第三話 夕暮れの登り階段
「すみません、こんな所まで」
「いや、ええよええよ。こんなもん、ついでの距離なんじゃけぇの」
「ありがとうございました。」
釈然としない心持ちを抱えたまま、無事お祭りの会場である神社の階段下までやってきた一行は、荷物を運び入れ始めた。学と哲は大きな物を、詩織は細々とした物を運ぶ。そのうち、神社の前の通りにも人が集まってくると、それぞれの屋台が組まれていく。日も傾き出すと、神社の境内には毎年行う祭祀の舞台の飾り付けが始まり、階段にはズラッと提灯が掲げられる。日常から数時間と経たぬうちに辺りは一気に祭りの様相へと変わってしまう。やがて日が暮れるに連れて一帯は、一層明るみを確かにしていくのだった。
「はぁ~、だりぃなぁ。夏祭り・・・。」
「ほら、お前だってちっこいときは世話になったんだから・・・未来ある子供たちの為だと思って。」
「へいへい、やりがい搾取されますよーっだ。」
男どもは、祭りの賑わいから少し離れたところで、毎年恒例になった、蛍の観察ができるスペースを設営するよう頼まれて、山の斜面を均したり、木々の間に蚊帳を張る作業をしていた。と、そこに詩織が斜面を下ってくる。
「何してんだ、サボりか。」
「詩織!?ち、違ぇよ、ちょっと、休憩してたんだよ。」
「あれ?巫女さんの方はもういいのか?」
「巫女?」
毎年、十六歳になった女の子たちはこの夏祭りで巫女舞を踊るのが風習になっている。だがしかし、実態は通過儀礼としての側面のみを残し、その背景にあったはずの奉納の意味合いなどは薄れつつあるのが現状である。こうして、文化は形ばかりを残した作業になっていた。
「あぁ、なんか奥でやってたやつか。あれに出るのか?」
「ったく、私の番はとっくに終わってんだっての・・・。」
「あれ、そうなのか?」
「ホント哲は、この辺住んでてもそういうのには疎いよな。」
学のその言葉に、哲の顔が曇った。詩織も少し見やると乾いた笑いをあげつつ、学を小突いた。学は〈しまった〉という表情をすると、取り繕う言葉を探しているようだったが堰を切って話し出したのは哲だった。
「良いんだよ、俺はすぐにでもこんなクソ田舎出てくからさ」
哲のポツリと放ったその言葉に二人は、「えっ」と言葉を漏らした。
「俺だって、ここに思い入れが無いわけじゃないよ。でもさ、俺はなんか息苦しくってさ。シキタリ、とか。フーシュー、みたいなのって、なんか苦手でさ。俺たちは俺たちのやり方でいいじゃんとか思うんだよね。でも、やっぱりこういう田舎に暮らすと、嫌でもそういうものに雁字搦めになって来るからさ・・・」
哲の言葉は、まるで漏れ出し始めた水を手でせき止めているように、隙間からとめどなく流れ出していく。
「そりゃさ、常磐って家のしきたりは無くならないかもしれないよ?だけど、ここらを行き交う人の俺を見る目つきとか、俺を変わり者だって決めつけてくる大人たちから、逃げたくなっちゃったんだよ。それを理解してくれとは思わないけど、そう思ってることくらいはさ・・・分かってくれよ」
二人は言葉なく、ただ木々の揺れる影が哲の心を表すようにざわめく様子に、じっと立っていることしかできないでいた。哲も居辛さからかどこかへ逃げ出すように駆けて行ってしまう。
日は刻々と陰り、山肌を影が這登っていた。まるで心に闇が忍び寄るように辺りはすっかり夜の様相となり、学と詩織はせっせとホタル観察の準備を進めている。さっきまでそこにいた哲の事を互いに気にしてか、残った二人の表情はお世辞にも明るいとは言えなかった。
「ったく・・・、どこ行きやがったんだアイツは…な、なあ?」
「まあ、いいんじゃない?どうせ、ケロっとして帰って来るって」
学は、少し心配の見え隠れする顔で「それもそうだな・・・」と言うと、帳の紐を縛るための木の太い幹を探りだした。それをぼーっと見つめていた詩織が、ふと「ホタル・・・か。」と呟いた。学は一瞬その言葉に反応し、問いかける。
