11 深夜の密会
「ベル。ほら、ちゃんと歯を磨いて、ベッドで眠るんだ」
夜になって。
アリシアに絵本を読んでもらっていたベルはソファで寝落ちして、エーレンフリートに厳しく起こされていた。
「ぼく、アリシアとねるもん」
「ダメだ! 赤ちゃんみたいに甘えすぎだぞ」
「あかちゃんじゃない……」
エーレンフリートは呆れてベルを抱き上げて、リビングから繋がる各自の部屋へと向かった。
「では、おやすみなさい。アリシアさん」
「うん。エーレンフリート様はお兄さんだね」
「僕とベルは兄弟ではありませんが」
「そっか……」
アリシアはずっと閉まったままのバルトロメウスの部屋のドアに目をやった。
「あの、バルトロメウス様はお夕食にもいらっしゃらなかったけど、あれからずっとお部屋に?」
「はい。先生は膨大な魔力を使った後、長い時間眠るので」
「じゃあ、明日の朝食でお会いできるかな。おやすみなさい、エーレンフリート様、ベル君」
ベルが寝ぼけ眼で手を振ったので、アリシアも手を振った。
二人の弟子が自室に戻ると、リビングは急に静かになった。
アリシアは夕方も魔祓いのお掃除をしたが、その後は三人で美味しい夕食を食べ、お喋りして絵本を読んで……まるで休日のようなゆっくりとした一日だったので、拍子抜けしていた。昨日までの過酷なメイド仕事が嘘のようだ。
「ゆっくりしてたけど、情報は多かったというか。頭が興奮して眠れないや。激しく仕事しないと眠れない体になっちゃったのかな?」
限界まで体を酷使して泥のように眠る生活をずっと続けてきたアリシアは、夜が更けても体力と精神力を持て余していた。
「よしっ、みんなが寝てる間にホウキを作っちゃおう!」
お昼間にディアナにお願いして、庭師から譲ってもらったホウキ草の束を、箱ごとソファに運んできた。
ベルに修復してもらった長い木の棒に、草を丁寧に括り付けていく。
納得いくまでバランスを整えていたら、リビングの天井から吊るされた幾何学の飾りが、シャラン、と小さな音を鳴らした。いったいどんな仕組みなのか、1時間ごとに時を知らせてくれるようだ。
「もう深夜の1時かぁ。そろそろ寝ないと」
アリシアは完成したホウキを持って、ソファから立ち上がった。両手で持ってみたり、床を掃いてみたりして、具合を確かめる。
「うん! いい感じのホウキができた! 今はここに黒い煤が無いから、お祓いを試せないのは残念だけど」
アリシアはホウキを水平にして、その上に跨ってみた。絵本や劇場で見た、ホウキで空を飛ぶ魔女の真似だ。
「な~んちゃって。飛べないけど、ほんとに魔女になったみたい。ヒーッヒッヒッヒ!」
アリシアは深夜のテンションで、魔女のおばあさんを演じて中腰で室内を回った。
すると突如、ガチャッ! という音と共に、ドアが開いた。
そこには寝起きのラスボス……バルトロメウスが立っていて、寝ぼけ眼を見開いていた。
アリシアは中腰のまま固まって、絶叫した。
「ひぃやーー!?」
いや、悲鳴を上げたいのはバルトロメウスだったのかもしれない。深夜にリビングを徘徊する魔女モドキを見てしまったのだから。
しかしアリシアは、バルトロメウスがほぼ全裸であるのにパニックになっていた。
バルトロメウスはアリシアの悲鳴に呆然とした後、やっと自分の体を見下ろして、かろうじて腰巻だけ付けた半裸の自分に気づいたようだった。
「ああ……失礼」
本人がたいして驚かないので、アリシアの奇行の恥ずかしさの方が際立った。慌てて跨っていたホウキから足を外し、姿勢を整えた。
「お、おはようございます! バルトロメウス様!」
「何をしていたんだ?」
ご尤もな質問だ。
「は、はい! ホウキを作りましたので、ちょっと乗ってみました!」
「ふぅん……」
バルトロメウスは塩返事をしておきながら、クク、と肩を揺らすと、クククッと笑いを殺しながら、踵を返して部屋に戻ってしまった。
一人残されたアリシアは、真っ赤になった。
恥ずかしい所を見られてしまった羞恥心以上に、バルトロメウスの肉体美が目に焼き付いて動揺していた。男性に免疫の無いアリシアには刺激が強すぎて、ホウキを持ったまま微動だにできなかった。
(え? 筋肉? 意外に筋肉質……魔術師なのに?)
本ばかり読んでいる魔術師は体が貧相なはずだと、アリシアは勝手な偏見を持っていたようだ。
ゴチャゴチャと失礼な事を考えているうちに、再びドアが開いた。
ゆるりとした服を着て、ローブを羽織ったバルトロメウスが現れた。いつも通りの知的な雰囲気に戻ったので、アリシアはホッとした。しかし夜の灯りの下、その姿は妙に色気があって、アリシアの動悸は収まらなかった。
「お、お目覚めですか。あの、お茶を淹れましょうか?」
「ああ。ありがとう」
アリシアはぎこちなくホウキを置いて、ティーカップが収納されている棚の元に行き、紅茶を用意した。
水差しとポットはあるが、湯をどうやって沸かしていいか分からず、右往左往する。目前には湯沸かし器らしき、金色の釜のような物があるが、どうやって使用するのかわからなかった。
ソファに座っていたはずのバルトロメウスはいつの間にかアリシアの真後ろにいて、水差しを取ると金色の釜の蓋を開けて水を注ぎ、さらに下部にある穴に指を翳し、パチン、と指を鳴らすと釜は着火した。
「わあ!?」
アリシアの驚きを無視して、バルトロメウスはテーブルの椅子に座った。ゆっくりと左右、天井、と室内を見回している。
アリシアが金の釜を夢中で覗いていると、バルトロメウスは独り言のように呟いた。
「魔を祓ったのか……」
「あ、はい! お昼と夕方にお掃除しました!」
バルトロメウスはエーレンフリートと同じように、すう、と深呼吸して目を瞑った。
静かな時が流れて、釜が湯を沸かすシュンシュン、という音だけがリビングに流れた。アリシアは不思議と穏やかな気持ちになって、冷静に紅茶の準備をした。伯爵家でさんざん、継母の嫌がらせで紅茶の淹れ直しをさせられていたアリシアは、美味しく淹れられる自信があった。
「お待たせしました」
テーブルにティーカップを置くと、バルトロメウスはしばらく香りを堪能してから、紅茶を口にした。
何て優雅な所作だろうかと、アリシアは時を止めて見惚れた。
バルトロメウスはカップを皿に置くと、笑みを浮かべた。
「美味しい。今まで飲んだ、どの紅茶よりも」
アリシアは心の中で、ガッツポーズを取った。




