね」
よほど酷い顔らしい。ベルの切なる願いが込められていた。
このおブスな顔をバルトロメウスにも見せていたのかと思うと嫌すぎて落ち込むし、それどころか涙と鼻水で高貴なお洋服をグシャグシャにした上に、膝の上までよじ登って何時間も占拠するとは、まるで赤ちゃん妖怪だと、アリシアは猛省した。
「あ゛あ゛あ゛ぁ~!!」
思い出す恥に耐えきれず悲鳴を上げるアリシアを、ベルもエレンも労りの目で見守ってくれた。
「アリシアさん。僕たちは味方ですから、できる事があったら何でも言ってください」
エレンの誠実な言葉が、アリシアの胸に響いた。
何て心強い弟子……いや上司だろうかと、アリシアはエレンとベルの顔を見渡した。
明日からバルトロメウスと共に殺人現場を周る任務が待っているが、アリシアは弱音も怖気も吹き飛んでいた。
「エレン君。ベル君。心配かけてごめんね。こんなに頼もしい上司が3人もいるんだもん。元気300倍だよ」
「じゃあ、ご飯は食べられそうですか?」
「うん!」
魔道具のお盆に取っておいてくれたアリシアの夕食を、エレンはテーブルに運んで来た。
アリシアは席について、エレンを見上げた。
「バルトロメウス様は?」
「先生は魔術学校の会議に出席された後、王宮に戻ってまた会議だそうです」
「そっか……」
ただでさえ多忙な宮廷魔術師の時間を自分が独占してしまった事に、アリシアは罪悪感を覚えた。
(もう泣くのはやめよう。これ以上迷惑をかけちゃダメだ)
バルトロメウスの苦しそうな顔を思い出した。
可愛いものや弱きものを慈しむバルトロメウスは、他者の悲しみに深く同調してしまうのだろう。きっとアリシアと同じように傷ついている筈だ。
常に本心を殺して宮廷魔術師としての仮面を被るバルトロメウスの強さに、改めて尊敬の念が湧いた。
そしてアリシアは、メイドの10倍の報酬を貰っている自身の立場を考えた。
「宮廷魔術師補佐アリシアとして、立派に働く」
アリシアの決心と同時にエレンが夕食の蓋を開けて、リビングは湯気と芳しい香りに包まれた。
アリシアの意気込みに応えて、体は勢いよくディナーをかき込んだ。
その元気な様子に、エレンとベルは顔を見合わせて笑顔になった。
♢ ♢ ♢
それから一週間後。
アリシアのもとに、ディアナから贈り物が届いた。
「こちらはバルトロメウス様からです」
「へ?」
アリシアはテーブルに置かれた包みを見下ろした。綺麗な布に包まれた中には、また布が入っていた。上質な黒い生地と、美しい金と銀の飾り罫の……。
「魔術師のローブ!」
それはバルトロメウスとエレンとベルが、宮廷魔術師として身につけているローブだった。「ザ・魔法宮」というほど、宮廷においてシンボル的な衣服だ。
「こ、これは私のローブ?」
「はい。バルトロメウス様がアリシアさん用に発注していた物が仕上がりましたので」
アリシアはこの一週間、バルトロメウスと殺人現場を巡ってバディのように捜査していたが、バルトロメウスは他の業務も熟していて多忙だったため、日常会話を殆どしていなかった。なのでローブを発注していただなんて、初耳だった。
「まあ! お似合いです。格好いいですわ!」
ディアナが褒めてくれて、アリシアは鏡に見入りながら照れた。
メイド服の上に羽織ったローブは知的な貫禄を装って、「宮廷魔術師補佐」という肩書きが名実ともに現実になったようだ。
アリシアはキリッと顔も気も引き締めた。
バルトロメウスは相変わらず遅くまで仕事をして、魔法宮に帰って来たのは今日も深夜だった。
どうしてもローブのお礼を言いたかったアリシアは、ここ数日すれ違いで会えなかったバルトロメウスを待ちわびた。
「おぉっ」
バルトロメウスはリビングに入ってすぐに声を上げた。アリシアがパジャマワンピースの上にローブを羽織って迎えたからだ。
「バルトロメウス様、おかえりなさい」
「ただいま。可愛い子ちゃんのお迎えは最高だな」
バルトロメウスはアリシアに近づくと、ローブ姿を眺めた。
「うん。似合っているぞ。宮廷魔術師補佐アリシアよ」
「このローブを着せて頂けるなんて、身が引き締まる思いです」
バルトロメウスはアリシアの凛とした瞳を見つめた。
「アリシア。この一週間、しんどい現場検証も直向きにがんばったな」
「はい。私はバルトロメウス様の部下ですから」
「正直驚いたよ。アリシアにこんなに逞しく強い面があるなんて。可愛い可愛い、おぼこい女の子だったのに……いや、今も可愛いけどね?」
バルトロメウスは独り言に自分でフォローしたので、アリシアは笑った。
「バルトロメウス様だって、格好いい顔と適当な顔の両方あるじゃないですか」
「俺って適当かな?」
「毒舌、半裸、可愛いもの好きなイメージです」
「わはは! なんか変態っぽいな!」
バルトロメウスは完全に外面を外して笑い、二人は久しぶりに捜査以外の会話を交わしていた。
「可愛い子ちゃんに招待状がある」
「招待状?」
バルトロメウスは懐から二つ折りの紙を出してアリシアに渡した。
アリシアがそれを開くと、そこには夜会の場所と時間が書かれていた。
・侯爵家の屋敷にて
・婚約パーティー
・18時から
「まあ、俺達は招かれざる客なんだけどね」
バルトロメウスの意味深な言葉を、アリシアは理解した。
「宮廷魔術師補佐としてのデビュタントですね?」
「ああ。俺とここで踊るんだ。バディとしてね」
バルトロメウスとアリシアは同じローブで装う同士、見つめ合った。
遠い異次元の存在だったバルトロメウスが、到底対等とは言えないけれど、距離が近づいた気がした。
アリシアは歓迎されないパーティーへの、戸惑いも怖れも無かった。バルトロメウスの宙色の強い煌きがアリシアの瞳に映り、それは無限の勇気を与えてくれたから。




