二十一日目、花火が消えるまで(2)
ドォン、と夜空に咲いた花火がふたりを照らした。
「……っ」
その音に我に返ったように、白羽の肩が震えた。次の瞬間、思いきり突き飛ばされた。
「きゃっ」
尻餅をついた澪は白羽を睨み上げた。彼は口元を押さえ、信じがたいものを目にしたような顔をしていた。
ひどく嗜虐的な感情とともに、澪の口端に嘲笑が滲む。
「驚いた?」
「なんで……こんな」
「したいと思ったからしただけよ」
澪は立ち上がってチュニックの裾をはたいた。
一歩近づくと、白羽の表情がはっきりと強張った。しかし容赦なくその腕を捕まえる。
「み……おちゃん」
怯えきったまなざしに、澪はふ、と息をつくように表情をゆるめた。
「あたしが怖い?」
白羽が小さく息を呑む。
「そ、そんなこと」
「あたしは、ずっとあんたが怖かった。……でも本当は、叔母さんが死んであんたが壊れちゃうことが、何より怖かった」
自分の本当の想いに蓋をして、目を背け、ついには白羽にすら背を向けて逃げ出した。そうすれば、決して叶わない恋に打ちのめされることも、無力な自分を思い知らされることもなかったから。
比喩でも冗談でもなく、白羽にとって紗夜子は世界のすべてだった。
最初から、こんなにもちっぽけな自分が敵うはずがなかったのだ。
「それなのに、あたしは何もできない。壊れていくあんたを見てるしかない。……叔母さんの身代わりとして」
何度も何度も味わった、苦く虚ろな悲嘆が再びこみ上げる。
喉が引きつったように声が掠れた。
「叔母さんの代わりになんてなれないって、一番あたしがわかってる。それなのに、あんたは笑いかけるのよ。あたしにじゃない。あたしの向こうにいる――叔母さんに」
「澪、ちゃん……」
澪は白羽の腕をきつく掴んだ。
「ねぇ、白羽……『あたし』を見てよ」
幾度も上がる花火は、少年の頬を淡く染めては溶けるように消えていく。澄んだ瞳の底に映りこむ光の残影を、澪は場違いなほどきれいだと思った。
「僕は……」
白羽の顔が歪んだ。
「僕、は、……ただ、そばにいてほしかっただけなんだ」
頑なにくり返す、その言葉が何よりの肯定なのに。
なんて、愚か。
澪は優しく、冷たく問うた。
「だれに?」
今度こそ、白羽は言い訳を失った。茫然とした顔は、闇に溶けて消えてしまいそうなほど蒼白だった。
――ああ、これで本当に、完敗だ。
悲しみの膜が静かに心を包みこんだ。その冷たさが胸の内を撫で、澪は目を伏せた。
力を抜くと、少年の腕はあっけなく手中から逃げた。からっぽの掌をきつく、痛みが走るまで握り締める。
「澪……ちゃん?」
戸惑うような白羽の声に、澪は俯けていた視線を上げて、笑った。
「これでもう、間違えたりしないわよね」
自分も彼も、どうしようもない本当の望みを思い知った。そしてそれは、決して交わらず重ならない。
もう、一緒にはいられない。
「終わりにしよう、白羽」
「な……にを?」
白羽の面に恐怖が広がっていく。それを、どこか遠くで見ているようだった。
「全部。何もかも、夢だったのよ」
きっと、澪たちは幼すぎた。
自分の願いばかりに焦がれて、相手を思いやることも知らない子どもだった。だからこそふたりの関係はいびつで、最初から破綻していた。
最後に残るような尊い何かは、はじまってなどいなかった。
「もうこれ以上、あたしは傷つきたくない。傷つけたくない。だから、ここでおしまい」
いつしか花火大会はフィナーレを迎えていた。
有終の美を飾る特大の花火が、ひと際明るく夏の夜を照らす。
その音を聞きながら、澪は告げた。
「さよならよ、白羽」
少年の唇が震える。
それが言葉を紡ぐ前に、澪は踵を返し、全速力で駆け出した。
「――……ッ、澪ちゃん!」
悲鳴のような声を振り切って暗がりを飛び出す。境内を突っ切り、まろぶように石段を駆け下りた。
そのまま住宅街を走り抜けようとするが、途中でサンダルが脱げかけ、アスファルトの上に転んだ。
「……っ」
とっさについた掌に熱が走り、澪は息を呑んだ。なんとか立ち上がろうとして――こみ上げてきた嗚咽にそのまま崩れ落ちた。
澪は大きく背を震わせた。ぼたぼたと溢れる涙の奥から、引きつった泣き声がこぼれる。
悲しくて悔しくて切なくて、このまま死んでしまいそうだった。
溺れるような涙に、自分は馬鹿みたいに白羽が好きなのだと知る。救いようのない事実はナイフとなって更に胸を抉った。
白羽が、好きだ。
だから自分を見てほしかった。彼を救いたかった。笑ってほしかった。
ただ、それだけ。
それだけが、澪のすべてだった。
――これが恋だというのなら、なんて痛い。
いつの間にか、花火の音が途絶えていた。もう何も聞こえない。
夢が、終わった。