「なあ、手伝ってもらっておいてアレだけど、奉納舞はいいのか?」
「う〜ん・・・」そう言葉を濁すと、詩織はこう続けた。
「なんか、幽霊とか信じてなかったんだけど。あの巫女舞をやってからおかしいんだ。誰かに見られてるっていうか、とにかく不気味な感じでさ。だから…」
言葉の端々から漏れ伝う恐れと、上擦った声から彼女の真剣な悩みが見て取れた。学はその空気をどうにかしようと冗談めかして、こう切り出す。
「あー、そりゃ『タソガレ様』に憑かれてんじゃないか?」
「ちょ、ちょっと・・・やめてよ。あんなの子供だましのおとぎ話でしょ?」
『黄昏の怪』そう名のついた伝承が、この清条ヶ丘にはあった。夕時の林道の影から、年頃の女子を連れ去ってしまうという物怪で、ここいらの地域では子供の帰りが遅くならぬよう戒めとして語り継がれるものとなっていて、彼女のした巫女舞こそタソガレ様に夜通し歌い騒ぐお許しを得る為のものである。
「信じてない割には、神楽舞や、奉納の儀とかはするんだな。」
「それが、なんか当たり前のことだったからさ。」
「当たり前だからって渋々従ってるのか?」
「私は、サトルみたいになれないから・・・。」
学は、その言葉に口を噤んでしまった。確かに昔から哲には、何にも縛られない確固たる意志があった。少々、見切り発車な所もあるが、それを補って余り有る行動力がある。だからなのか、学は彼に少なからずの劣等感を感じていた。
「暗くなっちゃった・・・、私がサボんなって話だよね」
最後に「ごめん」とだけ口にして、詩織は駆けて行こうとする。だが、一瞬の迷いを見せた。それでも彼女は小さく首を横に振り去っていく。それと、入れ替わりに哲が戻ってきた。
「んだよ、くそ爺ぃ‼いいじゃんか、ちょっとくらい上げたってさ。・・・あ、マナブ聞いてくれよ。」
「分かってるよ。『玄じいの野郎が花火上げさせようとしないんだ。』ってんだろ?」
「お、おう。」
哲は、毎度の如くこの祭りで打ち上げ花火を上げようとしていた。
「山火事起こしたらシャレになんないんだからさ。」
そう言って学はいつも宥めては居るが、彼も毎年折れずに玄明の所へ直談判しに行っている。
「ジジイにも言われたよ。山火事起こしてお前に責任取れるのかってよ。」
「まっ、その夢はさ、どっか他の所で叶えたら?」
学にとっては何気ない、いつもの会話だった。本当にいつも通りの会話のつもりだったが、哲は急に顔を曇らせた。
「なんだよ、それ。」
暫し続いた静寂の中で、ポツリと哲は言葉を吐いた。
学は思わず「えっ?」と返す事しか出来なかった。
「そんな風に、思ってたのか?」
哲の目には、少しばかり涙が滲んでいた。
「俺がここに残らないのがそんなに不服かよ。」
「お前は、晴れて自由になれたんだからさ。自分の好きなところに行って、自分の好きな景色存分に見て来いよ。」
「そんな言い方ないだろ。それじゃ、俺がまるで・・・。」
常磐の血筋というのは、代々この土地を取り仕切る立場にあり、代々「蛍守」の務めを担ってきた。こうした柵に雁字搦めにされていく運命を生まれたときから背負う定めこそが常磐のシキタリだった。だが、どれもこれも哲にとっては本家に生まれた事による束縛に他ならなかった。
「お前が俺を身代わりにしたわけじゃないさ…俺が勝手にやったことだから。だから、胸張っていって来いよ。新都でも、どこにでもさ。」
「嘘だろ?、それはさ…」
学は、決して嘘は言っていなかった。心から応援したい気持ちに偽りはなかったが、本人も気づかぬ深層に深く食い込む棘があった。彼が常に感じてきた劣等感と、何者にもなれぬ哀しみがこの瞬間、どっと押し寄せた。
