33 異国のお姫様
週末のお茶会に出席する旨をバルトロメウスに伝えると、あっさり了解を得た。アリシアは構えていた分肩透かしを喰らったが、バルトロメウスと継母達を引き合わせる最悪の事態は避けられたので、ひとまず胸を撫で下ろした。
夕食の前に、バルトロメウスはまた出かけた。
最近、王宮の食事会に連日で参加していて、帰宅も遅い。それはすべて、夜会の時に出席した異国の来賓客がまだ滞在しているからだ。バルトロメウスはどうやら、お姫様のお相手をしているらしい。
夕食の席で、アリシアはエレンに尋ねた。
「宮廷魔術師って、来賓の方のお相手もするんだね」
「いえ。このような事は任務外なので、滅多に無いですが……」
エレンが口籠る横でベルが突然、衝撃的な発言をした。
「せんせい、おひめさまと、けっこんする?」
アリシアは危なく口内のパンを噴き出すところだった。
エレンも慌ててベルを制した。
「こら、ベル! 適当な事を言うな」
「だっておひめさまは、せんせいがすきなんだって」
さらなる衝撃の発言に、夕食の席は静かになった。
ここにバルトロメウスがいなくて良かったと思う反面、アリシアは自分の血圧がだだ下がりしているのがわかった。心拍数がとても遅い。
エレンは咳払いをして、ベルの発言を補助してくれた。
「異国のお姫様は魔術に大変ご興味があるらしく……。去年の来国の際も、通訳を兼ねてバルトロメウス様がお相手をしていました」
「ふ、ふうん。バルトロメウス様はお姫様のお気に入りなんだね」
「バルトロメウス様は議員や王族達から、政略的に自分達に有利な婚約者を常に押し付けられるので……異国のお姫様は多分、国交を有利にしたい貿易省の議員と、摩擦を避けたい相手国との取引かと」
「そ、そっかあ……大変なんだね……」
結局、アリシアは宮廷魔術師の立場を理解しているつもりで、現実がまったく見えていなかったのだと思い知った。
バルトロメウスには複雑な派閥の問題だけでなく、婚約相手にまで政治的な目論見と重圧がかかっているのがよくわかった。
隠そうとしても混乱とショックが顔に出てしまうアリシアに、エレンは申し訳なさそうに続けた。
「あの、でも。先生はまだ、誰かを婚約者にするとは決めてないと思いますよ? あくまで社交上のお付き合いなので」
アリシアは少年に気持ちを悟られている上に慰められている状況が恥ずかしすぎて、赤面したまま頷くしかなかった。
そんなアリシアを見かねたのか、エレンの隣にいるベルは、大きな声で手を挙げた。
「アリシアは、ぼくとけっこんするから!」
天使のような宣言に悶えて、アリシアは泣き笑いした。
♢ ♢ ♢
「異国のお姫様かぁ……」
深夜。アリシアはベッドの上で、あの夜会の舞踏を思い出していた。
威風堂々とした宮廷魔術師バルトロメウスと、エキゾチックなドレスで着飾った異国のお姫様の、美麗なダンスを。
お伽話のワンシーンに心がときめくのと同時に、胸がズキンと痛んだ。
「”お似合い” って言葉が陳腐に感じるくらい、素敵だったもの」
複雑な気持ちで枕に顔を押し付けていると、リビングにバルトロメウスが帰って来たようだった。
「……」
荷物を置いて、ローブを脱ぎ捨てて……テラスの窓を静かに開ける音が聞こえる。
アリシアは狸寝入りをしながら、小さな物音に耳を立てていた。
しばらく外にいるようなので、アリシアは痺れを切らせてベッドから出た。
机に置いてある「モルガナイト国の果物」の本を手に取ると、リビングを通ってテラスに出た。
月明かりの下で、庭の芝生に立つバルトロメウスのシルエットが見えた。手元に小さな明かりを灯して、それを見つめているようだった。
アリシアはテラスで靴を履き替えると、シルエットのもとに歩み寄った。
草を踏む音に気づいたバルトロメウスがこちらを振り返ったので、アリシアは胸に抱えていた本を、会いに来た言い訳のように掲げて見せた。
「あの、本を借りっぱなしだったので……」
バルトロメウスは「ふ」と笑った。
「本を返すために、こんなに夜更かしを?」
外出前にビシッと決めていたはずの宮廷魔術師の正装は、だらしなく崩れている。だがそのせいで、バルトロメウスの妖艶さが余計に引き立てられているので、アリシアは目のやり場に困って苦笑いをした。
話を逸らすように、バルトロメウスの掌の灯りに目線を移してみる。
「掌で焚き火ですか?」
「いや。面白い魔法だよ」
よく見ると、それは焚き火ではなかった。
「踊る……タコ……」
アリシアの見た通り、それはまさしく手脚をクネクネとさせて踊る、八本足のタコだった。アリシアは意味がわからず再び尋ねた。
「え。何ですか、これは」
「さあ~。子供用の玩具か、偶像かな」
バルトロメウスは左手に持つ綺麗な装飾の本をアリシアに見せた。
「異国の来賓客に貰ったんだ。珍しい魔術書だって」
「へ、へえ~……」
アリシアは(来賓というか、お姫様からのプレゼントですよね?)と喉まで出かかったツッコミを我慢した。
本当はそれどころか、そのお姫様との関係を聞き出したい気持ちでいっぱいだが、本人を前にすると妙な緊張感があって、何も言い出せなかった。聞いてしまったら最後、不相応で恥ずかしい自分の気持ちまでバレてしまいそうで、アリシアは沈黙するしかなかった。
踊るタコを二人で黙って見守るという、謎の時間。
予想外の話題で沈黙を破ったのは、バルトロメウスだった。
「アリシア。週末のお茶会に同行しようか?」
「えっ!?」
思わぬ話題と後出しの提案に、アリシアは面食らった。
「い、いえいえ、とんでもないです! 大丈夫です!」
「そお? 上司としてご家族にご挨拶でも……」
「いやいや、結構です!」
強く断るとバルトロメウスが少しシュンとしたので、アリシアは焦って弁解した。
「あ、あの、宮廷魔術師様が突然現れると、家族もビックリしてしまうと思うので……」
あながち嘘ではない理由だった。ビックリした上で、継母も義妹も宮廷魔術師の地位に肖ろうと、大騒ぎするのは確実だ。そんな醜態を本人に見られるなんて、最悪の事態だ。
アリシアの体は悪寒で震えて、強めに言葉を重ねた。
「大丈夫ですっ。本当に」
「そう……だったら無理強いはしないけど」
バルトロメウスは掌の踊るタコを消すと、アリシアを見下ろした。
「アリシア。嫌になったらいつでも逃げ出していいんだよ」
「お茶会の途中でですか?」
「うん。魔法宮まで走って逃げるんだ」
アリシアは茶器をひっくり返して猛ダッシュする自分の絵が浮かんで、笑ってしまった。でも、それが奥の手としてあると考えると、随分気が楽になる。怒声や暴力も、自分が本気で逃げたらドレス姿の二人は追いつけないのだから。
バルトロメウスの子供じみたアドバイスは、意外にもアリシアの大きな支えになった。
そうして週末のお茶会は、不穏な気配と共にアリシアの元へやって来た。




