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宮廷魔術師の専属メイド 〜不吉と虐げられた令嬢ですが、なぜか寵愛されています〜  作者: 石丸める@「夢見る聖女」発売中


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13 王宮への出張

 アリシアの黒ずんだ両手は眩い光に満ちて、擦り傷が治癒されていった。

 目前にはベルが天使のような顔で目を瞑って集中しながら、小さな手でアリシアの手を包んでいる。


「わあ……傷が消えちゃった」


 綺麗に傷が無くなった手を、アリシアは狐につままれたような顔で眺めた。

 通常、怪我や病気をすると病院や教会で聖女様に治癒してもらうのだが、アリシアは生まれつき健康優良児で、さらには継母がそんな贅沢は許してくれなかったので、怪我をしても自然治癒に頼る人生だった。


 昨晩、バルトロメウスに傷を治癒してもらうように言われていたのも忘れていたが、ベルが傷に気付いて、庭先で治してくれた。


「もう、いたくない?」

「うん。痛くないよ! ありがとう、ベル君」


 うるうるとした瞳で首を傾げるベルに、アリシアは悶えた。

 そんな二人の間に黒い煤が発生したので、アリシアは速攻で手刀で消し去った。可愛い者を蝕む「魔」は、アリシアにとって絶対に許すまじ物となっていた。


 アリシアは後ろで眺めていたエーレンフリートの方を振り返って近づくと、優しく頭や肩を祓った。

 エーレンフリートは少し体を固くした。


「えっ」

「爆撃魔法を使って煤が寄ってきましたから。綺麗に祓って、朝ご飯を美味しく食べましょうね!」

「あ、ありがとうございます……」


 いつも猫の目でじっと見つめるエーレンフリートは、アリシアとの距離の近さに照れるように、目線を外した。


「よし、エーレンフリート様が綺麗になった!」


 アリシアが魔祓いを済ませると、エーレンフリートは目を逸らしたまま、言いにくそうに告げた。


「あの……」

「ん?」

「エーレンフリート様という呼び方は変えて頂けませんか」

「えっ?」


 エーレンフリートは猫の目でキッとアリシアを見上げた。


「だって、僕の方がアリシアさんにお世話になっているのに、その呼び方はおかしいです」

「で、でも、エーレンフリート様はバルトロメウス様の一番弟子なお方で、未来の宮廷魔術師様ですし」


 アリシアは内心で(貫禄もあるし)と付け加えた。


「アリシアさんはベルをベル君と呼んでるじゃないですか」

「あ、そ、それはつい、ベル君がちっちゃいので……不敬なのは承知なのですが」


 エーレンフリートが無言になったので、アリシアは頭を(ひね)った。


「えっと、じゃあ……エーレン様?」


 エーレンフリートは首を振ったので、アリシアはさらに捻って、ベルが「エレン」と呼んでいるのを思い出した。


「エレン君……とか」

「はい。それでいいです」

「え、ほ、本当に?」


 エーレンフリートことエレンは爽やかな笑顔になったが、アリシアは不敬が過ぎる気がして狼狽(ろうばい)した。

 そのタイミングでディアナが「朝ご飯のご用意ができました」と吉報を寄越したので、アリシアはエレンとベルとともに、幸せの朝ご飯に勇んで向かった。



 午後になると、会議を終えたバルトロメウスが魔法宮に帰って来た。


 お腹いっぱいになり、お掃除も済ませて平和に過ごしていたアリシアは、再び緊張で鼓動が跳ねた。


「アリシア。今日は掃除を頼みたい場所がある」

「えっ、は、はいっ!」


 なんと、バルトロメウス直々に出張のお願いだった。出張と言っても、場所は宮廷内のようだが。

 アリシアはエレンと会話をしているバルトロメウスの顔色を、そっと伺った。昨日よりは大分血色が良くなっていて、具合も悪くなさそうだ。これはきっと昨晩の焼き菓子のおかげだと、アリシアは確信した。


「あの、バルトロメウス様。朝食と昼食は?」

「いや、いい。やる事があって忙しい」


 アリシアは内心で(やっぱり)と頷いた。

 長年、黒い煤のせいで食が苦痛だったであろうバルトロメウスは、無意識に食事を避ける傾向にあるようだ。

 アリシアは魔法宮を出る前に、エプロンのポケットの中にハンカチで包んだチョコレートを忍ばせた。お昼ご飯の後、お茶請けで出された一口サイズのチョコだ。中にキャラメルが入っていたり、ホワイトチョコがサンドされていたりと、昇天するほど美味しかったので、アリシアはバルトロメウスにも食べてほしかった。


