18 思わぬ再会
平和な午後の時間。
バルトロメウスが仕事に出て、ベルがお昼寝をしている間に、アリシアはリビングで掃除をしていた。
今朝方来訪した文官のオーガストには、報酬の一部を毎月自宅に寄付する手続きをお願いした。
バルトロメウスは「寄附金ゼロでも」と言っていたが、アリシアは継母との間に波風を立てたくなかったので、メイドの時に契約した給料と同じ額を支払う事にした。それでも宮廷魔術師補佐の月給の10分の1以下の値段なので、アリシアにとっては懐も痛まないし、継母には何もバレないだろうし、万々歳な結果だった。
アリシアは込み上げる嬉しさで、朝から口の端がニヤニヤしていた。
バルトロメウスがあのサインの紙を破った行為は、スッキリしたどころか、アリシアを縛る見えない枷まで壊してくれたようで、身も心も軽くなっていた。床を掃くホウキにも気合が入って、軽やかにポーズを決めた。
すると庭で爆撃魔法の訓練をしていたエレンが、杖を持ってリビングに戻って来た。
「あら。エレン君、 訓練は終わり?」
アリシアがエレンの頭や肩に集まった魔を手で祓っている間、エレンは遠い目をしていた。
「まだ終わっていませんが、魔力を察知したので」
「えっ?」
まさか魔物の襲撃かと、アリシアは慌てた。
「魔物ではなく、誰かが宮廷内で魔法を使ったようです」
「ど、どうしてわかるの?」
アリシアは初めてエレンに出会った日を思い出していた。宮廷の端っこの客室で、商人が商談中に染料をブチ撒いた、あの事件だ。
エレンは杖を壁に立てかけると、ローブを羽織った。
「だいたいの方角と規模が、感覚でわかります」
説明されても自分にはまったくわからず、アリシアは首を捻った。
「調査に行ってきます」
エレンはドアに向かおうとして、アリシアを振り返った。
「あ。アリシアさん。宮廷魔術師補佐に昇進されたそうですね。おめでとうございます」
「い、いやいや、私はメイドだよ! 掃除しかできないし」
「普通の掃除ではありませんから」
「あの、エレン君の肩書は?」
「僕ですか? 僕は一応、宮廷魔術師です。ベルも同じですよ」
「え! す、凄いね! 二人とも、バルトロメウス様と同じ肩書き?」
「先生は筆頭宮廷魔術師であり、魔術師の育成も担う魔導師でもあります。僕らは先生の生徒で、部下です」
「じゃあ、私はエレン君とベル君の部下って事?」
エレンは少し考えた。
「うーん……書類上はそうなりますが……」
アリシアはホウキを杖に見立てて、床に立てた。
「じゃあ、私を部下として現場に連れて行って!」
「ええ?」
「宮廷のどこかで魔法が使われたなら、魔祓いが必要でしょ?」
「……ではご一緒に」
エレンは少し戸惑いながら、アリシアを連れて魔法宮を出た。
アリシアはエレンの後に付いて、宮廷内を移動した。
バルトロメウスの時と同じように、やはりすれ違う人々はエレンを見て少しギョッとして、頭を下げている。
アリシアはバルトロメウスから学んだ噂への対策として、キリッと背筋を伸ばして、余計なお喋りを謹んだ。エレンに悪い噂が立たないよう、部下の責任は重大だった。
エレンは時々魔力の感知に集中しながら、的確に魔法が発動した場所に向かった。現場が近づいてきても、一方のアリシアにはさっぱり、その感覚がわからなかった。
(魔は祓えるのに、感知できないのは何故……)
自身の能力がかなり限定的であるのを再確認していた。
(それに私は、黒い煤が見えるから汚れ的な意味で気になるけど、魔術師達みたいに具合が悪くなるわけじゃないし……私って、鈍感なのかな)
脳内で結論が出る頃、エレンは現場に辿り付いていた。
「エーレンフリート様!!」
ドアの前で立ち往生していた中年の貴族が、泣き顔でエレンの前に飛び出して来た。
エレンは冷静に型通りの宣告をした。
「魔力を察知した。この場でどのような魔法が使われたのか、調査をする」
エレンが中年の男に伝えると、男は狼狽して頭を下げた。
「も、申し訳ございません! こ、これは何かの間違いでして、決して故意では無く!」
汗をかいて中腰で弁解する男を、エレンは無表情で見下ろしている。
「理由や経緯は護衛官が聞く。調査が終了するまで、広間への立ち入りを禁じる」
「は……はい……」
男は廊下の壁に猫背で立ち、ズズズ、と床に座り込んだ。
アリシアも冷静を装いつつ、内心では(あちゃー)と声を上げていた。あの人が何かやらかしたに違い無く、その落ち込みようにいたたまれなかった。
護衛官が二人やって来て、男に事情聴取をしている間に、エレンはアリシアを見上げた。
「アリシアさんはここで待機していてください。室内の安全確認が済み次第、お声を掛けますので」
「え、でも……」
「大丈夫です。魔力の規模は把握しているので」
エレンは目配せをして、広間の中に入っていった。
扉が閉まって、静かな廊下でアリシアはエレンを待った。
男は護衛官達に連れて行かれ、廊下は誰もいなくなった。
アリシアがホウキを床に立てて姿勢を正していると、突然、大きな声が聞こえた。
「あーっ! アリシア!!」
目前に、掃除道具を抱えたエマが通りかかっていた。
「エマ!?」
懐かしい顔に、アリシアは笑顔になった。
下位のメイドとして就職してすぐに先輩になったエマには、何も知らないアリシアにいろいろ教えてくれた恩があった。異動の寸前には会話をしなくなってしまった二人だったが、エマは笑顔でアリシアに駆け寄った。
「元気でやってる!? 急に魔法宮に異動したから、ビックリしたよ!」
「うん。お世話になったのに、きちんとご挨拶もできなくてごめんなさい」
「いやあ、それは……」
エマは苦笑いした。直接自分が下したわけじゃないが、先輩メイド達の虐めを傍観していた気まずさがあるようだった。
エマの後ろから、続けて声がかかった。
「エマ、何して……あっ!? アリシア!?」
掃除道具を手に持った先輩メイドの二人組も、驚いて立ち止まった。アリシアは慌てて頭を下げた。
「そ、その節はお世話になりました!」
「ふうん……」
先輩メイドの二人は上から下まで、アリシアを値踏みするように見た。髪も肌も艶が良くなって、王宮仕様の上等なメイド服を着ているのが気に食わないようだ。
「ねえ、どうやって出世したのか教えてよ。私達も肖りたいわ~」
「やっぱり給料も上がったんでしょ? コネがあったの? それとも……」
片方が何かを相手に耳打ちして、二人はクスクスと笑った。
エマは居心地が悪そうに肩を竦めて黙り込んでしまった。
アリシアは作り笑顔で流したが、次に放たれた言葉には、顔面が硬直してしまった。
「私達、みんなで噂してたのよ。不吉な紫の目が本当に魔物を呼ぶのか、実験するんじゃないかって」
「モルモットみたい! あははっ」
反射的に怒りが湧いたが、アリシアはここで揉めたらエレンに迷惑をかけるので、苦笑いで堪えようとした。
が、その時。アリシアの横にある扉が開いた。
室内から出て来た人物に、先輩メイドも、エマも、そしてアリシアも、飛び上がって驚いた。




