17 アリシアの報酬
翌朝。
バルトロメウスの素顔を知ってしまったアリシアは、昨晩も遅くまでなかなか寝付けなかった。
これまであったバルトロメウスの冷たい、怖い、無表情などの情報に加えて、新たに優しい表情や楽しげな笑顔、愚痴を言いまくる半裸の姿がアップデートされて、アリシアの脳内は混乱したままだった。
「おはようございます」
ディアナがいつも通り、メイド達を連れて朝の掃除にやって来た。
その後ろには、初対面の男性が立っていた。
眼鏡を掛けて、ビシッと着こなした上等な服に書類を抱えた、いかにもお仕事ができそうな人だ。
「初めまして、アリシア様。私は王宮で文官を務めております、オーガスト・アボットと申します。この度は雇用契約についてお尋ねしたい事がありまして」
「は、はい!」
ディアナが二人をテラスに案内して、紅茶を淹れてくれた。
オーガストはテキパキと、テーブルの上に書類を並べた。
遠くではエレンが爆撃魔法の訓練をしていて、時折ドオン、と爆発音がするが、オーガストは慣れているのか、まったく気にしていない様子だ。
「この度、アリシア様は魔法宮への異動に伴って、契約の内容が更新されました。改めてサインをお願いします」
アリシアは受け取った一枚目の紙を読んで、目を見開いた。
アリシアの肩書が、「メイド」から「宮廷魔術師補佐」になっている。
「えっ? これ、何か間違いじゃないですか? 私は専属メイドとして雇われたはずですが……」
「バルトロメウス様から、補佐に相当するお仕事を熟して頂いていると伺いました」
「いやいやいや!」
アリシアはさらに二枚目の紙を受け取って、危うく卒倒するところだった。最初にメイドとして契約した給料が、10倍以上の値段に跳ね上がっているのだ。
「ちょっ、こここ、これは!?」
「宮廷魔術師補佐一年目の報酬になります。勿論、交渉は可能ですので、ご希望がありましたらお申し付けください」
「いやいやいや!」
アリシアが契約書を両手に持って固まっていると、テラスにバルトロメウスがやって来た。すでにきちんとした宮廷魔術師の正装に着替えていて、朝からミステリアスな空気を纏っていた。
「バルトロメウス様、おはようございます!」
「おはよう、オーガスト」
バルトロメウスがテーブルの席に座ると、ディアナがすぐに紅茶を持って来た。オーガストがビシッと立ったままなので、バルトロメウスは着席を促した。
「ああ。俺は掃除の邪魔にならないよう移動しただけだ。気にしないで続けてくれ」
その冷たい顔は外面用だとアリシアはわかっていたが、それでも近くにいると存在感があって、緊張してしまう。オーガストも同じようだ。
「ええと、では。こちらの報酬のお渡しについてなのですが……」
会話は給料の件に戻り、アリシアは慌てた。
オーガストは受取人のサインをテーブルに出した。
「アリシア様の報酬の受け取りはすべて、ドリス・エアリー様となっておりますが……お間違いないでしょうか?」
「……」
アリシアは蒼白になった。継母の名前をこんな場所で目にするとは、思いもよらなかった。
少しの間固まった後、バルトロメウスをチラリと盗み見すると、無表情のまま書類を見下ろしていた。
「あ、あの、はい、その……」
アリシアが言葉に詰まっていると、バルトロメウスがそのサインを手に取った。
「報酬のすべてを家族に?」
「あ、えっと、母……というか、継母です……」
アリシアは継母を「母」とはどうしても口にしたくなかった。アリシアの本当の母親は大切な存在であって、伯爵家で自分を虐げ続けたドリスに対し、「継母」と呼ぶのも本当は嫌なくらいだ。
アリシアの顔が曇り、ギュッと唇を噛み締める姿を、バルトロメウスは見つめていた。
「オーガスト」
突然声を掛けられたので、オーガストは「はいっ」と鋭く返事をした。
「報酬のすべてを他者に支払えば、アリシアはここで生活ができない」
「はい、ご尤もです!」
オーガストは眼鏡をキリッと上げて、アリシアを向いた。
「アリシア様。報酬の一部をご自宅に収める形で如何でしょう? ドリス・エアリー様にご承諾頂いた上で、もう一度サインを頂いて……」
アリシアは咄嗟に立ち上がって、「駄目!!」と叫んでいた。
自分でも驚くほど拒絶反応が出て、体が震えていた。
自分が魔法宮に移動になり、肩書が出世して、高額な報酬となり……。どれ一つとして、継母に知られたくなかった。強欲な継母がこの宮廷に乗り込んで来る事も考えて、アリシアは自分が再び破滅に陥る恐怖さえ感じていた。
立ち上がったまま青い顔で絶句するアリシアを、オーガストは困惑して見上げた。
バルトロメウスはサインされた紙をもう一度手に取ると、一通り読んだ上で、徐に片端を掴んで、下に引き下ろした。
シャーーッ
鮮やかに紙が真っ二つになる音がして、アリシアもオーガストも同時に声を上げた。
「「あっ!?」」
ビリ、ビリ、ビリ……。
サインされた紙は散り散りとなり、風に乗って消えゆく紙吹雪を、オーガストは唖然と眺めた。
バルトロメウスは無表情のまま、オーガストに告げた。
「アリシアのメイドとしての契約は終了した。よって、このサインは無効だ。宮廷魔術師補佐として、新たな契約を結んでもらう」
オーガストは慌てて頷いた。
「はいっ! そのように手続き致します!」
呆然としたまま立ち尽くすアリシアを、バルトロメウスは見上げた。
「全額を受け取った上で、自らが望む額を寄付として家族に支払えばいいい」
バルトロメウスはニヤリと、意地悪な唇を吊り上げた。
「寄付額ゼロでもいいんだぞ?」
アリシアの中の不安と恐怖が、紙吹雪とともに風に飛ばされて行った。爽やかな風に麗しく髪を靡かせるバルトロメウスを見つめて、アリシアは開放感で笑顔が溢れていた。