 アリシアはハタキを腰に装着し、手に新作のホウキを持つと、バルトロメウスの元に駆け寄った。


「これから王宮に向かう」

「えっ、王宮!?」


 アリシアは思わぬ出張先に、さらに緊張が高まった。王族のいる所と考えると、小市民のアリシアはビビってしまう。

 魔法宮を出ていくバルトロメウスの後を、アリシアは早歩きで追いかけた。


「先生、アリシアさん。いってらっしゃいませ」

「いってらっしゃいっ!」


 後ろから弟子達の可愛い応援を受けて、アリシアはホウキを掲げて微笑んだ。


 魔法宮を出ると警備の人達がザッと背筋を伸ばして敬礼し、その先にいたメイド達も綺麗に頭を下げた。

 王宮に繋がる広大で美しい庭園を通りながら、そこを散策する人々も皆、バルトロメウスを見ると顔色を変えて頭を下げた。


 アリシアはバルトロメウスの背中を見ながら、異様な周囲の空気を感じた。バルトロメウスと出会った人々の驚きと、緊張と、尊敬と……恐怖が伝わるのだ。

 アリシア自身も初めてバルトロメウスと出会った時から、そして今でもずっと緊張しているのだから、その気持ちはよくわかる。中には目を合わせると気絶する説を信じている者もいるだろう。


 アリシアは建物に入る前にチョコレートを食べてもらおうと、バルトロメウスに声をかけた。


「あの、バルトロメウス様。チョコレートを食べませんか。私、ポケットに入れてきたんです」


 バルトロメウスは歩みを止めないまま、肩越しにこちらを一瞥した。


「歩きながら飲食をするな。ここは王宮だぞ」

「えっ」


 小声の叱責(しっせき)と冷たい顔。

 アリシアは心臓を掴まれた気がして、体が硬直した。


「も、申し訳ございません!」


 二人の間の空気が冷え切っているように感じて、アリシアの中で「ふりだしに戻る」という言葉が浮かんだ。昨晩、少し距離が縮まったと感じたのは、自惚(うぬぼ)れだったのかもしれない。

 バルトロメウスにとって自分はあくまで下働きのメイドであり、本来なら口も()けない立場であるのを再認識して、アリシアは己の思い上がりが恥ずかしくなっていた。


 王宮に入り、厳かな雰囲気も相まって、アリシアは硬直したまま無言でバルトロメウスの後を必死で歩いた。

 (みやび)に着飾った人々も皆、バルトロメウスを見ると胸に手を当てて尊敬の念を見せたり、頭を下げたりしている。

 アリシアは自分が場違いすぎる存在な気がして、終始(うつむ)いたまま歩いた。


 するとバルトロメウスが突然立ち止まったので、アリシアは危なく背中にぶつかるところだった。そっとバルトロメウスの背中から正面を覗くと、これまた厳かな身なりの者が立っていた。


 初老の男性は聖職者らしき格好だが、祭服には豪華な金の装飾がされ、鈍い輝きの冠や首飾りで盛られている。アリシアが幼い頃に見た、町の教会の司祭とは絢爛(けんらん)ぶりがまるで違った。


 バルトロメウスは恭しく胸に手を当てた。


「おはようございます。ゴルドラ教皇」

「その者は?」


 教皇と呼ばれる男はバルトロメウスの挨拶を無視して、いきなりアリシアを厳しい目で見下ろした。アリシアはその冷酷そうな灰色の目に、背筋が凍った。


「この者は魔祓いのメイドです。王宮の清掃をしてもらいます」


 教皇はアリシアを見下ろしたまま、「ハッ」と乾いた笑いを上げた。


「そのちゃちなホウキでか? 見窄(みすぼ)らしい……王宮に斯様(かよう)如何(いかが)わしい者を連れ込むとは」

「国王に許可を頂いています」

「ふん」


 ゴルドラ教皇はふんぞり返ったままアリシアの横を通り過ぎ、行ってしまった。

 アリシアは教皇の虫けらを見るような目に脚が震えた。自分の存在に懐疑的どころか、敵視しているのは明らかだった。


 再び歩き出したバルトロメウスの後を、アリシアは重い足を動かして付いて行った。

 よくよく周りを見回せば、何人かは頭を下げずに扇で顔を隠し、こちらを睨んでいる者達や、まるで悪魔から身を守るように教会の紋章を握りしめて怯えている者もいる。


 バルトロメウスを尊敬し、畏怖(いふ)する者だけではない。この宮廷にはバルトロメウスの敵も沢山いるのだと、アリシアはひしひしと感じた。

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