「う…、嘘なもんか。お前は、その、なんだ。こんなところに収まる器じゃなかっただろ?」
「そうやって血統とか血筋とかに縛られてこんな田舎に死ぬまでいるつもりかよ」
「……じゃあ、お前のココを出るって夢はどうするんだ。俺が常磐本家の役目を継ぐからって言って許しをもらえた事なんだぞ?」
「そんなの、そんなの…結果的にだろ?俺はそんなことしてくれなくたって新都に行ってたさ」
「なんだよそれっ!!俺はお前の為に…」
「それが本心だろ?」
学は口籠って、俯いた。哲は決して曲がらない、そう信じていた。信じていたのに、心配が度を越して余計な計らいをしてしまったのかもしれない。強いられていた訳ではないが、いつしか学は使命に駆られて自己犠牲を選んでしまって居たのだと、気がついてしまった。
「幼馴染でいとこ同士なのに、大人ぶって勝手に背負い込んでんじゃねえよ。嫌な思いしてるなら嫌だって言えばいいじゃねえか。」
「そんな子供じみたこと言えないだろ。」
「大人になるってのが、そういう事なら。俺は大人になんかならなくていいよ。もう俺の事は俺で決められるって、いつまでも『世話役だ』なんて責任感じなくていいからさ。」
「サトル・・・、お前なぁ」
二人の口論の熱は冷めることを知らず、この舌戦は恐らく終点はない事を互いに理解し始めていた。
辺りはすっかり更けて、月がその姿をしかと現した。今宵の月は不気味なほど満ち満ちて、恐ろしい程に近く、大きく見えた。
「やっぱり・・・」
ふと二人は声の方向へ振り向くと、そこにはどこか憂いの窺える顔で詩織が立っていた。二人はお互いを見やると、すぐさま詩織の傍らへと駆けよった。
「どうした、顔色良くないぞ」
「うん、ちょっと頑張りすぎちゃったかな・・・。」
二人がそれぞれ気遣う言葉を述べていると、シオリがまた口を開く。
「アンタら、また喧嘩したんでしょ」
その言葉に、二人の間には気まずい空気が流れた。対する詩織も、目を細め二人を交互に見やり、小さくため息をついた。しばしの沈黙の中、耐えきれず哲が口を開く。
「喧嘩じゃねぇよ、なあ?」
「あら、マナブはそうじゃなさそうだけど」
そう言われて振り返った哲の視線の先で、釈然としない表情のままのマナブが立っていた。思えば、いつも学は、哲相手に喧嘩をしたときには、自身を押し殺して納得しようと心掛けていた。それは、一年先に生まれたからか、自分は付き従うものだからか、それとも自分を持つことが許されなかったからか、理由は何にしろ、そうして自分を抑圧しようとしてきた。ただ、そういった時にも表情だけは決まって素直に感情を表現してしまうのだった。自分でも、それを隠すようにいつも振る舞ってきたつもりなのだが、詩織にだけは何故か、毎度見抜かれてしまうのだ。
「詩織は、何でもお見通しか・・・。」
諦めたようにハッと息を吐くと、学は哲に呼びかける。
「なあ、サトル」
「なんだよ」
ぶっきらぼうに、そっぽを向く背中に話を続ける学。
「お前は、どうしてそんなに頑固なんだよ。そうやって、自分一人で突き進んで後ろの景色なんか、見向きもしない。そうやって後ろで起こった事を片すのはいつも俺なんだぞ?」
それは、学が初めて真っ向から哲に想いを告げた瞬間だった。段々と大きくなって、しだいに遠く離れて行ってしまう背中が、このまま追いつく事なくどこか見知らぬ所へ行ってしまいそうで、学も心の底では焦っていたからかもしれない。長らく一緒で、本当に長い間迷惑を押し付けられてきた。その厄介ももう、これっきりで済んでやっと肩の荷が下りるというのに、その気持ちは晴れることもなく、沈むばかりだった。
「俺には、自分を信じてやれない自分で居て欲しくないだけなんだよ。何をするにも引き止められて絵空事を真実に塗り替えられて、俺は誰にも信じてもらえないで居たんだ。それなのに、俺が自分自身を信じてやれなくて、どうするんだよ。」
