3 ラッキーな継母
高い塔の上に、生贄の子供が3人並んでいる。
手足を縛られて身動きが取れないまま、空からやって来る魔物に齧られのを待っている。
一人、二人……三人目のアリシアは恐怖で叫ぶこともできずに、宙を舞う魔物を見つめた。無数の歯が並ぶ大きな口に食べられる瞬間に、アリシアはこれが夢であると悟っていた。
最悪な気分の時に、何故かいつも見る夢だ。
「……ッハ!?」
アリシアはベッドの上で目が覚めた。
頭に包帯を巻かれて、手足にもガーゼが貼られているが、生きている。
昨晩、馬車に撥ねられたのは夢だったのだろうか?
どこからどこまでが現実かわからずに、アリシアは周囲を見回した。
すると夢よりも最悪な現実がそこにあった。
不気味なほどニコニコと笑顔を見せる継母が、ベッドサイドに立っていたのだ。
「目が覚めた? 夜中に飛び出して馬車に撥ねられるなんて。ビックリしたわあ」
猫撫で声なのは、継母の後ろに医者が立っているからだとわかった。
医者は一通りアリシアの状態を確かめると、軽症であることを伝えて病室を出て行った。
継母は途端にいつもの怒り顔に戻ったが、それでもいくらか機嫌が良いように見える。
「お前を馬車で撥ねたのは、金持ちの商人だったのさ。賠償金として大金を払ってくれたんだから、ラッキーったらないよ!」
ご機嫌の理由がわかって、アリシアはホッとした。
怒っていても笑っていても継母は不気味なものだから、アリシアの感覚はおかしくなっていた。
継母はさらに楽しそうに告げる。
「それから、以前から知り合いにお願いしてあったお前の就職先が決まったんだよ! 思ってたよりいい給料が貰えるみたいでね」
「しゅ、就職先?」
「聞いて驚くんじゃないよ? なんと、宮廷のメイドさ!」
「……」
頼んでもない就職先を勝手に探していたとは、アリシアは不意打ちで驚いた。継母にとっては不吉な娘を堂々と厄介払いできる上に宮廷との繋がりもできるのだから、この上なく都合の良い展開なのだろう。
給料は勿論、継母に振り込まれるのだろうと考えるアリシアは釈然としないが、継母が納得するかたちで家から出られるなら、自分にとってもこの地獄のような生活から逃れる好機なのかもしれない。
アリシアは微笑んで頷いた。
「はい。宮廷で精一杯、働かせて頂きます」
継母は素直な返答に気を良くして、アリシアの布団を剥いだ。
「さあ、そうと決まったら支度しな! 相手の気が変わらないうちに、面接に行くんだ! お前がいつまでも目を覚さないもんだから、待ちくたびれたわ!」
「え、い、今から?」
「軽症なんだから、ほら早く!」
まだ捻った足首や打撲が痛むが、アリシアは継母の機嫌を損ねないように、無理やりにベッドから降りた。
ベッドの脇にはあの母の形見の木箱が乾いた状態で置いてあった。中身の残骸も無事なようで、アリシアは安堵の溜息を吐いた。
継母が背中を向けている隙に、アリシアは木箱に向かって優雅な再会のカーテシーをした。身体は痛むが心は少し和んでいた。
♢ ♢ ♢
アリシアは久しぶりに小綺麗な格好をして、馬車に乗った。
伯爵家の娘として宮廷に面接に行くのに、みっともない格好はさせられないと、継母が珍しく粧しこむのを許したのだ。
とはいえ、どこで調達した古着なのか、古いデザインで地味な色のシンプルなワンピースだ。
それでも髪に櫛を通してリボンを飾り、紅を差した乙女らしい顔は、思った以上にアリシアの気分を良くしてくれた。
宮廷に近づくと、アリシアは馬車の窓からそれを見上げて、大口を開けた。王都から王城を見上げるのは、五年ぶりだろうか。
まるで蜃気楼のように青空に溶け込む白い壁と、深い青色の屋根は変わらず美しい姿で聳えていた。
メイドとはいえ、自分があんなに立派な場所で働けるとは、にわかに信じられない気持ちだった。
面接の広間に向かう間、庭の薔薇も廊下の内装も素晴らしいものだから、アリシアはまるで劇の舞台装置の中を歩いているようで、圧倒された。
「はあぁ……」
思わず感嘆の声が漏れるが、前方を歩くメイドは無言で案内をした。流石に宮廷のメイドは綺麗な身なりをしていて、表情もスン、としている。我が伯爵家の豪胆なメイド長と比べてしまって、アリシアは笑いがこみ上げそうになった。
広間には男性の職員が契約書をテーブルに広げて待っていた。
その隣には、眼鏡を掛けた神経質そうな顔のメイド長もいる。
面接とは名ばかりで、内定した上での顔合わせのような物だった。宮廷側からの規則や契約の説明が殆どだ。
男性の職員が去って、アリシアは膨大な量の書類に目を通した。宮廷内にある立ち入り禁止区域に、接触不可の人物、物、守秘義務……。
どうやらアリシアが担当するのは宮廷の中でも端の部分で、王族と接触などはあり得ない、下位のメイドのようだ。
アリシアは大袈裟な契約内容のわりに、気軽そうな立場に返って安心した。
「今日からお世話になります。よろしくお願いします」
アリシアがその場に残ったメイド長に頭を下げると、メイド長は姿勢を正した。
「私はメイド長のグレタです。アリシア・エアリー。エメラルダ王国の宮廷メイドとして、清廉を心掛けなさい」
「は、はいっ!」
グレタメイド長が去ると、入れ替わりで同い年くらいのメイドがやって来た。エマと名乗るメイドはアリシアを連れて、使用人が寝起きする個室へ案内してくれた。
地下へ下り、廊下を進むと、煌びやかな宮廷の内装は質素に姿を変えて、下働きの者が居住する雑多な空間が現れた。
ドアの向こうで「ギャハハ」と笑う声や、喧々諤々と愚痴を言い合う女達の声が聞こえて、アリシアは正していた姿勢を少し楽にした。
「ねえ。どうしてここへ来たの?」
突然、エマに声を掛けられて、アリシアは顔を上げた。
「え、えっと。知り合いに就職先を紹介して頂いて」
「ふうん。あなた、伯爵家の令嬢なんでしょ? 普通は王宮で働く侍女になるんじゃないの? ここは下っ端が集まる場所で、殆どが平民の娘よ? 伯爵家で何かあったの? もしかして家出とか?」
いきなりの質問攻めで、アリシアは閉口した。エマに悪気は無さそうなので、自分はどうやら悪目立ちした新入りのようだ。
「う、うん。まあ、家出みたいなものかな……」
アリシアの苦笑いに、エマは好奇心で目を輝かせた。
廊下の彼方此方から、いろんな噂話が聞こえてくる。
「あの大臣、やっぱり不正をしてたらしい」
「絶対不倫さね! 宮廷の端っこで逢引きしてたのを見たんだ!」
「夜逃げしたんだろ? 闇賭博で全財産を賭けたって」
どうやらここは、宮廷のゴシップの吹き溜りのようだ。
アリシアは伯爵家とはまた違う居心地の悪さに、前途多難を予感した。