優希 第六話 ほっぺたへの告白
思い返せば虚しい人生だった。
姉の影響で癒しを求める思考回路になった俺は、ある意味、常に何かに縋って生きてきたのだ。
自分を癒してくれる何か。自分の欲望を叶えてくれる何か。それが意志を持たないぬいぐるみなんかであれば、きっと問題はなかったのだろう。
だが、俺は求めてしまった。もっと癒されたいと。その結果、生きた人を道具のように扱った。だからこれは罰なのだろう。
さようなら。俺の癒し溢れる人生。
――――――――――――――――――――――――――――――
「ねえ、大丈夫?聞いてる?」
「は!」
小日向さんの問いかけで、俺は走馬灯じみた思考から正気に戻った。
そうだ、まだ人生が終わったわけではない。何とか弁明しなければ。
「いくつか質問したいんだけど、良いかな?」
俺が口を開く前に、小日向さんが問いかけてきた。
「は、はい」
「まず、いつからやってたの?」
「一昨日から、です」
「本当に?」
「はい」
「じゃあ偶然私が起きてた日に、タイミング悪く七海君はほっぺたをつつきに来ちゃったんだ」
「そうなります」
「もう、敬語じゃなくていいよ。話しづらいから」
反省の色を少しでも出すように敬語で話していたが、逆に気を使わせてしまったらしい。
「じゃあ次、どうして私のほっぺたをつついていたの?」
「それは、さっきも言ったけど、小日向さんのほっぺたがあまりにも気持ちよさそうだったから」
「へー」
小日向さんはじっと俺を見つめてくる。
「一回で終わらなかったのは、そんなに私のほっぺたが良かったってこと?」
「それは......」
言って良いのだろうか。良いのであれば「最高です。この世に二つとない極上の癒しです」と言いたいが、本気で引かれかねないのでオブラートに包む。
「すごく、良かった」
「そう、なんだ」
ドン引きされた。かなりオブラートに包んだが、むしろシンプルな気持ち悪さが出てしまった。
「じゃあ、一番聞きたかったこと。七海君は、私のことをどう思ってる?」
「え?」
予想外の質問におかしな声をあげてしまった。
「あ、いや、そういう意味じゃないよ。好き嫌いとかの話じゃなくてね」
「ごめん」
だよな。この状況でそんな話をし出したらお互いに訳が分からなくなる。
「七海君は、私のことを生きた人間だってちゃんと認識してるのかなってこと。もし私を昨日持ってたぬいぐるみなんかと同じ物として扱ってるんだったら」
「そんなことは思ってない!ちゃんと生きた人間だって理解してる!」
「そう?それなら良いんだけど」
「俺も、そこだけは間違えちゃいけないって理解はしてる。してるんだけど、自分の欲望が抑えられないんだ」
「うん、それも聞きたかったんだ。七海君、前までは普通に他のものムニムニして満足してたでしょ?どうして私のほっぺたに執着するの?他にも柔らかい物なんていくらでもあるのに」
「小日向さんに迷惑かけてることも分かってるし、いつかやめなきゃいけないとも思ってた。でもダメだったんだ」
「ダメ?」
「小日向さんのほっぺたを触ってから、他のぬいぐるみとかを触っても全然満たされないんだ」
「そうなんだ。まあ、かわいそうだとは思うけどこれからは勝手にほっぺたを触るのは控えてもらいたいな」
なんてことだ。悪いのは自分で、本来手に入るようなものではなかったとはいえ、極上の癒しをこれからは得られないと、本人に宣告されてしまった。俺はこれからどうすればいいんだ。何をしても癒されない、満たされない、そんな空虚な人生を歩むのか。
「そんなこの世の終わりみたいな顔されても困るよ。ていうか落ち込みたいのはこっちだよ。眠っている、いや起きてはいたけど、間に好き勝手されてるんだから」
「でも俺は......」
「ぬいぐるみとか、いろいろ持ってるんでしょ?探せば良いやつもあるかもしれないし、それでいいんじゃないの?」
小日向さんの言い分はもっともだ。悪いのは俺で、小日向さんは被害者で、俺がおとなしく引き下がればそれで終わる話なんだ。
だけど、俺はもう引き下がれない。今手放してしまったら、俺は一生癒しを得られない。もう他の物なんて考えられないんだ。
「......ダメなんだ」
「え?」
「小日向さんじゃないとダメなんだ!!」
数秒の静寂の後、腫れとは違う赤色にほっぺたを染めながら小日向さんは口を開いた。
「へぇぇ!?」
俺の告白と、小日向さんの悲鳴と動揺が混ざった声が、夕暮れの教室に響いていた。