そう真剣に話す哲は、その熱を更に上げてこう続けた。
「俺は、自分が信じた正義を貫く信念がある。それは誰に言われても曲げられない。」
哲の言葉は、その熱のあまり木々の間で反響し一帯に響いた。そして、その後には、冷ややかな静寂が流れる。その静寂は深く深呼吸をさせる程に続くと、「ッフ」と笑い声に遮られた。そこからは、とめどなく笑いが溢れてしまった。
「何笑ってんだよ。」
少しばかり、この状況に小っ恥ずかしくなった哲は、躍起になって他の二人を責め立てていた。一方の二人は、未だ含むように笑いをこらえるのだった。
「だって、なんか変わってないなあって」
「昔見てた変身ヒーローみたいじゃん。そりゃなぁ?」
ますます、顔を赤らめて怒る哲だったが、その様子にはそこまでの緊張感は無くなっていた。哲が二人を追っかけ回すのにも疲れて来たころ、ふと足を止めた詩織が呟いた。
「あ、ホタルだ…。」
そう言った詩織に、二人が歩み寄ると指を刺した先の、遠く向こうを見やった。詩織の目の奥には、神秘的な物に触れた喜びが浮かんでいるが、男二人には、未だ見つけられずにいるのだった。
「どこだよ。ホタル・・・」
「本当に居たのか?大体は川の方に居るって話だけど…。」
結局、一向に見つけられないままで落ち込む二人に詩織が、ポケットから飴玉を差し出した。彼女曰く、二人の喧嘩は飴玉で解決して来たんだという。今回も、その例に違わず二人はその飴玉を受け取り、ひょいっと口に放り込んだ。
「なんか、こういうの久しぶりだな。」
「鬼ごっこ?」
「違ぇよ。やっただろ、冒険ごっこ」
哲の発したその言葉に、二人は「あぁ」と思わず感嘆してしまう。冒険ごっこ、それは小さな頃に有り余る好奇心から、野山を縦横無尽に駆け回っていたあの頃の思い出だった。
「あん時は、いぃっつも哲が最後尾にいてヒーヒー言ってたよな。」
「あれは、学が変なおとぎ話するからさ。」
「出た、学のおとぎ話。なつかしいなぁ・・・。」
三人の思い出は一つ、また一つと口を衝いては出てくる。哲が登った木から降りられなくなった話。学が虫眼鏡で不意に火を起こして大騒ぎになった話。詩織が山で迷子になって助けに行った話。どれも、掛け替えのない思い出ばかりだった。
「暗くなってから、よく境内で花火したよね。」
「そうだったな。」
詩織はどこか物憂げにこう続けて言った。
「あの時は、夜が永遠に明けなきゃいいって思ってたな。」
その言葉に、学は少し驚いた目で眺めていた。と、そこに哲がこう続ける。
「夜は、明けて欲しいな・・・俺は。」
「夜嫌い?」
詩織から返ってきたのは純粋な疑問だった。振り返った彼女の、はにかんだ顔が夜の隙間で、異様に悲しげに見えたのが、二人の心に妙なざわつきを感じさせた。そのざわつきに、学は喉の奥に引っかかった言葉をまだ吐き出せないでいた。そうして、哲を見やるとその悲しみに呼応するように、ぽつりとつぶやいた。
「いや、好きなんだけどさ。夜中の散歩道とか未だにワクワクするし。でもさ、夜は手に入れられないから。そこでずっと留まってはくれないからこそ、夜、って感じがするんだよな。なんていうか、ずっと夜になったら・・・きっと、それはそれで寂しいんじゃ・・・ないかな。」
「その気持ちは分るよ。夜の時間ってなんか不思議と高揚する感じと恐怖がいい塩梅になって、こう、何とも言えない感じになるんだよな。それは、特別感があるから、なのかなって俺も思う。」
哲の言葉に、自然と学も言葉が出てきた。この三人だからこそ、朝も、昼も、そして夜も。そして、その先にある朝も、そこに続く他愛もない日常を疑うことなく信じてられる。そんな言葉を続けられそうな程に、三人は絆で結ばれていた。しんみりとした空気を察した哲がこんな事を言う。
「まあ、実はマナブの方が幽霊とかは苦手だったんだけどな。」
