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七日目、ふたりの夏休み

 最近の澪の一日は「おはよう」とはまったく別の言葉からはじまる。

 顔を洗ってダイニングに向かうと、炊き上がったばかりのご飯の香りが部屋中を満たしている。この家の家事を取りしきる人物は、断固として朝はご飯派らしい。トースト一枚でかまわない澪には理解しがたいこだわりだ。

 ご飯の香りに混じる味噌や醤油の匂い。出されるおかずのほとんどは、昔から日本の食卓を彩ってきた和食ばかりである。たまにはスクランブルエッグやベーコンが食べたいという澪の主張は、あえなく却下され続けている。

 澪はすっかり指定席となった窓側の椅子を引き、腰を下ろした。テレビを点けて適当にチャンネルを回す。ニュースキャスターが朝一番の速報を読み上げているのを眺めていると、キッチンからひょっこりと顔が覗いた。

「おはよう、澪。もうすぐご飯できるから、先に着替えてきて」

 とろけるような笑顔を見せたのは、触れがたいほどの美貌を持った少年だった。長い睫毛が頬に落とす影さえ優美に映る、完璧な造作。だが見る者の胸に残るのは、神々しさよりもガラス細工のような儚さだった。

 しかし、見慣れた顔に今更なんの感動も浮かばず、澪はいつものように淡白な声音で言った。

「あたしをここから出して」

 少年はぱちりとひとつ瞬いた。

「どうして?」

「帰りたいからに決まってるでしょ」

「家にだれもいないからここにいるんじゃない」

「……一週間」

 ん? と小首を傾げる少年に、澪は冷たく目を細めた。

「ここに来てから一週間、一度も外に出てないんだけど」

「出る必要なんてないよ」

 キッチンから少年が出てくる。Vネックのシャツにジーンズ、その上からエプロンをつけた彼は、顔に似合わず男らしい体つきをしていた。痩せているが、それは無駄のない細さだ。半袖から伸びる引き締まった腕、そこから続く指の長い筋張った手は女性にはありえぬもので、澪は逃げるように目を逸らした。

 顔立ちと体格のアンバランスが、曖昧だからこそ危うい美しさを少年に与えていた。

 少年は澪の隣の席に座ると、テーブルに置かれた彼女の片手を取った。絡みついてくる指に、澪は微かに眉をひそめる。

「……白羽」

「なぁに?」

「監禁って言葉、知ってる?」

 名前を呼ばれた少年は無邪気に笑った。

「知ってるよ」

「あんたが今、あたしにしてることよ」

「そうだね。僕はきみを閉じこめてるんだし」

「監禁罪っていう立派な犯罪もあるの」

「そうなんだ。それがどうかした?」

 無垢な子どものような表情のまま、白羽は訊き返した。

「だってだれが知らないんじゃ、僕を捕まえようも裁きようもないよね」

「……あたしが通報したっていいのよ」

「する気もないのに?」

 白羽は、髪と同じやわらかな色合いの瞳を電話に向けた。この一週間、電話線はつながれたままだ。

「澪はしないよ。できないよね、優しいから」

 くすくすと笑いながら長い腕が伸ばされる。指を絡めたままの手を引かれ、澪は白羽の抱擁のなかに落ちた。

 十五歳の白羽は、十七歳の澪より頭ひとつ分大きかった。澪が平均よりもやや小柄なせいもある。自分よりも小さく、そして並んでいたはずの背丈は、とうに追い抜かされてしまっていた。

 この一週間で、澪はすっかり抵抗することをあきらめた。するだけ無駄だと痛感したからだ。受け容れたのでなく心を削ぎ落としたと知っているくせに、白羽は幸せそうに目を閉じる。首筋に頬を寄せてくる仕種は、まるで仔猫のようだった。

「澪はここにいればいいんだよ。僕のそばに」

 内緒話のようなささやきは確かに事実で、甘い声は鋭く澪の胸を刺した。

 包みこむような腕は、こんなにも――冷たい。

 馬鹿みたい、と澪はからからに乾いた声で呟く。

 想いなどない。あるのはただ、無理やり形を歪められた関係だけだ。そんな虚しさすらわからぬ盲目に白羽は成り果てた。

 だから澪はここにいる。

 十七歳の夏休み、少女は少年に囚われた。

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