1-9 ママの帰還
「ママ!」
叫び出そうとした私をパパは制す。
開いた右手を向けて、ゆっくりと私を押しとどめながら、左手でママの顔の周りをなでる。
私がおちついたのを確かめると、ママの組んだ足をほどきベッドに横たわらせた後、ベッドに腰掛けてママの上体を起こし、その頭を胸に抱くように抱える。
その間、時折私に視線を飛ばして“静かに待つ”よう促しながら。
「大丈夫だ。こんな状態は初めてじゃない。」
まだ、私は恐怖で細かな震えが止まらず、返事できない。
「3度目かな? 私も初めての時はびっくりして、大声で呼び続けていたんだがね。
起きてきたママから『うるさかったぞ。わめかれると、何処から呼びかけられたか判らなくなる。お前は目立つんだから、じっとして待って居ろ。』と怒られたよ。」
「だから2回目の時は静かに横で待って居たら、『お前は明るくて、どこからでも見える。安心して出かけられる。』と褒められた。」
パパはママの髪の毛をゆっくりとやさしく撫でながら、静かに話しかけてくる。
「何処に 出かけて たの?」
少ししゃくりあげるような感じだが、声が出るようになった。
「知らないよ。ママが話したくなったら、イャ…話してもいいと思ったら、話してくれるだろう。」
そんないい加減な!と思うが、パパのおおざっぱさ、気にかけていても黙って放置してくれるやさしさ、私はパパのそんなところが好きなのだ。
ママも同じなんだろうな。
しばらく、静かに待っていたら。 突然来た!
先ほどの彼の“ズドン”などヤブ蚊のパンチ程度でしかない。
胸が爆発するような衝撃!!! ママが帰ってきた!
目を開けたママは目の前にあるパパの目を見て、にっこり笑うと首を伸ばして唇をすぼめる。パパも微笑みながら躊躇せず、応えてキスをする。
濃厚なやつだ!
いきなり始まった光景に啞然とし、喜びや感動が急激に冷めてゆく。
テントの入り口の布がいきなり跳ね上げられ、血相を変えたバグ兄とヨナ姉が飛び込んできた。
「さっきの衝撃は? 何が・・・」
勢いよく発せられた言葉は、その場の光景に凍り付き、途切れた。
「ママの心がどこかにお出かけしてたみたい。」
両手を広げ、肩をすぼめて、私は冷たく言い放つ。
「ものすごい衝撃でしたわ。・・・あれが肉体に魂が戻ってくる衝撃なのでしょうか?」
ヨナ姉はまだ息を弾ませながら、私に問いかける。
「で、これは?」 バグ兄が嫌そうな顔をして、顎を2人の方にしゃくる。
「感動の再会ぐらい、ゆっくりさせてくれんかね。」
顔を上げてパパが意地悪そうに微笑む。
「ウム、思ったより長く潜っていたようだ。心配かけたかな?」
「どこに ・・・ 行ってたの?」
ちょっと口ごもったが、思い切って問いかけてみた。
ママは、しばらく考えていたが、
「今はやめておこう。考えがまとまったら話せるかもしれない。
ところで、そろそろ夕食の時間だろう、私はすこし休んでから行く。
先に始めておいてくれ。」
上目遣いにパパを見て、
「付き合ってくれるだろ?」
『あほらし!』
完全に白けた私は、バグ兄、ヨナ姉を促してテントを出た。
「思いっきり心配したのに!損した・・・」
食事の場所に戻り、私がつぶやくと、ヨナ姉はあきれた声で、
「皆さんすごいですよね。霊体離脱するお母様に、それを知っても平然としているお父様。
わかっていたとは言え、私、人外魔境に放り込まれたお姫様の気分ですわ。」
「私も一緒くたにしないで!
ヨナ姉だってベルケルクじゃあ魔女って呼ばれてたじゃない。
私なんか魔法使えないのに!」
「あら、シャルさんもですよ。
前にも言いましたけど、普通の人は2つ以上のギフトを同時に使用できないんですよ。
さっきも結界と探知を同時に使いながら気にも留めてなかったでしょう。」
その言葉で、ハッと気づく。
「いけない。さっき動揺して、両方とも終めちゃっていた。」
「リュウイの結界だけなら、俺が張りなおしておいたぞ。」
とバグ兄。
「だが、要ると思うか? さっきから探知に何か引っかかったか?」
そういえば、リュウイ解体前に範囲探知をしてから、異常を感じていないことに気づいた。
通常このような平原なら、ウサギやネズミなどの小型獣だけでなく、イノシシやシカの大型獣なども1時間に数回は探知されるものだ。
探知開始から3時間余り、何も反応が無いのはおかしい。
「きっとさっきのジャンガ達だな。母さんににらまれて、必死で逃げていったけど、あいつらの恐怖心が周りに感じ取られてるんじゃないかな。」
「私はあいつらが警報出しまくりで逃げて行ったんじゃないかと思いますわ。」
「ママの殺気をまともにあびたからね。この状態一晩持つかな?」
そんな風に話題を飛ばしながらおしゃべりしていたら、少し気が晴れてきた。
3人は日が傾いて、影が広がってゆく静かな草原に目をやりながら、小さく笑った。
「はい、これ。」
食事が終わり、ヨナ姉が私に手渡した物。
洗浄魔法できれいになった彼の靴だ。
「わあ!すっごくきれい。」
光沢のある見たこともないすべすべした質感の布と皮が複雑に組み合わさった甲皮と分厚い靴底。
甲皮の中央部分は透明感のある青色で染められ、サイドに向かって3本の黄色い線が後方に、2本の赤い線が前方に、太さを変えながら交差している。
靴底も灰色と茶色の生地が複雑に組み合わさり、見ているとウキウキする気持ちになる。
中敷きは押すとへこむのに、離すと元に戻る、細かな穴の開いた不思議な素材。
そして何より、「軽い!」。
撫でまわし、ほほに当て、離して見つめ、を何度も繰り返していると、
「ヴェラミの軍靴に似てますね。まあ、あれは無骨だし、長靴に近いですけど。」
「底が厚いのは、岩場か石畳で使うことが多いのかな。」
と無粋な感想を述べ合っている。
『違うわよ。これは見て、触って楽しむものなの。芸術品なの。
リュックにつるしたら映えるかな?』
嬉しくって、私の妄想は止まらない