「え?そうなの?良く怖い話してからかって来るのに。」
「し、仕方ないだろ?」
訳ありげな苦笑を浮かべて、学は哲の口を必死に塞ごうとしていた。詩織は意地悪な笑みを浮かべて、「なんかあったの?」と聞く。哲は、学の制止をスルリと避け、「実は・・・」と口を開く。が、その先が続くよりも早く口を開いたのは、学当人だった。
「もう、俺から話すから…。」
学はそう言うと、一呼吸置き
「実は、まだチビの頃に夢の中で誰かに話しかけられた事があるんだ。声も姿も定かじゃなかったんだけど。」
そう言った学の言葉に、哲も静止した。哲も何度も夢の中で話しかけられていたからだ。そこから、学はこう続けた。特に言葉をはっきり聞き取れた訳ではないが、一つだけはっきりと聞こえたことがあった、その言葉は「お前じゃない」だったという。それを聞いた二人はブルッと身震いをさせた。
「そりゃ、幽霊も怖くなるか・・・」
「まあ、幽霊って決まった訳じゃないけどな」
学が、肩を竦めて首を振ると二人も小さく息をついた。と、麓の方から声が響いてきたかと思うと、人工的な明かりが、麓の一帯へ広がり、その光は境内へ上るように連なっていった。
「あ・・・始まっちゃったね、夏祭り」
詩織が、ぽつねんと一言口にすると、他の二人もその光が連なっている様子に見とれた。どれほどの時間がたったのか、ほんの数十秒かもしれないその時間に、三人は想い出を、その数えきれない長さを追憶していた。「あのさ…」そう哲が口にする。「ん?」と言ってこちらを振り向く学。詩織はどこか遠くを見つめたままで、耳だけを傾けていた。
「俺さ、この夏祭り来るの。今年が、最後…かも・・・」
詩織は、力ない声で「え?」と言った。哲は来月には新都への引っ越しが決まっていた。夏休みを機に、新都の高校への転入を進めていたのだ。二人には、うっすらと伝えてはいたが、こんなにも早く事が進んでいるとは誰も思わなかった。
「まあ、そろそろかなっとは、思ってたけど」
「行っちゃうんだ・・・。」
哲は、いつもこうした時の表情が見つけられずにいた。勇んで「行ってきます」と口にできる程に向こう見ずでもいられず、かといって、罪悪感で踏み出せなくなるほど、自身の心を抑えられる性格でもなかった。どうしても見つけられず、ただ遠くに揺れる提灯の明かりを目で追う事でしかこの場に立って居られないのだった。
「時々は、帰ってきたりしないの・・・?」
少し上擦る様な、か細く震えた声で詩織は聞いた。
「そうだよ。たまには、帰ってきたっていいんだぞ?」
学も、いつだって迎えたい気持ちはあった。素直に表現してこれなかったが、哲の背中を見つめる自分が、いつしか其処を居場所だと思って居たこと。そして、哲の居場所で居ることを願っていた事に、少しづつ学は気が付いていた。
「無理、かな・・・。あれだけ啖呵きって、親にもマナブにも迷惑かけたんだぜ?そりゃ、夢が叶うまでは帰ってこれねぇよ・・・」
哲の声も、心なしか上擦って聞こえた。どこにも居場所なんかないのだと思って居た自分に、必死にしがみ付いて、居場所であろうとしてくれた二人の友に、何の恩も返せずにまだ甘えようというのは、きっと自分を許せない。そう思っての決断だった。
「・・・そっか。じゃあ、思いっきり満喫しなきゃね。」
「・・・そうだな。」
そういって、二人は無理に笑って見せた。哲は消え入るような声で「ありがとな」とだけ言って、木々の間を参道に向けて歩き出した。二人もその後を追うが、依然空気は重い。それに見かねた詩織が、パンと手を叩いた。
「はいはい、しんみりしないっ。」
それに、学が続く。
「じゃ、じゃあ、夏祭り始まっちまったし一旦帰って準備して、また集合するか。」
「はーい」
いつものように始まった夏祭りに、いつもとは違った三人の背中がやけに目立った。