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1 伯爵家の地獄

「う~ん、落ちないなぁ。全然、綺麗にならない」


 アリシアは令嬢らしからぬ四つん這いの姿で床にへばり付き、黒い染みと睨めっこした。

 質素なワンピースにボロいエプロンを身に着けて、つぎはぎのタイツで。

 伯爵家の長女だというのに、アリシアはメイドとしてこの屋敷で働かされていた。


「ちょっと! いつまで同じ所を磨いてるんだい!?」


 頭上から怒号が降りかかって、アリシアは見上げた。

 ガタイのいいメイド長が仁王立ちしている。


「いや~、この黒い汚れが全然落ちなくて」


 アリシアの指す床を見て、メイド長は目を()いた。


「はぁ? どこも汚れてないじゃないか! 他にも掃除する場所がアホほどあるんだ、サボッてんじゃないよ!」


(この汚れが目に入らないの?)


 と問い正したいアリシアだったが、仕返しに夕飯を抜かれたら嫌なので、黙って立ち上がった。

 そもそもこの伯爵家に掃除の手が足らないのは、継母がメイドの人件費をケチっているからなのだが、廊下の先を歩くメイド長は連日の忙しさに怒りが収まらないようだ。


「まったく、これだからお嬢様育ちは使えないよ! 花嫁修行だか何だか知らないが、メイドごっこだなんていいご身分だ」


 継母は「アリシアに花嫁修行をさせている」と使用人達に(うそぶ)いている。陰湿な虐めを不自然なオブラートで包む(やから)も、それを信じて丸呑みする方もどうかしているが、まともな使用人はみな辞めてしまったので仕方がない。


 アリシアは廊下の途中に掛かる、大きな姿見の鏡を横目で見た。

 母譲りの(あで)やかな金色の髪は、今やくすんでボサボサだ。栄養が足らない身体は貧相に()けて、チャームポイントだった(すみれ)色の瞳は淀んでいる。アカギレだらけの手が令嬢とは思えない粗末さで、アリシアは人ごとのように溜息を吐いた。


「あ~あ。17歳の乙女なのに……これは酷い」


 今ではこんな有様のアリシアだが、幼い頃は綺麗なドレスを着飾って、菫の花のように可愛らしいと大切にされていた。家庭教師やダンスの講師が付いて、社交デビューに向けて令嬢らしさに磨きをかけていたけれど……。

 12歳の時に母が亡くなった途端に、アリシアの運命は転落した。父が愛人である平民の女とその娘を伯爵家に連れ込んだのだ。

 継母と義妹としてこの屋敷に君臨した輩は「アリシアは病で療養している」と偽り、社会から閉ざされた屋敷の中でメイドとして虐げ続けたのだった。


 アリシアは過去を思い出して鬱々としたので、メイド長の大きな背中に隠れて、クルリと回って優雅なポーズをとった。

 すると母に連れて行ってもらったバレエや観劇の記憶が(よみがえ)って、アリシアをほんの少し夢心地にしてくれるのだ。朗らかだった母のように笑顔でいたいけど、メイド長の前でヘラヘラしていると怒られるので、代わりに無言でポーズを取る癖が付いてしまった。


「キャハハハッ」


 明るい笑い声と一緒に、一つ年下の義妹キャロルが廊下に出て来た。

 ピンクのフリルが沢山付いた豪華なドレスに、キラキラとしたリボンを着けて。小柄で可愛らしい義妹によく似合っている。


 物語のお姫様が突然現れたみたいで、アリシアが呆然と見惚れていると、その視線に気づいたキャロルは得意げな顔で回転して、輝くドレスを見せつけた。


「お母様、遅れてしまうわ。早く行きましょう!」

「オホホ。キャロルったらお転婆ね」


 着飾った継母と義妹は楽しそうに夜会へ出掛けた。

 廊下に立つアリシアは素通りされて、まるで空気のようだ。


「いってらっしゃいませ」


 メイド長が見送りで背を向けている隙に、アリシアは鏡の前で義妹を真似て、スカートを膨らませて優雅に回転してみた。地味なメイド服が揺れている。


「おしゃれもダンスも勉強も、12歳で止まったまま。私だけ、ずっと時が止まっているみたい」


 アリシアはこの状況に泣いたり怒ったりしても無駄なのだと悟って、全てを諦める事で毎日を乗り越えてきた。



 だけどその日の夜に、アリシアの運命を変える破滅的な事件が起きるのだった。

 それは優雅なポーズでは回避できない、アリシアのさらなる転落の夜だった。

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